2018年1月5日金曜日

ハイヒールと向き合うとは

ハイヒールと向き合うとは
楽器を奏でるのに似ている。

朝、音楽を聴きながらいつものストレッチをしながら、ふとそう思った。

楽器は子供の頃、ほんの少しかじったことがあるだけなので、
もしかしたら的外れかもしれないが、
感じたままを綴らせていただく。



ハイヒールと楽器
どちらもまず、正しいポジションとテクニックを学ぶことが必須。
これが出来なければ、音が上手く出ないし、ハイヒールなら上手く歩けない。
体に負担をかけることにもなる。

では、正しく使えるようになればいいのかというと、
それだけでは全く足りないのも共通している。
むしろひととおり使えるようになった後からが正念場で、
そこから今度は「表現」するための試行錯誤が始まるのだ。


楽器なら表現するための試行錯誤は分かるけど、
ハイヒールは?



ハイヒールも全く同じ。
なぜなら、楽器もハイヒールも、求めるのは「美」だから。
演奏者は「音楽の美」を
ハイヒールを履く女性は「自分の美」を
それぞれ表現したいという強い動機があり、
ひたすらにその美を追求するための努力をしているのだ。


その過程で否応なしに自分と向き合わされることになる。
弱い自分、出来ない自分、嫌な自分もいれば、
強い自分、やさしい自分、愛に溢れた自分が出てくることもある。
今まで出来なかったテクニックができるようにもなる。

そうやってひたすら自分と向き合い、乗り越えて、
自分が表現したい美を表現できた時。




楽器やハイヒールと、その人は共鳴し、圧倒的な美が放たれるのだ。




レコーディングを別として、音や歩く姿は絵画と違って、
一瞬一瞬で消えていくもの。
それなのに、あの日の演奏を思い出すと感動が蘇るのはなぜか?
ふと見かけた、街にたたずむハイヒールの女性が
いつまでも鮮烈な印象を残すのはなぜか?




そこに込められた、共鳴の美が心を揺さぶるから。




ハイヒールと向き合うとは
自分の美を表現するために、自分と向き合うこと。

向き合う過程で出てくるどんなものも、自分の一部。
そのひとつひとつを丁寧に紡いでゆけば、
やがてハイヒールは物ではなくパートナーとなる。




その時、日常の一歩一歩が、自分の舞台となる。





マレーシア クアラルンプールより愛を込めて

nana











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