2018年5月24日木曜日

パワーを使う

引き出しの中を整理していて、数年前のメモ帳を見つけた。
何冊かあるメモ帳には、その頃人生を揺るがす出来事が次々とあり
それこそ、倒れたところにドラム缶が10個くらい振ってきて
立ち上がることすら出来なかった私の気持ちが綴られていた。



言いたいことが言えるようになりたい。



消えてしまいそうな、小さな字で書かれた言葉。
今見ても、自分のものとは思えないほど小さく、
筆圧も弱弱しい文字。
どこにも吐き出せない、行き場の無い気持ちを
小さな文字で、メモ帳に綴ることしか出来なかった自分。

あの頃の気持ちを思い出して、胸がいっぱいになった。


もがいても、もがいても、どうしたら良いか分からなかった。
八方塞りとはこういうことか、と半ば絶望していた時。
あるお二人の女性がくれた言葉が、私の人生を変えた。

お一人は70代の方。以前にも綴ったことがあるが、
「勇気を出して、自分の人生を生きる、と決めてごらんなさい。」
力強く、背中を押してくださった。

もうお一人は、あるカウンセラーの方。
「今日は、自分のpowerを認める記念日です。」
お話をした日に、きっぱりとそうおっしゃった。

power(力)と言うと、力技や暴力を連想する人が多いが、
必ずしもそうではない、とその方は話してくれた。


女性はpowerを持つこと、使うことを恐れることが多い。
それは、powerを持つことと、それを行使することで
何かを壊してしまうこと、傷つけること(実は自分が傷つくこと)を恐れるからだ。と。

誤解している方が多いのだが、powerを持つことが悪いのではなく
間違った使い方をすることが悪いのだ。
それは、包丁や火と同じで、正しく使えば役に立ち
間違って使えば怪我や火事の元となる。


だから、「powerを持つこと」を恐れなくて良い。
むしろ、自分にはpowerがある、とコミットメントし
正しく使うことが大事なのだ。


「私には選ぶ力があります。」
「私は 決断したことを 責任を持って実行していきます」


当時作ったアファメーション。
メモ帳の終わり近くのページに
前よりは少し大きな字で、はっきりと書かれていた。


自分には、自分の人生を生きる力がある。
そう自覚できた事で、私の人生は少しずつ動き始めた。
メモ帳の終わりに書かれた、翌年の目標の漢字は「立」
ちなみに今年の目標として定めた漢字は「歩」
私は、あの年から少しずつ立ち上がり、やっと歩き出したんだなと
自分の奮闘ぶりをほろ苦く、懐かしく思いながら、そっとメモ帳を閉じた。



あの時から私は、言いたいことがあったら口にし
やりたいことがあったら、やってみることを意識してきた。

最初は本当におっかなびっくりで。
それでも、本音で話すことを意識し続けた結果
嘘のように色々なことが変わり
自分も、自分の周りの人間関係も変った。

今では「竹を割ったような。」「ストレートな」と人から言われるほど
何でも思うことが言えるようになった。
それは、このBlogで時々吼えているのを見てもお分かりいただけるかと思う。
人は、何時からでも、幾つになっても変わる事が出来るのだ。


私たちにはpowerがある。
たとえ、どんなに困難な状況にあっても、必ずpowerがある。
周りの状況や、誰かの為にそのpowerを押し殺すことは
人生の舵を他者に預けることと同じ事。

私たちにはpowerがある。
その力を、人生を切り開く力として使っていこう。
ひとりひとりが誇り高く、自分の人生を生きること
その力が、世界を変えてゆくと信じている。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana








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