2018年12月14日金曜日

コンプレックスが武器に変わる時

なぜ日本人女性は中年以降 くすんだ色のダボっとした服を着るのか
こちらの投稿で、日本人特有の「ダボズル系」ファッションについて
綴ってみた。


そういえば私も、ずっと身体の線を隠す服を着ていた。
それもうら若い10代の頃に。

中高生の頃は、誰でも多少はぽっちゃりしているものであり
それがパツッとした若さの魅力なのだが
思春期真っ只中の乙女(笑)にとって自分の体型は
深刻なお悩みの元凶であったりする。


私は父親似のがっちりした体型が大嫌いだったし
特に脚に関しては、絶望的に良いところが無いと思っていた。


筋肉質な上に太くて
太腿の間には僅かな隙間すら無かったし
ジーンズを履けば、脹脛で引っかかってしまい
それ以上引き上げることが出来ないという有様。

せめて長さがそれなりであれば、まだ救いはあったが
典型的日本人体型の昭和生まれとの悲しさ
胴と脚の比率は言わずもがな、であった。


ボンレスハムのような自分の脚を呪いながら過ごしたあの頃。
当時はビッグシルエットの服が流行っていたこともあり
私の服こそが見事に「ダボズル」系であった。
そして色は黒。クローゼットの中は見事に真っ黒。
黒を着ていれば格好良く、痩せて見えるだろうという
若さゆえの勘違いMAXぶり。


真っ黒でダボっとしてズルっとした服を着た
ガチムチ体型の女子。
これほど太って見える組み合わせは無いのだが
当時はそれが自分の定番だった。
今思い出すと、苦笑いしか浮かばない。



なぜ自分の身体を「隠す」のか。
宗教的な理由がある人は別として
そこには必ず「恥」の心理がある。
こんなに太っている私は恥ずかしい。
太い脚はみっともない。たるんだ二の腕が醜い。
だから見せたくない。
多かれ少なかれ、自分の身体を「恥」だと思っている。


そして自分を「恥」だと思う心理がある限り
どんなにおしゃれをしても、流行を追いかけても
プロにコーディネートをしてもらっても
絶対に心から満足することは無い。
これは、私自身が自分を振り返っても、全くその通りだったので
本当に良く分かるのである。


自分を「恥」だと思う心理。
これこそが日本人特有の心理であり
男女問わず、意識の改革をしたほうが良い部分であると思う。

何故なら、日本人とは比べ物にならないほど
高い肥満率のマレーシアで
自分は太っていて恥ずかしい、みっともないという感覚が
全く無いのである。

イスラム系の人はともかく、それ以外の宗教の人は
かなりの肥満体型でも堂々とミニスカートやノースリーブを着ているし
それが恥ずかしいなどどは微塵も思っていない。
「着たいから着る。」それだけなのである。
また、それを揶揄する人もいない。



今、私はミニスカートを纏い
あれほど大嫌いで
切り落として取り替えたいとさえ思っていた脚を晒している。
それどころか、ハイヒールコーチとして
脚は大切な商売道具になった。

自分の脚をクライアントに見せるなど、まして
「私の脚捌きを見てください。」と言えるようになるなど
ほんの1年前までは、思いもしなかった事だ。

ハイヒールコーチをしています、と言うと
「だから脚が引き締まってかっこいいんですね。」と
人に言われるようになった。



ハイヒールで歩く練習をコツコツと続け
毎日毎日、鏡で脚を見て
脚と歩きを意識しながら過ごすうちに
ハイヒールのおかげで、脚のラインが変わってきた。

脚が劇的に細くなった訳ではない。
やはり太めで筋肉質で力強く、ハイヒールを履くと
それはそれは見事なヒラメ筋がくっきりと浮かび上がる。

でもそれが恥ずかしいとは思わなくなった。

これが私の脚。そう思えるようになった時
生まれて初めて、自分の脚が好きになった。
脚のラインが変わった事よりも
自分のマインドが変わったことが、とてつもなく大きい。



コンプレックスだった脚は、私の武器になった。




女性は特に、外見のコンプレックスを抱えやすい。
だがコンプレックスを抱える部分こそが
その人の魅力であることが多い。

コンプレックスが自信に変わる時
生きる世界ががらっと変わる。
冗談ではなく、まるで生まれ変わったように
それまでとは違う世界が見えてくるのだ。


この世界を、一人でも多くの女性に知っていただきたいと思う。




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana




































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