2018年12月31日月曜日

2018年「歩」そして2019年へ

日本はちょうど年越しの瞬間。
マレーシアはあと1時間で年が変わる。

私は毎年、年末に翌年の漢字を決めているが
昨年末に決めた、2018年の漢字は「歩」だった。

その字のとおり、今年ほど歩いて、歩いて、歩いた年は無かった。



振り返れば、何と怒涛の1年だったことか。
昨年11月に、師匠の「人生に革命を起しましょう。」という
お言葉と共にスタートしたコンサルティング。

ただ歩くだけではなく、一歩一歩に意識を向け
心を込めることを叩き込んでいただいた。
歩くとは、わずか数秒の動作の繰り返し。
その数秒に、どれだけの美意識を込めて、丁寧に美しく足を運ぶか。
それがどれだけぶれない確たる軸と
圧倒的なオーラとエレガンスを放つのか。

歩くことの概念が、根底から覆され
気が付けば私の人生も、大きく変わっていた。

まさに「歩」が人生に革命を齎した年であった。


そのように「歩」がテーマだった2018年の最終レッスンが
コンサルティングの同期、AMELKISのMakiさんとの
Exchangeレッスンだったのは
今年の締めくくりに相応しいギフトであった。



Makiさんとのレッスンについては、改めて綴りたいと思うが
こちらのエクササイズは
ハイヒールで歩くために必要な
あらゆる筋肉を鍛えることが可能である。

脚力で身体を引き上げようとしても
決して上手くいかず、腹筋と全身のバランスが必要となる。
また、上半身を揺らさないための繊細なコントロール力も養われる。

Makiさんのまったくブレのない、美しくなめらかな
身体の引き上げ方にぜひご注目いただきたい。






Makiさんとのレッスンを通じて、2019年の新たな目標も見つかった。

まずはその1歩として
明日、1月1日からBlogをBloggerからWordpressへ移行します。
新BlogのURLは、明日こちらのBlogger Blogにて発表いたします。


本年はsub RosaのBlogへお越しいただき
本当にありがとうございました。

来年も皆様にとりまして、良いお年になりますように。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana








マレーシアの師走

昨日は家族総出で、大掃除を敢行した。

マレーシアでは、年末年始は12月31日まで仕事。
新年は1月1日のみが祝日で
仕事や学校も1月2日から始まる。

年越しのカウントダウンの花火はあるが
あとはいたって普通の日なのである。
日本のお正月の、あのキーンと冷えて厳粛な雰囲気が懐かしい。


それでも、日本人の私としては
ささやかでもお正月の雰囲気を味わいたい。
毎年私一人で奮闘していたので
今年は家族を駆り立てて大掃除をした。

それにしても、家族5人総出で掃除をしたというのに
なぜやってもやっても、終りが見えないのか(笑)
いかに普段、手を抜いているかが
きっぱりと証明されてしまったのだが。

家族にしてみれば、なぜこの時期に大掃除なのか
ピンと来ないらしい。
「お正月が来るから大掃除!」
という意識が無いので、どうもいまひとつテキパキと進まない(笑)
なので、私自身は掃除の実務よりも
家族に発破をかける役割になっていた。



結局、予定の半分ほどしか終わらなかったのだが
それでも家の気が明らかに変わり、清清しくなった。
日系スーパーで購入した鏡餅を備え
玄関にも小さなお飾りを飾って
ささやかなお正月の雰囲気になった我が家。
うんうん、とひとり満足している私である。
残りはまた、家族を駆り立てて、追々片付けることにしよう。


大晦日である今日は、中学校に進む娘のオリエンテーションがある。
一緒に中学校に行き、夕方から外出し
帰宅後は年越し蕎麦を食べる予定だ。



マレーシアの師走
つつながく終わりつつあることに感謝。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana










2018年12月30日日曜日

ハイヒールは優れたドクターである

金曜日は健康診断だった。

結果は問題無しで
お医者様も「非常に優秀です。」と太鼓判を押してくださった。

人間ドックとは異なり、簡単な健康診断なので
きっちり調べれば、何かしら引っかかるとは思うが
とにかく大きな病気の兆候がなかったのはありがたい。




検診結果の説明後 お医者様に
「とても引き締まって健康的ですが、ジムに通っていますか?」
と聞かれた。
「いいえ。ジムには行っていませんし、特別なことはしていません。
ダンスを少しと、ハイヒールで歩いているだけです。」

私の答えにお医者様は驚いたようだった。
「ハイヒール」というのが想定外だったらしい。(笑)
「体幹を使って歩くので、全身運動なのです。」
そう付け加えると、なるほど、と納得された。

私のクライアントも、毎月行っている体組成チェックで
筋肉量が急に上がって、クリニックの方に驚かれたそうだが
私自身も全く同じ事を体感している。



特別な事はしていない、とは言え
ストレッチと素足のエクササイズは毎日行っている。
これは特別な事ではなく、既に日常に組み込まれている。
人間なので、寝坊したり寝落ちして出来ないことはあるが
とにかく続けている。

断言するが、全く何もせず惰性で生きていては
美しさも健康も手にいれられる訳が無い。
まして年齢を重ねるほど
悲しいことに劣化の速度は加速していくのだから。

一番良いのは、日常生活の中に
身体とマインドを鍛える術を組み込んでしまう事。
ハイヒールはその点、身体もマインドも鍛えられる優れものなのだ。




ハイヒールを履いてみると分かるが
身体の癖や弱いところが見事に炙り出される。
まるで優秀なドクターのように。
ただしハイヒールを正しく履くと、だが。

金曜の夜、本当に久しぶりに師匠のハイヒールレッスンを受け
12センチのクラシックタイプのルブタンで挑戦したのだが
上半身が左に回る癖が顕著に現れていた。


この頃、左の大転子(腿の付け根の一番出っ張っているところ)の辺りに
鈍い痛みを感じることがあり、原因を探っていた。

実は私の脚は左がほんの僅か長く、左の骨盤が後ろに引かれがちだ。
骨盤につられて、上半身も左に回りやすい。
それが左の股関節と大転子周辺に影響をしていた。


レッスンで左に回る癖を指摘され
12センチのルブタンで骨盤と上半身を真っ直ぐにしようとすると
とんでもなくきつくて、全身汗だくになるほどだ。
だがレッスンが終わってみると、とてもすっきりして
左大転子の痛みがほぼ、無くなっていたのである。
これは決して、誇張ではない。

昨日はExchangeがあり、そこでも左半身と骨盤を意識して
12センチでレッスンしたところ
今日は痛みが出なかった。



ハイヒールの哲学では
身体はひとつのユニットである、と説いている。
ほんの僅かな癖の修正をすることで、身体のパーツが
あるべき箇所に嵌ると、本当に瞬時に痛みや違和感が無くなるのである。

ハイヒール信者の戯言だと思われても構わないが
「そんなの信じられない。この人ハイヒールコーチだから
いい事しか言わないんでしょ。」
と取り合わないのか。
「本当にそうなの?じゃあ、試してみようかな。」
と思ってハイヒールの門を叩いてみるのか。

美と健康の両方を手に入れられるのはどちらだろうか?




門は叩いた者にしか開かれない。
2019年を、美と健康の年にしたいと思われている方は
今がチャンスである。
新しい年を、ハイヒールと共に歩み始め
てはいかがだろうか。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





















2018年12月27日木曜日

本当にハイヒールで歩けるようになるのか

本当にこれを履いて、美しく歩けるようになるのだろうか。

そう思ったのはちょうど1年前。
ボーナスをつぎ込んで購入した10センチのハイヒール。
今まで経験したことの無い高さで、初挑戦のポインテッドトウ。
更にいつもよりハーフサイズ小さい。

初めてが満載のハイヒールを前に
期待と不安で一杯だったのを思い出す。





もしも今、ハイヒールを履いてみたいけれど
本当に出来るだろうかと逡巡している方がいらっしゃるなら
安心していただきたい。
1年前は、私もあなたと全く同じだった。

今、あの頃の不安が嘘のように
10cmのハイヒールで歩く自分がいる。
もちろん、簡単ではないし、一歩一歩の意識は欠かせない。
だが、自分には無理だろうと思っていたハイヒールを
履いて歩くことが出来ている。
1年前とは、何と大きな違いだろうか。



そして今は、麗しい12センチのルブタンが私の手元にある。
これも1年前には、全く予想していなかった事だ。
私がルブタンに足を入れるとは。
もっともこちらは毎日、ご機嫌伺いをしては撃沈しているのだが。




出来ないとか、無理だとか
決めつけているのは自分なのだ。
自分自身に制限をかけることで、安全圏を出ない理由を作って
今までの世界に留まることを選んでいる。

何か新しい挑戦をしようとする時
反対する人は必ず出てくる。
「ハイヒールウォ-キングなんて習って何になるの。」
「そんな事にお金をかけるなんて。」
「ハイヒールは身体に悪いって言うじゃない。」
断言するが、人の挑戦に水を差す人は
決して自分自身では挑戦していないのだ。




上手く行かなかったら?という不安は誰にでもある。
以前は私もしょっちゅう、この不安にとりつかれていた。
だが今はきっぱりと、言いきることが出来る

本当に上手くいかなかったら、その時に初めて考えればいい。




先案じの不安に囚われて、やりたいことに挑戦しないほうが
人生何倍もの損をする。
ハイヒールを履いてみたいと思うなら
思い切って飛び込んでみる。
その勇気が、自分が想像していた以上の、美しい世界の扉を開く鍵になる。





マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana














2018年12月26日水曜日

凍てついた銀の薔薇 La fille de Berlin

日付が変わってしまったが、昨日はクリスマス。
マレーシアは祝日であった。
常夏のクリスマスの事を綴ろうかと思ったが
La son de la Merの海音さんからの
素晴らしいクリスマスプレゼントを拝聴し
何か美しいものについて綴りたくなった。






その世界観だけで、たまらなく手に入れたくなる物がある。
実用性だとか、コストパフォーマンスなどという陳腐な言葉を
歯牙にもかけず、ただ その世界観で、強烈な引力を放つもの。

Christian Louboutinの靴などは、間違いなくそういう物であるが、
もうひとつ、私が長年惹かれてやまない世界観が
Serge Lutensの香水であった。




La Fille de Berlin



いにしえのベルリン。幻想の都市。
ディナージャケットを着てたたずむ少女の姿。
彼女は棘を持つ花。干渉しない方たいい。
雪の上、銀色の薔薇が放つ慰めと情熱の香り。
- Serige Lutens Web Siteより-






雪と銀色の薔薇と真っ赤な香水
このヴィジュアルに出会った時の衝撃は忘れられない。
血のような、芳醇なワインのような
官能的な赤い香水。
何と美しいヴィジュアル!



白と赤と銀 それにラベルの黒
それは私が愛してやまない、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画
The Damned (邦題:地獄に堕ちた勇者ども)を彷彿とさせた。

こちらの映画については、いつか綴りたいと思うが
ドイツ版「華麗なる一族」とでも言うべき
ナチス台頭期のドイツを舞台にした
鉄鋼王一族の崩壊の物語である。

栄華と崩壊 絹のドレスと軍服
宝石と銃弾 そして死

当時の私の大好物だった、退廃の美学がたっぷりと詰め込まれた映画であり
その映画と香水のヴィジュアルが強烈に結びつき
いつか絶対、この香水を纏ってみたい。
そんな憧れの香水となったのだった。




だが「気体の宝石」と呼ばれる
Serge Lutensの香水は ハードルが高く思われ
憧れは憧れのまま、時間だけが何年も過ぎた。

もとより私は、嗅覚障害であり
香りが分からないのだから どんな香水を付けても
自分では合っているかどうか分からない。
だから何を付けても良さそうなものだが
私は知っていた。
今のままの私では、Serge Lutensの香水に負けると。



10月の東京
Christian Louboutinの靴を迎えた数日後。
Louboutinの靴に合う香りは、この香りしかない。
そんな直感のもと、やっと長年憧れた香水を手に入れた。

LoubiutinのハイヒールとLa Fille de Berlin
私にとってはこれ以上無いほど
完璧な美しい取り合わせである。
美しくも厳しく、私たちに相応しいお前になりなさいと
容赦なく渇を入れられている。

凍てついた銀の薔薇と情熱の赤い液体
私が手にするなら、それは繊細な銀ではなく
銀と見紛うほどに磨きぬかれた鋼鉄の薔薇かもしれない。





「地獄へ堕ちた勇者ども」と退廃のイメージを綴ったが
実際の香りは、薔薇をベースにしながら
すっきりと、ユニセックスですらあるらしい。
らしい、と言うのは人様からいただいたコメントが
そのようなものだからなのだが。

(ちなみにこの香水をつけ始めてから
男性からコメントをいただくことが増えた。
男性から香りについて誉められるのは、私史上前代未聞なのである。)


ああ、だからLa fille <少女>なのか。
大人の女性のように咲き誇る豪華な薔薇ではなく
時に少年にも見えるような少女のような、すっきりとした冬の薔薇。

少女のイメージの香水に、官能的な赤色。
この、一種背徳的な組み合わせを持ってくるとは
Serge Lutens氏は、素敵に変態なムッシュに違いない。



La Fille de Berlinを纏うようになって以来
もはやこれ意外は考えられず
他の香水を全て処分してしまった。
人も物も同じように、エネルギーが強い方が勝つのである。






マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





                                                     Monsieur Serge Lutens






































2018年12月23日日曜日

ルブタンの官能性

Christian Louboutinの12センチのクラシックタイプを購入して2ヶ月あまり。
未だ足を入れて慣らしている状態である。


最初は見ただけで、「これは無理でしょう。」と思った。
Louboutinの靴は甲幅が狭いと聞いていたし
私の足は開帳足で横にベタッと広がってしまっている。
とても入るとは思えなかった。

だがこの美しい靴を試してみたい誘惑に負けて
足を入れてみたところ、何と入ってしまった。
実際には「入った」というよりも、「押し込んだ」が正確なのだが。



ともあれ、足が入ったことで私のもとへやって来たLouboutin。
パテントの靴は皮が固いので、すぐに履いて歩ける訳ではなく
まずは足に馴染ませる必要がある。

最初はまるで、シンデレラの意地悪な姉のように
無理矢理足を畳むようにして押し込んでいた。
もともと幅が狭い作りの靴に、横広がりの足を入れているのだから
そのギチギチぶりは半端ではなく
正直、「これはSM?」と冷や汗をかく時もあった。



だが、そこはハイブランドのハイヒール。
皮の質がとても上質なのだろう
毎日足を入れているうちに、ちゃんと少しずつ伸びてきてくれた。
そして、さすがLouboutinだと感動したのだが
足へのフィットの仕方が、非常にエロティックなのである。

伸びてきたとはいえ、最初に足を入れる段階ではまだ固く
ギチッと足を締め付けている皮が
時間と共に体温で温められ、だんだんと足に馴染んでくる。
上質の皮が、ぴったりと吸い付くように足にフィットする感覚。
それが、何とも言えずエロティックでゾクゾクする。



「まるで足に吸い付くみたいで、最高にエロい。
やっぱりLouboutinは変態靴だわ。」
Skypeで日本の友人と通話している時、思わず口走ってしまい
「聞いてる分には面白いけど、そういう事を言うNanaさんが変態。」と
若干友人を引かせたが、あながち間違いではなかろうと
一人悦に入って、ニヤニヤしているこの頃である。


Louboutinのハイヒールが女性を最大限に美しく見せる理由。
それは、女性の脚を美しくみせるよう
計算され尽くしたデザインもさることながら
足を入れた時に、エロティックな感覚を呼び起こすからではないかと思う。

エロティックという言葉に、眉を顰める方もいらっしゃるかと思うが
私は全く意に介さない。
女性としての性を意識する事無しに、女性の美しさを開花させることは不可能であり
官能性が欠かせないからである。



このエロティックな靴は手強く
何度も脚捌きに挑戦しては、その度に撃沈している。
これほど、拇指球のピンポイントが求められる靴は無いのだが
外反母趾の右足が、やはりピンポイントで乗せにくい。

難攻不落の美女。
そんな趣の美しい靴に、挑戦し続ける毎日である。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana




































2018年12月21日金曜日

女性の性とハイヒール

朝、ハイヒールに足を入れた瞬間に感じた違和感。
いつもよりきつく感じ、足が浮腫んでいるのだと分かった。
歩いているうちに浮腫みは取れてきたのだが
お昼近くになって、浮腫みの原因が分かった。
生理が来たのだ。


女性とは切り離すことが出来ない生理。
私くらいの年齢になると、生理周期も乱れがちなので
いつ始まるのか予想がつきにくい時がある。

そんな時もハイヒールは敏感に、身体の変化を察知してくれた。


生理の時は足が浮腫みやすく、身体が重く感じる。
骨盤が開いて明らかに軸が取りにくい。
それでも、生理は女性にとって重要なデトックスの期間なので
無理をせず、生理期間中はハイヒールの高さを少し落としたりして
調整している。

軸が取り難くなるのは、私のクライアントの方々も同じようで
いつもパーフェクトな方が、急にガタガタな調子になり
体調を尋ねると「実は…」ということが多い。
そういう時は無理にレッスンを先に進めず
基本の脚捌きや腹筋の意識を再度入れながら、様子を見させていただく。



私は閉経までに、あと何回くらい生理がやってくるのか。
そう思うと残り少ない生理にも、懸命に働いている子宮や卵巣にも
愛おしさが湧いてくるのである。

閉経したら「上がり」などど言って
女性として終わったような表現がまかり通っているが
それは間違いだと断固として言い切らせていただく。
生殖能力は終りを迎えるが、イコール女性として終りでは無いのだから。

閉経しようが、あるいは病気や手術で子宮や卵巣を摘出しようが
女性としての性に変わりは無く
私たちは死ぬまで、女性として誇り高く生きてゆけば良い。



ハイヒールの哲学を学び、日々の生活にハイヒールを取り入れてから
女性の性を強く意識するようになった。

そもそも昔は、ハイヒールにロングヘアの女性が
女らしさを売り物にして媚びているようで、大嫌いだった。

今ではそれは、私の中にあった偏見だったと猛反省している。
もちろん、女を売り物にしている女性もいるだろうが、
全ての女性がそうではない。

むしろハイヒールを履くには、そしてハイヒールに相応しい女性であるには
見た目の華やかさや優雅なイメージとは真逆の
ストイックなコントロールが必要なのである。



女性の性を使って媚びるのではなく
女性という性を大切に、美しいものとして表現する。
それには何と言っても、ハイヒールが一番相応しいアイテムなのである。

せっかく女性に生まれてきたのだから
女性という性を最大限楽しみ、喜びを持って生きたい。
それは年齢が何歳になっても変わらない。



何歳になっても、ハイヒールを履いて美しくセクシーに。

今の私の目標である。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana










2018年12月20日木曜日

高価なドレスを纏わずとも

珍しく仕事帰りに映画を観に行った。

映画が始まるまで少し時間があったので
今年オープンしたFour Seasons Hotelに行き
ラウンジでお茶をした。

映画の開始時間が近くなり
移動するためにラウンジを出たところで
一人の美しいマダムとすれ違った。



その方はマレーシア人なのか
それとも近隣の外国からいらしたのか。
アジア人であることは間違いない。

背が高く、お召し物は胸元と背中が大きく開いた黒いドレス。
足元はアンクルストラップ付きのピンヒール。
高さは10cmだろう。
どちらも上質な物であるのが分かる。
全身黒の装いに、オリエンタルなオレンジレッドのクラッチバックが映えて
とてもエキゾチックな美しさであった。


私が思わずその方に目を奪われたのは
その方が大人の女性のゴージャスさとセクシーさを
余すことなく表現されていたからである。

年齢は恐らく私と同じくらいか、少し上だろう。
大胆に見せている背中は余分な脂肪が無く
非常に美しい背中であった。
背中は誤魔化しがきかないパーツであり
その部分が美しいということは、ご自分の身体のメンテナンスに
相当気を使っていらっしゃると思われる。


美しい背中は、大きく開いた胸元以上にセクシーだった。


それほど私を惹き付けた美しきマダム。
だが、思わず「ああ、惜しい!」と心の中で
嘆いてしまったことがある。

それは立ち姿と歩き方であった。


立っている時に膝の間が大きく開いたままであり
歩くとガツガツと大きな足音が響く。
とてもお美しく、成熟したゴージャスさを醸し出されていらっしゃるだけに
その歩きだけがとても残念であった。


もしもあのマダムがエレガンスな歩きをされていたら
マダムのオーラは誰もが圧倒されるものになっていただろうに。
どんなに高価で上質な物を纏っても
身のこなし、立ち方、歩き方が雑では
エレガンスは消えてしまう。

歩き方がどれほどの影響力を持つか
まさに、目の前で証明されてしまったのである。



私は、身に付けていた物どれ一つをとっても
あのマダムには遠く及ばない。
だが、たったひとつだけ、マダムがお持ちでないものを持っている。

それは ハイヒールで美しく歩くこと。



高価なドレスを纏わずとも
それ以上に自分をエレガンスにしてくれるもの
それが、ハイヒールで美しく歩くことなのである。

しかも、ハイヒールで美しく歩くことは
特別な人でなくても、誰でも身に付けられる。
正しい方法を、正しく伝えられる人から学び
コツコツ努力すれば、必ず。

自分の身体ひとつと、ハイヒール一足で
周りの女性とは圧倒的なまでに差をつけることが出来るのだから
これを知らないのは、女性としての人生の損である。



嘘だと思われる方は、街を行く女性の歩きを
注意して観察してみるといい。
見事なまでに、美しく歩いている女性がいないのに
きっと驚かれるだろう。
その中で、もしも貴女がハイヒールで美しく歩いていたら。

ほんの少しだけ想像力を働かせてみていただきたい。



美しいハイヒールで 美しく歩くこと
それは何よりも、あなたの美しさを揺るぎないものにする。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





























2018年12月18日火曜日

ハイヒールとベリーダンス

今日は2週間ぶりのベリーダンスのレッスン。
久しぶりに音楽に合わせて思いっきり身体を動かすのは
とても気持ちが良かった。




私が愛するものふたつ。
ハイヒールとベリーダンス


どちらも遅いスタートだった。
ベリーダンスは44歳で習い始め
ハイヒールは48歳で本格的に足を入れた。


何となく踊るのは好きだったが、ダンスを習ったことは無く
まさか40歳を過ぎて、お腹を出して踊るとは思っていなかったし
ハイヒールは私には無理だとずっと思いこんでいたものだ。

初めは出来るかどうか不安だった。
挑戦してみたら、時間はかかったが
決して無理ではなかった。
今では両方とも、私にとってなくてはならない物になっている。




ハイヒールウォーキングとベリーダンスでは
真逆の身体の使い方をする。
ハイヒールウォーキングでは、骨盤は動かさず
上半身も揺れないようにし、腕は大きく振らない。
静と動を表現するのは膝、そして脚の捌きである。


一方ベリーダンスは骨盤の動きが重要となる。
骨盤だけでなく、身体のあらゆる箇所を動かし
振動させ、うねらせる。


全く逆の身体の使い方のようだが、実はコアの部分では共通点も多い。
身体の軸を司ること。
全身の筋肉をコントロールすること。
正しいポジションで、正しい動かし方をしないと
身体に痛みが出てしまうこと。
女性の性を肯定し、開花させること。
まだまだ考えれば、沢山出てきそうだ。





私の場合は、ハイヒールとベリーダンス両方をやることで
相乗効果を得られたことが多い。
例えば、ハイヒールのエクササイズやレッスンを行ううち
身体のコアの意識が取りやすくなり
足裏の筋肉が鍛えられて、踊りやすくなった。

逆にベリーダンスをしていることで
リズム感が養われたようで
ハイヒールの歩きにもリズムの意識を取り入れやすくなった。




だが一番の効果は、何と言っても「自信」だろう。
それまでは常に自信がなく
振り付けが覚えられなかったり、間違えると
そのたびに「ダメだなあ。」と自分にダメ出しをしていた。


しかしハイヒールレッスンを受けたことで
自分には無理と思っていたハイヒールが履けるようになった。
その自信と、挑戦することの醍醐味を得て
以前より堂々と踊れるようになった。
「私には出来ない。」という自分の作った縛りを断ち切って
自分の感じたことを、身体を通じて表現することに躊躇が無くなったのだ。

それはとても気持ちがよく、自由で
私が欲しかったのはこれだ!と、やっと分かった。
もっとも、気分良く踊っていても
ビデオに撮って見ると、全然動きとして表現しきれておらず
冷や汗をかくのが常なのだが。
これは練習するしかない。




ハイヒールは全てにおいて抑制を効かせ
一旦己の内にグッと圧縮させたものを
狙いを定めて放出し
ベリーダンスは感じたものをそのまま、ダイレクトに外へと表現する。

分かりにくい表現になってしまったが、この二つの似て異なる表現方法。
どちらも私にとって心地よく
この二つがあるからこそ、私なのだと思う。




もしもあの時、「私には無理」と諦めていたら
私を表現する二つの大きな柱を、得ることは出来なかった。
人生で起きる全ての物事は繋がっている。
ハイヒールとダンスにおいても、この事を強く感じるのである。


何か挑戦してみたい事があるなら
躊躇わずに一歩を踏み出すことだ。






マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana























2018年12月16日日曜日

扉を開けろ

誰と出会うかで人生が変わる。
それと同じくらい、どのような本を手にするかで人生が変わる。

人との出会いがご縁であるように
本との出会いもまた、ひとつのご縁である。



表紙を開いて読み始めた時から、引きずり込まれるように読み進み
一気に読み終わった本。


扉を開けろ 小西忠禮の突破力


1967年 単身パリに渡り、ホテルリッツ初の日本人料理人となり
ココ・シャネルの最後の晩餐を作った料理人。
ホテルリッツ後も欧州の超一流ホテルで料理人として活躍し
日本でも輝かしい実績を残したが、
還暦を期に「これからは世の中に恩返しをする番」と引退し、
幼稚園の理事長に転身した。

「人生の扉で簡単に開くものは無い。
もし簡単に開くとしたら、それはあなたを成長させる節目の扉ではない。」

その言葉どおり、不可能だと思えるほどの重い扉を
いくつも開いてきた小西氏。
その生き様、言葉に、頭を殴られたような衝撃を受けた。



まだ日本人の海外渡航そのものが、非常に困難だった時代。
これからは世界だ。という信念のもと
文字通り身を粉にして働き、貯めたお金で片道航路の切符を買い
400ドルの資金だけを手に、単身パリに乗り込んだ。
夢は ホテルリッツの料理人になること。

フランス語は全く話せず、仕事も無く
市場で物乞いをし、落ちている食べ物を拾っては飢えをしのぐ日々。
ある日思い切って、いつも前を通るビストロの美しいマダムに
仕事を探していると話しかけた。
最初は冷たく断られたが、粘り強く通い続け
とうとうビストロで職を得る。

ビストロで働きながらも、リッツで働くという夢は決して諦めず
1年半リッツに通い続け、遂に日本人として初めて
ホテルリッツの料理人として就職した。



彼が20代の頃作ったという、自分を戒める十の原理原則がある
1.人生に近道はない
2.手繰り寄せる行動を取る
3.どんな時も前を向く行動力を持つ
4.全力で取り組む
5.何をやるにも舞台は世界だ
6.凡時徹底
7.とことん考えて、天地自然の理に従う
8.本物を見続ける
9.損得ではなく、常に善意生きる
10.必ず世のため人の為に生きる

それぞれどんなものか、興味がある方はぜひ本書をお読みいただきたい。




実はこの本を読み始めてすぐ、我が師匠がホテルリッツのお写真と共に
こちらのBlogを綴られていた。

仕事とは何であるか

あまりの偶然に、思わず笑みが零れてしまったのだが
実は我が師匠が常々口にされていることも
小西氏の十の原理原則とピタリと当てはまる。
そして、先日セミナーをご一緒させていただいた
Maglieさんが仰っていらしたこともまた、同じことであった。




一流とは、仕事とは何であるか。
仕事とは信念であると思う。
その信念は己の欲の為ではなく、必要としてくださる人のため
自分が何が出来るのか。何をその人にして差し上げたいか。
その信念をあるひとつの職種に落とし込んでいったものが仕事であり
落とし込み続けた行動が結果となり、結果の積み重ねが生き様となる。

私も、私を必要としてくださる方のために
全力で仕事をしてゆきたい。


久しぶりにエネルギーに満ちた本に出会い
幸せな数日であった。





マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana









2018年12月15日土曜日

C'Est La Vie

日本にいる大切な友の誕生日

お互いの誕生日に、誕生祝いのメールを送り合い
今、健康であることへの感謝と、お互いの成長を祈りあう
私と大切な友人の、毎年の恒例行事である。



人生は誰と出会うかで、その質が決まる。
誰の言葉だったか忘れたが、人生の折り返し点を過ぎてから
この言葉の重みを、しみじみと感じている。

大人になればなるほど、本当に心から信頼し合える友を得ることは
難しくなってくる。
だからこそ、心を許し自分をさらけ出せる友の存在が
本当に有り難い。




素直に何でも話すことが出来て
時にその人の目の前で泣くことも出来る。
ある時は私を叱ることも厭わない。

何でも話すこと、というのは
何もかも相手にぶちまけることではない。
構えたり格好付けることなく
率直に何でも話し合える、という意味である。

そんな友との語らいは、何物にも換え難く
どんなに距離が離れていても、メールの文字からも
気持ちが通じているのが分かる。
一時帰国で会った時は、まるで先週会ったばかりのように
同じ空気感で話が出来る。
それがたまらなく心地よい。


愛する素晴らしい友を得たこと。
これは私の人生の、かけがえのない宝物だ。



Blogを綴りながら、この歌が聴きたくなり
Youtubeで検索してみた。
エネルギーが落ちた時、時々この歌を流しては踊っている。




Khaled - C'Est La Vie



人生はダンスのようだ。
ソロで踊っている時もあれば、デュエットの時も
群舞の時もある。
喜びに震えながら踊ることも
悲しみに打ちひしがれ、もう踊れないと思うこともある。
新しく舞台に現れる人もいれば
出番を終えて舞台を降りて行く人もいる。

それでも私達は踊り続ける。
人生という素晴らしき舞台の幕が下りるまで。


On va s'aimer on va danser
Oui c'est la vie lalalalala...




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana






2018年12月14日金曜日

コンプレックスが武器に変わる時

なぜ日本人女性は中年以降 くすんだ色のダボっとした服を着るのか
こちらの投稿で、日本人特有の「ダボズル系」ファッションについて
綴ってみた。


そういえば私も、ずっと身体の線を隠す服を着ていた。
それもうら若い10代の頃に。

中高生の頃は、誰でも多少はぽっちゃりしているものであり
それがパツッとした若さの魅力なのだが
思春期真っ只中の乙女(笑)にとって自分の体型は
深刻なお悩みの元凶であったりする。


私は父親似のがっちりした体型が大嫌いだったし
特に脚に関しては、絶望的に良いところが無いと思っていた。


筋肉質な上に太くて
太腿の間には僅かな隙間すら無かったし
ジーンズを履けば、脹脛で引っかかってしまい
それ以上引き上げることが出来ないという有様。

せめて長さがそれなりであれば、まだ救いはあったが
典型的日本人体型の昭和生まれとの悲しさ
胴と脚の比率は言わずもがな、であった。


ボンレスハムのような自分の脚を呪いながら過ごしたあの頃。
当時はビッグシルエットの服が流行っていたこともあり
私の服こそが見事に「ダボズル」系であった。
そして色は黒。クローゼットの中は見事に真っ黒。
黒を着ていれば格好良く、痩せて見えるだろうという
若さゆえの勘違いMAXぶり。


真っ黒でダボっとしてズルっとした服を着た
ガチムチ体型の女子。
これほど太って見える組み合わせは無いのだが
当時はそれが自分の定番だった。
今思い出すと、苦笑いしか浮かばない。



なぜ自分の身体を「隠す」のか。
宗教的な理由がある人は別として
そこには必ず「恥」の心理がある。
こんなに太っている私は恥ずかしい。
太い脚はみっともない。たるんだ二の腕が醜い。
だから見せたくない。
多かれ少なかれ、自分の身体を「恥」だと思っている。


そして自分を「恥」だと思う心理がある限り
どんなにおしゃれをしても、流行を追いかけても
プロにコーディネートをしてもらっても
絶対に心から満足することは無い。
これは、私自身が自分を振り返っても、全くその通りだったので
本当に良く分かるのである。


自分を「恥」だと思う心理。
これこそが日本人特有の心理であり
男女問わず、意識の改革をしたほうが良い部分であると思う。

何故なら、日本人とは比べ物にならないほど
高い肥満率のマレーシアで
自分は太っていて恥ずかしい、みっともないという感覚が
全く無いのである。

イスラム系の人はともかく、それ以外の宗教の人は
かなりの肥満体型でも堂々とミニスカートやノースリーブを着ているし
それが恥ずかしいなどどは微塵も思っていない。
「着たいから着る。」それだけなのである。
また、それを揶揄する人もいない。



今、私はミニスカートを纏い
あれほど大嫌いで
切り落として取り替えたいとさえ思っていた脚を晒している。
それどころか、ハイヒールコーチとして
脚は大切な商売道具になった。

自分の脚をクライアントに見せるなど、まして
「私の脚捌きを見てください。」と言えるようになるなど
ほんの1年前までは、思いもしなかった事だ。

ハイヒールコーチをしています、と言うと
「だから脚が引き締まってかっこいいんですね。」と
人に言われるようになった。



ハイヒールで歩く練習をコツコツと続け
毎日毎日、鏡で脚を見て
脚と歩きを意識しながら過ごすうちに
ハイヒールのおかげで、脚のラインが変わってきた。

脚が劇的に細くなった訳ではない。
やはり太めで筋肉質で力強く、ハイヒールを履くと
それはそれは見事なヒラメ筋がくっきりと浮かび上がる。

でもそれが恥ずかしいとは思わなくなった。

これが私の脚。そう思えるようになった時
生まれて初めて、自分の脚が好きになった。
脚のラインが変わった事よりも
自分のマインドが変わったことが、とてつもなく大きい。



コンプレックスだった脚は、私の武器になった。




女性は特に、外見のコンプレックスを抱えやすい。
だがコンプレックスを抱える部分こそが
その人の魅力であることが多い。

コンプレックスが自信に変わる時
生きる世界ががらっと変わる。
冗談ではなく、まるで生まれ変わったように
それまでとは違う世界が見えてくるのだ。


この世界を、一人でも多くの女性に知っていただきたいと思う。




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana




































2018年12月11日火曜日

なぜ 中年以降の日本人女性は くすんだ色のダボっとした服を着るのか

先日、日本からのお客様のアテンドで
初めて「クアラルンプール観光」のパッケージツアーに同行した。

長年住んでいても意外と「観光スポット」には行かないもので
観光客気分を味わえたのが新鮮だった。
が、どうにも気になって仕方が無かったことがある。



なぜ 中年以降の日本人女性は くすんだ色のダボっとした服を着るのか???



私より少しお姉さまの年代(50代後半~60代)は特に
ダボっとしたチュニック、またはTシャツ
更にダボっとした羽織もの
ダボっとしたパンツ または ズルっとしたロングスカート
スニーカー
首まわりに無造作に巻きつけた「巻きモノ」

と、全体的に身体の線を隠す「ダボ&ズル」系のお洋服が圧倒的に多く
しかもくすんだ、曖昧な色合いばかりだった。
このコーディネートの方は思いのほか多く
遠くから見ると、一目で「日本人観光客」と分かる。


確かにマレーシアは暑いし、旅先では動きやすく歩きやすい装いが
優先されるのだろうが
あまりにも「楽」を優先順位の上位に持って来すぎではなかろうか。



年齢を重ねると、余分な脂肪があちこちにつき
身体の線が曖昧になる。
私も思い当たる節があるお年頃なので
そこもここも、隠したい女心は分かるのだが
隠したい一心で全身ルーズな服を着ると
もれなく、「もっさりしたオバサン」の出来上がりである。



更に色合いがくすんだ色、曖昧な色だと
隠しようのない生活感が滲み出てしまう。
特に「ナチュラルカラー」と称する、黄みがかったくすみ色は危険である。


若いお嬢さんなら、肌に充分なハリと艶があるので
多少くすみ色でも、曖昧なナチュラルカラーでもメリハリがつく。
だが中年になると、肌の艶そのものが減ってしまうので
そこにくすんだ色を持ってくると
たちまち「疲れたオバサン」が出現する。
かように大人のカジュアルは、実はとても難しい。


どうしても「隠す」方向に走りがちな中年以降の体型の変化だが
印象を決めるのは、太い細いではなく、全体のシルエットである。
隠そうとするあまり、ルーズなお洋服ばかりを着るのは
全く逆効果なのである。



大人の女性は、年齢を重ねるほどに「攻め」「綺麗目」を取り入れる
努力をしたほうが良いと思う。
全身ダボ&ズルではなく
どこかひとつはシルエットが綺麗に見えるアイテムにする。
綺麗な色を投入する
大ぶりアクセサリーで視線を逸らす
巻物を投入するなら、色や柄で遊ぶ

などなど、工夫のしようはいくらでもある。
そもそも、隠そうなどとしなくていいのだ。
大人が身体の線を出してはいけない
明るい色を着てはいけないなどというルールは、どこにもないのだから。
全ては自分の思い込みだけである。


ついでに言えば、クアラルンプール市内と近郊の観光なら
トレッキングのようなスニーカーは不要である。
クアラルンプールは道路の状態が悪いので
ハイヒールでの外歩きはお勧めしないが
最近では歩きやすくデザインの良いローヒールや
フラットシューズが沢山ある。
スニーカーではなく、足元を変えるだけで
見違えるように印象が変化する。



ご一緒したお姉さま方は皆、経済的にも自立し
明るくしっかりとした方ばかりだった。
全く余計なおせっかいではあるが
皆様魅力的な方だけに、もっさりと見えてしまうお召し物が
とても勿体無いと感じた。
多少むっちりとしていようが、たるみがあろうが
思い切って堂々と出してしまったほうが、スッキリと見えるものだ。


華美に着飾る必要は無いが
大人の女性ならではの貫禄と遊び心を
旅先の装いでも表現できたなら。
きっと旅がもっと思い出深くなるに違いないと思う。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana












2018年12月8日土曜日

マレー半島東海岸へ

今日は出張で、マレー半島東海岸の街に来た。

数年前に訪れた事がある街。
一応、州都なのだが、こじんまりとした小さな街は
昔のクアラルンプールもこうだったのだろうな、という
のんびりとした時代の空気が残っている。


明日の朝、少し街を散策してみようと思う。

マレーシアの東海岸より愛を込めて
Nana


2018年12月7日金曜日

垣間見る未来の姿

ハイヒールコーチになって良かったと思うこと。


それは、クライアントから体重が減ったとか
歩く時にカツカツという靴音がしなくなってきたとか
嬉しいお話を聞かせていただくこと。

ハイヒールの正しい歩き方をトレーニングすれば
身体は必ず結果を出してくれる。
数字が示すハイヒールの恩恵で綴ったように
絶対的に客観的な数値として現れる恩恵である。




だが実は、それ以上に嬉しく、鳥肌が立つような感動を覚える一瞬がある。



東京で対面レッスンを行った時のこと。
最後に仕上げとして、クライアントお一人で一往復歩いていただいた。
もちろん、まだまだ初心者であり
歩き方としてはぎこちないことを承知の上でだが。


頭を誇り高く上げて、ゆったりと 自信を持って
バランスを崩しそうになっても、決して顔に出さず
平然と壁に手を付いて、続けてください。

今日一番の美しい歩きをなさってください。


そうお話しして、まず私が歩き
それを受ける形で、クライアントに歩いていただいた。


一歩、二歩、最初は恐る恐る足を運んでいた彼女が
ある瞬間、ぐっと前を見据えた時。
その瞬間に彼女から醸し出されたオーラは、紛れも無く
自らの力で立ち、人生を歩んでゆく
自立した女性のオーラだった。


鳥肌が立った。


一往復歩き終え、こちらを振り向いた彼女の表情は
ほんの1分前とは、全く違った自信を湛えていた。

実はこの時、見学者がいらっしゃったのだが
彼女が歩き終えた時、誰からともなく拍手が起こった。
それほど、見ている人の感動を呼ぶほど
彼女から放たれるオーラは、先ほどとは異なっていたのだ。




レッスンを重ねていく中で、ある時
クライアントの持つ雰囲気が、がらりと変わる瞬間がある。

それはまるで、厚い雲に覆われていた空から
黄金色の光が さっと差し込むのにも似て
「来た!」と私の中で何かが叫び、ぞくりと鳥肌が立つ。


ある方は芯の強さ、ある方は限りない温かさ。
人によって醸し出されるものは全く異なるが
その瞬間を眼にするたび
これがクライアントの本来の姿であり
今までずっと埋もれていた姿なのだと確信する。

クライアントご自身もまだ見たことが無い
未来の姿を一番に見られること。
これが、ハイヒールコーチになって良かったと
心から喜びを感じる事である。




因みに、先に綴ったクライアントは
ご両親と同居なさっていたのだが
対面レッスン後 ひと月あまりで、
ご実家から独立され 一人暮らしを始められた。

有り得ないほどトントン拍子に、理想的な物件が見つかり
あっという間に実現した独立であった。


レッスンで一瞬見せた、「自立した女性のオーラ」は
紛れも無く、彼女本来の姿だったのだ。
人は、本来の姿で生き始めた時
周りの現実も、その姿に相応しい環境となってゆく。


数字では表すことが出来ず、非常に直感的なのだが
これもまた、ハイヒールの恩恵である。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana
















2018年12月5日水曜日

数字が証明する恩恵

ハイヒールで歩くとはスポーツである。

ハイヒールで正しく歩くと、本当に全身の筋肉を使い
スポーツ並みに身体が鍛えられる。

まさか、と思われる方は
これから綴るクライアントの実体験をお読みいただきたい。

ハイヒールレッスンを始めて1ヶ月あまりのクライアント。
この方は毎月、クリニックで体組成を計っていらっしゃるのだが
ハイヒールレッスンを始めてから急に筋肉量が増え
逆に体脂肪率は減ったそうだ。

あまりの変化に、クリニックの方が
「何をやったんですか?」と聞いたそうだ。
ハイヒールウォーキングと答えたら驚かれたとか。

彼女は私の門を叩く前に既に
日常的に10センチのハイヒールを履いていらっしゃったが
今まではハイヒールを履いていても
このようなデータの変化は無かったという。

ハイヒールで正しく歩くことが、いかに全身の筋肉を使うか。
医学的にきちんとしたデータとして証明された訳だ。



また、別のクライアントは
ジムの筋トレに加えてハイヒールレッスンを始めてから
体重がするすると落ち、BMIが標準値になられた。

ご本人の了承を得てシェアさせていただくが
「生まれてからずっとデブだった。」という彼女が
ほんの3ヶ月で、生まれて初めてBMIが標準値になったのだ。

数値が全てではないが、数値は客観的に自分を知ることが出来る。
ご自分の努力と変化が、客観的に証明された。
その嬉しさは、大げさではなく、生きる世界が変わられたと仰る。

視覚的にも効果がはっきり現れて
レッスンを始めて2ヶ月ほどで、後ろから拝見すると
くっきりとくびれが出来ていた。

「デブ」から「グラマラス」な女性へと変化しつつある彼女は
体重や体型の変化だけではなく
ご自身の環境もがらっと変わられた。
どのように変わられたかは、別の機会に綴らせていただくが
ハイヒールで正しく、美しく歩く努力をされると
「何となく」ではなく、実際に数値として現れるほど変化がある。



身体は放っておけば、どんどん老化してゆく。
ストイックに黙々と鍛えるのもひとつの方法だが
せっかく女性として生まれたのだから
美しくなりながら、身体も鍛えられるほうが嬉しいではないか。


ハイヒールの恩恵を信じるも信じないも自由だが
チャンスがあるなら、乗らない手は無いと思う。

美しさも 健康も、全てはやるか、やらないか。
物事は極めてシンプルである。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana












2018年12月4日火曜日

気持ち悪くて奇妙で 堪らなく惹き付けられる

これだけは絶対!
そう決めていた映画をやっと観に行った。

伝説のロックスター、Freddie MercuryとQueenの映画
Bohemian Rhapsody
「Redio Ga Ga」をリアルタイムで聴き、
Live Aidに熱狂した世代としては
絶対に見逃せない映画である。


以前からこのBlogをお読みいただいていた方はご存知だと思うが
私は80年代ロックバカだ。

私がリアルタイムでロックバカをやっていた頃
Queenは既にBig Nameのバンドだったが
私はファンではなかった。

だが今、Queenの曲の数々を聴くと
フレディーの歌とバンドのサウンドは
決して色褪せず、時を越えて胸を打つ。
最近ではQueenのベスト版ばかり聴いていた。


そんな訳で非常に楽しみにしていた映画。
当然、普通の映画とは気合の入れ方が違う。
着ていく服にもロックらしさにこだわり
お気に入りのHard Rock Cafe CoutureのTシャツ
(翼の付いたハーレーに跨る骸骨が格好良い)
ミニスカートにハイヒール
リストバンド代わりにスワロフスキーのスレイクブレスレット
という装いの私に、一緒に行った我が家の男性陣は
「どこに行くの?」と目を剥いた。(笑)



映画館に向かう車の中でも
Queenをガンガンに流して、
私がこうなると、家族はもはや何も言えない(笑)
気分が最高に盛り上がったところで、映画が始まった。
開始から程なく「Somebody to Love」が流れたところで
私は既に泣いていた。

Queenがデビューしたのは1973年
私でさえ幼稚園児だった時代だ。
映画では70年代から80年代の時代の空気感
バンドのメンバーの絆
そしてロックに命を捧げたFreddieの生き様が描かれていた。

クライマックスの1985年 Live Aidのコンサートシーンでは
音源に当時のオリジナルサウンドが使われていることもあって
本当に涙が止まらなかった。



先月、NHKでもQueenの特集があり
NHKなどめったに見ないのだが、この時ばかりは
録画してしっかり見た。

FreddieのアップがNHKで見られるなど
時代は変わったなと思いながら見ていたが
出演者のお一人が
「Freddie Mercuryが気持ち悪いんですよね。(笑)
独特の美学があるというか。」
とコメントしていて、思わずハタと膝を打った。


そう、その気持ち悪さ。よく分かる。
気持ち悪さが癖になるとでも言うのだろうか
それこそが彼の美学であり、Freddieのカリスマ性の源だった。

Freddieの歌が、30年、40年経っても色褪せないのは
そこに彼の生き様と美学があるからだ。
人は人の生き様に触れた時、心から感動し
惹き付けられる。


独特の美学を持ったロックスターは
プリンスを最後に、皆いなくなってしまった。
今、奇妙でクレイジーで、でも堪らなく惹き付けられる
そんなスターがいないのを残念に思う。


最後に、Queenの「I want to Break Free」のPVリンクを
こちらに貼っておく。

実は公開された当時、大嫌いだったPVなのだが
今見ると、愛すべきFreddieの気持ち悪さが堪能できる。
お髭のミニスカメイドと牧神を同時に演じる
訳の分からなさが素敵だ。
ちなみに共演は、英国ロイヤルバレエ団。
色々な意味で、確かにBreak FreeなPVではないだろうか。

PVのラスト、Freddieがクネクネと階段を上がりながら
ピョコンと片脚を上げるポーズが
とても愛らしく見えてしまう私なのである。



Queen  I want to Break Free

※閲覧注意! お髭のミニスカメイドが登場します。



Bravo!我が愛すべきFreddie Mercury!




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana


















2018年12月3日月曜日

心からのエレガンス ー Michiyoさん

Team AsamiコーチによるExchange。
先日のパートナーはEMBELLIRのMichiyoさん

皇室の方ですかと尋ねられるほど
気品とエレガンスを備えた方と評判のMichiyoさん。
事前のメールのやり取りさえも、美しく優雅な文章を綴られる方で
私は、緊張のあまり熱が出るのではないかと思ったほどだ。

Skypeを開くと、そこには穏やかな微笑みを浮かべた
美しい方がいらした。


お話に聞いていた以上の気品とエレガンス。
素晴らしいのはそれが決して嫌味ではなく
本当に自然にMichiyoさんから溢れてくることだ。

所作のひとつひとつが、とても美しく
エクササイズのために椅子を運ばれる姿さえ美しかった。
観察していた訳ではなく、目に入る姿が全て美しかったので
思わず見惚れてしまったのだ。


一瞬本気で、
「何を召し上がったら、そんなにエレガンスになれるのですか。」と
伺おうかと思ったほどだ。
ガサツな私は、食べ物でMichiyoさんのエレガンスが身につくなら
どんな物でも喜んで食べるだろう。
まあこれは冗談だが。


更に素晴らしいのはMichiyoさんのお声。
深みのある、美しい日本語の発音をされていらっしゃり
耳に非常に心地よい。
レッスンが始まると、美しい発音に凜とした迫力が加わり
気品のある威厳とはこういうものかと感じ入った。



レッスンではしっかりと私の癖を修正してくださり
各パートの合間では、必ず良かった点を上げてくださった。
クライアントにとっては、とてもモチベーションが上がる指導だと思う。


ハイヒールのスキルに加えて
エレガンスとは如何なるものかを学びたい方に
Michiyoさんのレッスンを心からお勧めする。



Michiyoさんだけでなく、先日のYukikoさん
それから以前Exchangeさせていただいたneneさん、カトリーヌさん。
皆様、努力家でしっかりと美学を持っていらっしゃり
とても温かいお人柄という共通点がある。

素晴らしい方々と交流出来る喜びに浸りながら
今回も名残惜しくSkypeを終了した。


Michiyoさん、素晴らしいひと時をありがとうございました。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana












2018年12月2日日曜日

なりたい自分に会いにゆく

プロフィール写真が出来上がった後
嬉しくて写真を何度も見返した。

今まで頭の中に漠然としていたイメージを
形にした、初めての経験だった。
何かをひとつ、作り上げたことが
堪らなく嬉しかったのだ。

嬉しさのあまり、何人かの友人にメールで写真を送り
感想を聞いてみた。
友人の一人がくれた
「これは、いつだったかNanaさんがなりたいって言ってた
凛とした女性だね。」
というメッセージにハッとし
目頭が熱くなるのが分かった。



そうだ。私はずっと前から
こういう女性になりたかった。
いや、彼女はずっと昔から、私の中にいたのだ。

自信が無く、自分が大嫌いだった若い頃
意気揚々とマレーシアに来たはいいが
異文化の中で、思わぬ孤独に襲われていた頃
子育てに忙殺されて、自分を後回しにしていた頃
他人に振り回されて萎縮し、自分には何の価値も無い
消えてしまいたいとさえ思っていた頃も

彼女は私の中にいた。
どんなに蓋をしても、彼女を消し去ることは出来なかった。
ここから出して欲しいと、ずっと訴えていたのに。
その声を聞こうとしなかったのは私。



コンサルティングを受けていた頃
師匠に言われたことがある。
コンサルティングが進むにつれ
私の感じがどんどん変わってきていると。
「これがやりたくて仕方がなかった。
早く出してくれ、出してくれと言う感じの速さなのです。」
師匠はそう仰った。

あの頃は師匠について行くのが精一杯で
一体何のことやら。だったのだが
今思えば、コンサルティングを受けようと決意したのも
必死で付いていく原動力をくれたのも
私の中の彼女だったのだ。



誰もが、なりたい自分を持っている。
ただ、そんな自分を心の中に閉じ込めて
色々な理由をつけては諦めている方が非常に多い。
私には無理。と

本当は無理ではない。
誰もがなりたい自分に出会い、そのとおりになれる。



私はハイヒールの哲学と出会い
ハイヒールと向き合う中で
ずっと閉じ込めていた私を見つけた。

生まれてから50年間
他のどんな方法でも、見つけられなかった私を
この1年で見つけて、外に出してあげられた。

これは嘘ではなく、誇張した宣伝でもない。
全て本当のことだ。



ハイヒールの哲学と、美しいルブタンのおかげで
やっと会えた
私の中のもうひとりの私。
私はこれから、彼女と共に
私の人生を歩んで行く。




なりたい自分があるなら。
女性として、いつまでも美しくありたいなら。
美しいハイヒールに挑戦してみること。

選択肢はたた二つ。
やるか、やらないか。
たったこれだけで、世界は大きく変わる。




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana