「前から思っていたんですけど、Nanaさんって声いいですね。」
先日、数年ぶりに日本の友人とスカイプで話した時のこと。
唐突な友人からの言葉に、一瞬、何と返したものか戸惑った。
戸惑いながらも、なんとか「ありがとう。」と返事をした。
以前の私なら、思いっきり否定していたに違いないが、
最近のモットーとして、褒め言葉は素直に受け取ることにしている。
戸惑った理由は、私は自分の声が好きではなく、
全然いいとは思っていないからだ。
実は以前にも声が良いと言われたことがあるが、
その時は思いっきり否定していた。
何度か、自分が話しているところを動画で撮ったことがあるが、
どれもこれも、一度見ると本当にへこんでしまうほど酷いものだった。
自分が映っている動画や、録音を聞くと、
私も多くの日本人女性と同じように、薄っぺらい発声をしているなと思う。
声のトーンはそんなに高くはないのだが、声に芯がない。
発音も気に入らないし、本当に気に入らないところだらけなのだ。
しかし、声の哲学を学び始めた今、このタイミングでの友人の言葉は、
私に声のポテンシャルがあることを教えてくれた。
友人は長年クラリネットを演奏していて、耳がいい。
その彼女が良い声だと言うのだから、信じるに値する。
しかも彼女は理系の脳の持ち主なので、分析が鋭く、お世辞は言わない。
こんなことも言ってくれた。
「声がいいから、話し方とか研究すれば、
とっても伝わりやすくなると思います。声のお仕事とかすればいいのに。」
彼女は私がコンサルティングを受けていることを知らなかった。
実は今、こんなことを勉強している、と打ち明けると、
それはいい、ぴったりだと喜んでくれた。
声の重要性。
分かる人にはやはり、分かるのだ。
今はまだ拙く、声を低く抑えながら抑揚をつけるのが難しい。
意識しているつもりでも、気を抜くとすぐ、声のトーンが上がってしまう。
私は、日本語は美しい言語だと思っている。
ただ、最近ではその美しさを伝える人がいない。
声の哲学は非常に難しいのだが、何とか日本語の美しさを、
自分の話す声に取り入れたい。
そう思って、声の哲学の練習に、「ある物」を投入することにした。
成果が出るかどうかは、私の毎日の練習にかかっている。
自分を磨けるのは、自分だけなのだから。
「ある物」が何かは、成果が出たらBlogでお伝えしたいと思っている。
マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana
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