2018年2月5日月曜日

声のポテンシャル

「前から思っていたんですけど、Nanaさんって声いいですね。」

先日、数年ぶりに日本の友人とスカイプで話した時のこと。
唐突な友人からの言葉に、一瞬、何と返したものか戸惑った。
戸惑いながらも、なんとか「ありがとう。」と返事をした。
以前の私なら、思いっきり否定していたに違いないが、
最近のモットーとして、褒め言葉は素直に受け取ることにしている。

戸惑った理由は、私は自分の声が好きではなく、
全然いいとは思っていないからだ。
実は以前にも声が良いと言われたことがあるが、
その時は思いっきり否定していた。

何度か、自分が話しているところを動画で撮ったことがあるが、
どれもこれも、一度見ると本当にへこんでしまうほど酷いものだった。

自分が映っている動画や、録音を聞くと、
私も多くの日本人女性と同じように、薄っぺらい発声をしているなと思う。
声のトーンはそんなに高くはないのだが、声に芯がない。
発音も気に入らないし、本当に気に入らないところだらけなのだ。



しかし、声の哲学を学び始めた今、このタイミングでの友人の言葉は、
私に声のポテンシャルがあることを教えてくれた。
友人は長年クラリネットを演奏していて、耳がいい。
その彼女が良い声だと言うのだから、信じるに値する。
しかも彼女は理系の脳の持ち主なので、分析が鋭く、お世辞は言わない。
こんなことも言ってくれた。

「声がいいから、話し方とか研究すれば、
とっても伝わりやすくなると思います。声のお仕事とかすればいいのに。」

彼女は私がコンサルティングを受けていることを知らなかった。
実は今、こんなことを勉強している、と打ち明けると、
それはいい、ぴったりだと喜んでくれた。

声の重要性。
分かる人にはやはり、分かるのだ。
今はまだ拙く、声を低く抑えながら抑揚をつけるのが難しい。
意識しているつもりでも、気を抜くとすぐ、声のトーンが上がってしまう。




私は、日本語は美しい言語だと思っている。
ただ、最近ではその美しさを伝える人がいない。
声の哲学は非常に難しいのだが、何とか日本語の美しさを、
自分の話す声に取り入れたい。

そう思って、声の哲学の練習に、「ある物」を投入することにした。
成果が出るかどうかは、私の毎日の練習にかかっている。
自分を磨けるのは、自分だけなのだから。

「ある物」が何かは、成果が出たらBlogでお伝えしたいと思っている。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





















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