2018年1月31日水曜日

Dear my son, Azumi

今日は長男の誕生日。
今日で20歳。日本では成人である。


彼の今までの人生は、私がマレーシアで過ごした人生と、ぴったり重なる。
結婚するためにマレーシアに移住し、結婚後すぐに長男を授かった。

当時はインターネットが普及していなかったので、
日本の妊娠、出産の情報と言えば、クアラルンプールで購入した1冊の本と、
友人からもらった、日本の妊婦雑誌数冊が頼りだった。


私はそれまで大きな病気や怪我をしたことが無く、
出産のための入院が、人生で初の入院だった。
健康には自信があり、妊娠中の経過も良かったため、
何の疑いも無く、自然分娩で簡単に出産が出来ると思っていた。
それは大きな誤算だったと、出産の時に思い知らされることになるのだが。



子宮口が開かず、陣痛促進剤を打ち、10時間近い陣痛の後。
会陰切開をして、あと1プッシュで全てOK、というところで、
胎児の頭がひっかかって出ないという事態になった。
3回吸引をしたが、やはりダメで、
どうやら臍の緒が首に巻き付いていたらしい。

緊急帝王切開が言い渡された。
緊張の糸が切れ、痛みに耐え切れずに叫ぶ私に、
「OK, It's OK」
と声をかけながら、
ドクターが会陰切開したところを、ブスブスと縫っていた感覚を覚えている。


午後10時半に出産。
全身麻酔による帝王切開だっため、長男に会えたのは翌日の午後だった。

やっと会えたわが子は、3回も吸引されて頭には吸引機の跡がつき、
頭の形が少し長くなっていた。
取り出された時は、既に手足が青く、冷たくなっていたというから、
頑張って生まれて来てくれたことが、本当に愛しかった。


が、赤ちゃんを見た次の瞬間


「おっぱいをあげなきゃ!」
と思った私は、いきなりベッドの上に起き上がった。
もちろん帝王切開後で、動ける状態ではなかったはずなのに、
人間の精神力というのは、時に物凄い力を発揮する。

側にいた看護師さんが、慌てて私を止め、
「全身麻酔で帝王切開して、起き上がった人は始めてよ。」
と呆れていた(笑)



そんな出産劇を経て始まった、長男との生活。
当時は専業主婦で、時間はたっぷりあったはずなのに、
彼が赤ちゃんだった頃、小さかったときのことは、
切れ切れにしか覚えていない。

それだけ、私自身がマレーシアでの生活に慣れるのに必死だったのだろう。
多分、子育ても必死だったのだと思うが、それすら覚えていない。
今思うと、本当にもったいなかった。
もっと子育てを楽しめばよかった。
正直、そう思うこともある。


小さい頃は甘えん坊で、繊細で泣き虫だった長男。
大きくなると、無口だけれど責任感の強い子になった。
目だったことはしなくても、なぜか人に頼られ、信頼される。
それは彼の美点だと思う。

その反面、やはり私の血を引いているだけあって、
なかなか強情で暴れん坊な顔を隠し持っている。




親子というが、実は親のほうが、子供に育てられていると思うこのごろ。
子供たちがいなかったら、きっと私はとんでもなく傲慢で、
ひとりよがりな人間になっていたに違いない。

3人の子供の中でも、先陣を切って私のもとへやって来てくれて、
何もかもが初めてのなか、一緒に奮闘してくれた長男。

4年ほど夫が単身赴任をし、子供たちと私だけの生活をした時。
私を支え、弟や妹にとって父親の役割までしてくれたのが、
当時10歳だった長男だった。
彼がいなかったら、到底乗り切れなかったことはいくつもある。


2年前、彼が大学に入るときに、
「あなたはママにとって、マレーシアで血が繋がった最初の家族。
ママのところに来てくれてありがとう。
あなたのことを心から誇りに思っているし、心から愛してる。」
と伝えた。
長男の返事は。「おう」だけだったけれど、
目が赤くなっているのを、私は見逃さなかった。




私の、親としてのステージのひとつは終わった。
あとは、自分の人生を行く彼の背中を押すだけ。
彼には、自分の魂に従い、情熱を持って、
どこでも好きなところに羽ばたいて欲しいと思っている。

私の新たな役割は、私の道を行き、私の生き様を見せること。
そして、彼が私の元に帰ってきたときはいつでも、
両手を広げて、お帰り、と迎えることだ。

いつでも、どこにいても、いくつになっても、
彼は私の、初めてのベイビーで、初めての血の繋がった家族なのだから。
私がこの世を去る瞬間まで、それは変らない。



お誕生日おめでとう。
そして、成人おめでとう。






Kepada Azumi yang anak mama tersayang,

Terima kasih pada lahir sebagai anak surung mama.
Mama sayang  dan sangat bangga Azumi yg tersayang.

Selamat Hari Jadi.
Semoga Tuhan kurniakan kamu.

mama






2018年1月28日日曜日

朝のストレッチ

今朝、ストレッチをしていて気付いたこと。

両肘を顔の前でつけてから開くエクササイズで、
右の肩甲骨が開きにくい。

先週のハイヒールレッスンで、どうにも身体が左に廻ってしまって、
修正に苦労したが、右の肩甲骨が開きにくいことも関係していると思った。

私は右足が外反母趾、開張足であり、横アーチが潰れている。
その証拠に、本来横アーチがあるべき場所に、小さいタコがある。
これが全ての原因なのだ。

足は体重の全てを支える大事なパーツ。
それに気付いたのは、ほんの2年ほど前。
遅すぎるくらいだ。
なぜ今までずっと、放っておいたのだろうと後悔しているが、
後悔しても仕方がない。
というか、知らなかったのだ。
外反母趾は、先の細い靴が原因と思い込んでいたし、
まさか足裏の筋力不足だなんて、思いもしなかった。

だからいつも裸足だろうが、サンダルだろうが、
足指は解放されていても、足裏は鍛えられる事なく、
知らないうちに開張足になっていた。


広がりきった私の右足の改善から、気長にやらなければならない。



今日はこれから出張のため、今日明日はブログの更新が滞ります。
Instagramには何か投稿をしようと思います。


2018年1月27日土曜日

欲しいものを欲しい、という大切さ

昨日は通訳の仕事で、日本から来たクライアントと一日外回りをしていた。
終日移動だったので、体力的にも疲れたが、
クライアントのアテンドで神経を使ったらしく、
帰宅してから倒れこむように横になり、そのまま眠ってしまった。

今日も疲れが残っていたのか、午前中はダンスのレッスンに行き、
午後は昼寝に充てて、ようやく動き出したのは夕方近くであった。



こちらの写真は、昨日の訪問先のひとつ。
ローカルの中華系ビジネスマンが経営するチャイニーズレストランで
いただいた一品。
実は、特別な縁起物で、旧正月の時期しか食べられず、
しかもマレーシアとシンガポールにしかないお料理である。







魚生 と書いて、イーサン と読む。
その名の通り、中華料理には珍しく、刺身が入っている。

なぜ魚かというと、「魚」は「余」という字と発音が同じなので、
「年年有魚(余)」つまり、毎年余るほどお金が入ってくる。という
縁起を担いでいるのだ。

魚の他に、野菜の千切り、くらげ、ピーナッツ、ポメロ(ザボン)、
パクチーなどの食材をプラムソースをかけてごちゃ混ぜにする、
「大変縁起の良い和え物」なのである。



この魚生、いただく前にちょっとした儀式(?)をする。
菜箸のように長い箸を全員で突っ込んでから、
捞起!(ローヘイ!)
と掛け声をかけて、一斉に高くすくい上げるようにして混ぜる。
ローヘイ、はすくい上げるの意味で、魚を取るときに網を投げるように、
福を呼び寄せるという意味があるそうだ。


更に、まぜながら、願い事を言うと良い。
「商売繁盛!」「健康長寿!」「良縁!」「美貌!」
などなど、全員が口々に願い事を言いながら(叫びながら)なので、
魚生を食べる時は賑やかなこと、この上ない。

当然、混ぜ終わった後はぐちゃぐちゃなのだが、
こうして皆の願いがたっぷり込められた魚生をいただいて、
新しい年の幸福と繁栄を祈るのだ。




中華系の方は元々声が大きいのだが、こう言う時は特に声が大きく、
誰も遠慮する人はいない(笑)

欲しいもの、願うものをはっきりと言うことに、全く躊躇がない。
欲しいものは?と聞かれれば、例えばお金が欲しければ
「お金!!!」
と、キッパリとした答えが返ってくるので、非常に分かりやすい。(笑)


「願いごとをはっきり言うのが魚生のマナーですから、
何でも遠慮せずどうぞ。」
と日本人クライアントには伝えたが、
それでも皆さん、若干腰が引けていたようである。(笑)
せっかくの機会なので、「事業成功!」とか「商談成立!」
とでも叫べば良いのに、とおせっかいな事を思ってしまった。



時々歯がゆくなるのは、日本人はせっかく良いものを持っているのに、
アピールが下手で、相手に伝わりにくい。
謙譲の精神は大変素晴らしいのだが、相手を立てることと、
アピールをしないことは全く別だと思う。
黙っていては、どんなに素晴らしいものを持っていても、
誰も分かってはくれないのだ。

欲しいものも同じ。
「本当は○○が欲しいけど、でも…」
「こんな事言ったら、おかしいと思われるかもしれないけど…」
などと、奥歯に物が挟まったような言い方をしていては、
欲しいものは得られない。



決して日本人を批判しているのではない。
外国人の真似をすることを薦めているのでもない。
私は、日本人であることを誇りに思っている。
だからこそ、もっと世界で日本人が活躍し、
日本の物が正当に評価されて欲しいと、心から願っている。
そのためには、私たちひとりひとりのマインドが非常に重要なのだから。

日本人の勤勉さ、研究熱心さ、応用力、モラルの高さ。
これらは長所として残し、更に世界で通用するだけの
コミュニケーション力、プレゼンテーション力、アピール力を
ぜひ養って欲しいと思う。



さて、話を魚生に戻すが、
私も遠慮なく願い事を叫ばせていただき、
しかも訪問先の会長手ずから、私のお皿に魚生を取り分けていただいた。
これは幸先が良いぞ、と勝手に解釈し、
私の願い事は必ず叶うに違いないと思っている。





マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana









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