2017年12月30日土曜日

Marlene Dietrich という生きざま

本日のBlogは、私が敬愛するひとりの女性に捧げます。



12月27日

パートナーとなるハイヒールを迎えた日は、
偶然にも私が敬愛する女性の誕生日だった。


1930年代の女優 マレーネ・ディートリッヒ



コンサルティングを始めるにあたって、
イメージとなる女性の写真を2枚提出したのだが、
その時、真っ先に浮かんだのがマレーネだった。

オードリー・ヘップバーンやグレース・ケリーより前の世代の女優なので、
若い方はご存知ないかもしれない。



ドイツ、ベルリンの上流階級出身。
20年代の終わりに「嘆きの天使」のヒットがきっかけで、
アメリカに渡り、30年代を代表する女優となった。



細く弓を描く眉
長く物憂げな睫
退廃的な色香を漂わせる頬の陰影
そして、百万ドルの脚線美と呼ばれた美脚

妖艶、退廃美、男装の麗人
そんな言葉と共に、マレーネは爛熟した30年代の顔となった。




実のところ、マレーネ・ディートリッヒの映画の出来は、
どれもそんなに良いとは思えない。
だが映像美という点で、
他の女優と一線を画す圧倒的な美を見せ付けてくれるのだ。


もともと、大して美人ではない。
デビュー当時はかなりのぽっちゃり体型だった。
そんな彼女がハリウッドで成功し、
時代を代表する女優となった背景。


そこには頑固なまでの意思の強さ、そして努力があった。
徹底的に自分が築き上げたイメージに忠実に。
アンニュイな表情を出すために奥歯を抜き、
男装の麗人の名にふさわしく、当時はタブーとされた
男物の服も身に着けた。
私がマレーネに惹かれるのは、その意思の強さと真摯な努力、
そして圧倒的なプロ根性なのだ。




第二次世界大戦が始まると、マレーネはナチスドイツに抵抗して
アメリカに帰化する。
そして、自ら志願して、連合軍の慰問団に参加し、
激戦となったヨーロッパの最前線へと赴いた。



「彼らに今必要なのは、とびきりゴージャスなドレスと、ハイヒールよ。」



そう言って、トランクにドレスとハイヒールを詰め、
銃弾が飛び交う最前線で歌ったマレーネ。
彼女が慰問した兵士たちは、
明日はまた彼女の祖国と戦う男たちであり、
愛するベルリンの空爆に出撃する兵士たちだった。
しかも、ベルリンには母親と姉がいた。


どれほどの苦悩と葛藤があっただろうと思う。
だがマレーネは歌い続けた。
戦火の中
「リリー・マルレーン」を英語で、時にドイツ語で。
祖国で売国奴と呼ばれながら、それでも歌い続けた。
歌とドレスとハイヒールが、ナチスに対する彼女の武器だったのだ。





戦後、イスラエルに招待されてコンサートを行った時、
「何が起こるか分からないから、絶対にこれだけはするな」
と釘を刺されていたにも関わらず、
ドイツ語で「リリー・マルレーン」を歌い、大喝采を浴びた。
彼女に喝采を送ったのは、戦前ドイツに住んでいた聴衆であったという。

70代の終わりに骨折してからは、パリで隠遁生活を送り、
1992年、パリで亡くなった。
ドイツで彼女の名誉が回復したのは死後10年経ってからである。

今、マレーネはベルリンで静かに眠っている。




何と光と闇が強い人生だろうか。
だが彼女は光と闇の両方を、自らの意思で生き抜いた。
誰に何と言われようと、自分の信念を決して曲げなかった。


その意思の強さと圧倒的な努力、
そしてヘミングウェイやジャン・ギャバンという
一流の男性を惹き付けた知性とエレガンス。

憧れの女性は色々いても、
女性が女性に惹かれ、敬意を持つのは、
やはりその生き様に対してではないかと思う。
マレーネという女性の生き様が、私を惹きつけてやまない。



ハイヒールの哲学の世界へ飛び込んだ時、
真っ先に浮かんだのはマレーネだった。
そして、決意のハイヒールを迎えた日は
奇しくも彼女の誕生日。


愛するマレーネ・ディートリッヒ
あなたの強さとエレガンスに心からの敬意を。






リリー・マルレーン(独語版)

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