昨日、9月25日は母の81歳の誕生だった。
マレーシアと日本、離れて暮らしているので
なかなか会うことはままならず
しかも両親ともインターネットに疎いので
連絡はもっぱら、私からの電話である。
母は、この2年ほどで認知症が進み
今はデイサービスとショートステイを利用し
自宅にいるのは夜と週末の二日ほどである。
久しぶりに声を聞いたが、私だと分かっているのかいないのか
どことなく噛み合わない会話を交わしながら
声が聞けるだけでも有り難く、幸せだと思った。
母は若い頃 とてもお洒落だった。
と言っても彼女は、昔話をするのはあまり好きではなかったのか
若い頃の話を聞いたことがあまり無いので
我が母ながら、彼女の若かりし頃の事は謎に包まれている。
アルバムの中の20代の母は
オードリー・ヘップバーン風のヘアスタイルに
お洒落なワンピースやスーツを着て
足元はヒールのある靴だった。
結婚してからは、自営業と子育てで忙しかったのだろう
ヒールのある靴を履いている母を見た記憶は
ほんの僅かしかない。
私に この世には美しいものがあると教えてくれたのは
間違いなく母だった。
美術展に一緒に連れていってくれたり、
母が好きだったジャズやタンゴについて教えてくれたり。
私が小学生の頃は、忙しい合間を縫って
服やセーターを手作りしてくれた。
世界にひとつの母の手作りの服は
着ていると必ず人から褒められ
オリジナリティの大切さを、幼い私に教えてくれた。
もしかしたら母は、もっとお洒落がしたかったのかもしれない。
もっと自分の好きな所に出かけたり
美しいものを見たり、自分の好きなものを思い切り食べたり
そんなことがしたかったのではと思う。
だが、母の年代の女性は、自分より家族、子供を
優先すべきという価値観で育った。
その価値観を頑なに握りしめて、何十年も自己犠牲をしてきたのだ。
もっと思いっきり、好きなことをして良かったんだよ。
今日は私 お休みするから!って宣言して
自分の好きなことを楽しんで良かったのよ。
そう言ってあげたくても、もう母には通じない。
人生は長いようで短く
短いようで意外と長い
子供が大きくなったら、大学を卒業したら
夫が退職したら
そう思いながら、やりたいことを先延ばしにしているうちに
いつ、人生の幕が引かれてしまうか、誰にも分からない。
あるいは、やっと自分の人生を生きられると思ったら
病気になったり、私の母のように認知症になったりして
思うように動けなくなってしまったり。
だから、やりたいことを先延ばしにしてはならない。
好きなことを、押し殺してはならない。
自分が心から求めるもの、幸せだと感じるものは
たとえ周りがどう言おうと、それが家族であっても
貫き通して欲しい。
もちろんそこには、きちんとコミュニケーションを取って
これは私にとって譲れないものです、と伝えることが大事であるが。
そして女性はやはり、美しいものを忘れてはならないのだ。
女性は、美しいものが似合うように
美しいものを感じ、愛でるように神様に作られた。
美しいものは、女性を豊かにし、笑顔にし、より美しくする。
そして、その美しさで周りを幸せにするのが、全ての女性の使命なのだから。
今はもう、かつて好きだった美しいものすら
すっかり忘れてしまっている母
昔の、お洒落で美人だった母の面影はもう無いけれど
それでも貴女は私にとって、世界でいちばん美しく大切な母なのです。
おかあさん おたんじょうびおめでとう。
マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana
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