2018年8月25日土曜日

コルバンの思い出

夕方、仕事帰りに道端で何かを燃やしている中華系の人を
大勢見かけた。
ああ、盂蘭盆(うらぼん うらんぼん)が終わるんだなと思った。

ちょうど今、旧暦のお盆であり、明日が最終日だそうだ。
中華系マレーシア人は、盂蘭盆が終わる前の日に
お供え物や捧げ物を燃やす習慣がある。

日本の送り火のようなものだが、中華系のそれは
日本のようにささやかではなく
キャンプファイヤーかと見まごうほど、派手に燃やされる。

日本であれば、何かを燃やす時は必ず
傍らにバケツの水を用意しておくものだが
そんな用意をしている人はマレーシアに来て以来
一度も見かけたことは無い。
いつも、危なくないのだろうか
延焼したらどうするのだろうかと
心配になるのだが。
誰も気にしていないのが実にマレーシアらしい。



話をコルバン(犠牲祭)に戻すが
まだ長男が2,3歳の頃。
近所でコルバンが行われると知り、見に行ったことがある。


イスラム教の巡礼月最終日
故事に倣って、世界中で犠牲の動物が屠られ
神に捧げられる。


その日、モスク前の空き地に会場が作られ
広場の傍らにはテントが張られて
大鍋や巨大なガスコンロ等が用意されていた。
テントの中では、近所のマダム達が、野菜を刻んだり
スパイスを用意したりと急がしそうに立ち働いていた。

広場には夫と私、当時3歳前だった長男の3人で行ったのだが
夫はコルバンの責任者に、妻が日本人でコルバンを見たいから
と説明すると、「危ないからあっちに行こう。」と
長男を連れてさっさと避難してしまい(笑)
後にはカメラを持って、今か今かとワクワクしている私が残された。



この日は羊と牛が屠られる予定だったが
私が見に行った時、牛はまだ到着しておらず(笑)
羊が先に屠られた。

羊と言っても、立派に成長した羊であり
かなりの大きさであった。
動物の勘で、これから屠られるのが分かるのか
大きく暴れて抵抗し
大人の男性、5-6人が何とか押さえつけようと
必死で格闘していた。

私は好奇心が強いので、つい前へ前へと出てしまい、
「危ないから下がって!」と何度怒られたことか(笑)



イスラム教の屠殺方法は、お祈りの言葉を唱えながら
頚動脈を一気に切断すること、と定められている。
大暴れする羊を地面に押さえつけ、頚動脈を一気に切る。
羊の断末魔の鳴き声が大きく響くが、すぐにそれも収まり
コルバン終了である。

屠られた羊は、あっという間に血抜きされ、解体されて
広場の隅にあるテントに運ばれる。
その肉をご近所のマダム達が、おしゃべりに花を咲かせながら
腕によりをかけて調理する。

2時間ほど後には、さっきまで生きていた羊は
羊肉のカレーやスパイス煮となって
近隣の住民や福祉施設などに振舞われたのである。



大勢の前で動物を屠殺するとは、何と野蛮か。
そう思われる方もいらっしゃるかもしれない。
しかし、私達が肉を食べているということは
イコール、何らかの形で動物を屠殺しているということだ。
日本では、その部分は決して表に出さないから
見えないだけで
最初から牧場にスーパーのパックが放し飼いになっている訳ではないのだから。

肉とは、肉屋に並んでいる塊や
スーパーのパックの中にぺらっと入っているものだけではない。
必ず、その肉を提供してくれた動物がいて
私達はその命をいただいているのだ。



目の前で屠られる動物を見ると
自然と、命をいただく事への感謝が湧き上がる。
実際、コルバンで屠られた羊や牛の骨は
きちんとお祈りを捧げた後、「埋葬」されると聞いている。
人間の代わりに犠牲となってくれた動物へ
きちんと敬意を表しているのだ。

日本ではまず見られない、貴重なコルバンの様子を
思い出しながら綴ってみた。



マレーシア、そしてイスラム教圏の様子が
少しでも伝われば幸いである。




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana






























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