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2018年12月16日日曜日

扉を開けろ

誰と出会うかで人生が変わる。
それと同じくらい、どのような本を手にするかで人生が変わる。

人との出会いがご縁であるように
本との出会いもまた、ひとつのご縁である。



表紙を開いて読み始めた時から、引きずり込まれるように読み進み
一気に読み終わった本。


扉を開けろ 小西忠禮の突破力


1967年 単身パリに渡り、ホテルリッツ初の日本人料理人となり
ココ・シャネルの最後の晩餐を作った料理人。
ホテルリッツ後も欧州の超一流ホテルで料理人として活躍し
日本でも輝かしい実績を残したが、
還暦を期に「これからは世の中に恩返しをする番」と引退し、
幼稚園の理事長に転身した。

「人生の扉で簡単に開くものは無い。
もし簡単に開くとしたら、それはあなたを成長させる節目の扉ではない。」

その言葉どおり、不可能だと思えるほどの重い扉を
いくつも開いてきた小西氏。
その生き様、言葉に、頭を殴られたような衝撃を受けた。



まだ日本人の海外渡航そのものが、非常に困難だった時代。
これからは世界だ。という信念のもと
文字通り身を粉にして働き、貯めたお金で片道航路の切符を買い
400ドルの資金だけを手に、単身パリに乗り込んだ。
夢は ホテルリッツの料理人になること。

フランス語は全く話せず、仕事も無く
市場で物乞いをし、落ちている食べ物を拾っては飢えをしのぐ日々。
ある日思い切って、いつも前を通るビストロの美しいマダムに
仕事を探していると話しかけた。
最初は冷たく断られたが、粘り強く通い続け
とうとうビストロで職を得る。

ビストロで働きながらも、リッツで働くという夢は決して諦めず
1年半リッツに通い続け、遂に日本人として初めて
ホテルリッツの料理人として就職した。



彼が20代の頃作ったという、自分を戒める十の原理原則がある
1.人生に近道はない
2.手繰り寄せる行動を取る
3.どんな時も前を向く行動力を持つ
4.全力で取り組む
5.何をやるにも舞台は世界だ
6.凡時徹底
7.とことん考えて、天地自然の理に従う
8.本物を見続ける
9.損得ではなく、常に善意生きる
10.必ず世のため人の為に生きる

それぞれどんなものか、興味がある方はぜひ本書をお読みいただきたい。




実はこの本を読み始めてすぐ、我が師匠がホテルリッツのお写真と共に
こちらのBlogを綴られていた。

仕事とは何であるか

あまりの偶然に、思わず笑みが零れてしまったのだが
実は我が師匠が常々口にされていることも
小西氏の十の原理原則とピタリと当てはまる。
そして、先日セミナーをご一緒させていただいた
Maglieさんが仰っていらしたこともまた、同じことであった。




一流とは、仕事とは何であるか。
仕事とは信念であると思う。
その信念は己の欲の為ではなく、必要としてくださる人のため
自分が何が出来るのか。何をその人にして差し上げたいか。
その信念をあるひとつの職種に落とし込んでいったものが仕事であり
落とし込み続けた行動が結果となり、結果の積み重ねが生き様となる。

私も、私を必要としてくださる方のために
全力で仕事をしてゆきたい。


久しぶりにエネルギーに満ちた本に出会い
幸せな数日であった。





マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana









2018年12月2日日曜日

なりたい自分に会いにゆく

プロフィール写真が出来上がった後
嬉しくて写真を何度も見返した。

今まで頭の中に漠然としていたイメージを
形にした、初めての経験だった。
何かをひとつ、作り上げたことが
堪らなく嬉しかったのだ。

嬉しさのあまり、何人かの友人にメールで写真を送り
感想を聞いてみた。
友人の一人がくれた
「これは、いつだったかNanaさんがなりたいって言ってた
凛とした女性だね。」
というメッセージにハッとし
目頭が熱くなるのが分かった。



そうだ。私はずっと前から
こういう女性になりたかった。
いや、彼女はずっと昔から、私の中にいたのだ。

自信が無く、自分が大嫌いだった若い頃
意気揚々とマレーシアに来たはいいが
異文化の中で、思わぬ孤独に襲われていた頃
子育てに忙殺されて、自分を後回しにしていた頃
他人に振り回されて萎縮し、自分には何の価値も無い
消えてしまいたいとさえ思っていた頃も

彼女は私の中にいた。
どんなに蓋をしても、彼女を消し去ることは出来なかった。
ここから出して欲しいと、ずっと訴えていたのに。
その声を聞こうとしなかったのは私。



コンサルティングを受けていた頃
師匠に言われたことがある。
コンサルティングが進むにつれ
私の感じがどんどん変わってきていると。
「これがやりたくて仕方がなかった。
早く出してくれ、出してくれと言う感じの速さなのです。」
師匠はそう仰った。

あの頃は師匠について行くのが精一杯で
一体何のことやら。だったのだが
今思えば、コンサルティングを受けようと決意したのも
必死で付いていく原動力をくれたのも
私の中の彼女だったのだ。



誰もが、なりたい自分を持っている。
ただ、そんな自分を心の中に閉じ込めて
色々な理由をつけては諦めている方が非常に多い。
私には無理。と

本当は無理ではない。
誰もがなりたい自分に出会い、そのとおりになれる。



私はハイヒールの哲学と出会い
ハイヒールと向き合う中で
ずっと閉じ込めていた私を見つけた。

生まれてから50年間
他のどんな方法でも、見つけられなかった私を
この1年で見つけて、外に出してあげられた。

これは嘘ではなく、誇張した宣伝でもない。
全て本当のことだ。



ハイヒールの哲学と、美しいルブタンのおかげで
やっと会えた
私の中のもうひとりの私。
私はこれから、彼女と共に
私の人生を歩んで行く。




なりたい自分があるなら。
女性として、いつまでも美しくありたいなら。
美しいハイヒールに挑戦してみること。

選択肢はたた二つ。
やるか、やらないか。
たったこれだけで、世界は大きく変わる。




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana

















2018年11月26日月曜日

生き様から学ぶ -Asami Parisセミナー

昨日の夕方 
Asami-Parisのセミナーに参加させていただいた。

実は直前まで仕事が入っており
間に合うかどうか、帰宅途中の車の中でハラハラしたが
開始10分前に帰宅し、PCを開くと同時にコールが入るという
絶妙なタイミングだった。

画面を開くとそこには、師匠をはじめ
コンサルティングの先輩であるneneさん
(髪を切られて、軽やかなお美しさが増されていました。)

初めてお顔を拝見した同期のMakiさん
(爽やかで知的なお美しさの女性でした!)

師匠のオートクチュールのクライアント様
(別のセミナーで同席させていただいたことがありました。)

そして大・大・大ファンであり、心から尊敬するMaglieさん
お顔があった。
(Maglieさんはアイコンでした。)



ギリギリの帰宅だったため、メイクを直す時間が無く
若干ドロっとした、残念な顔で画面に顔出ししてしまったのだが。

セミナーは深い学びと共に多くの笑いもあり
終了後に鏡を見たら、笑いすぎのため
既に崩れていたメイクが
更に酷いことになっていた。(苦笑)


セミナーでは異国でビジネスを立ち上げられた
師匠の経験に基づくお話に加え
Maglieさんの貴重なお話も伺うことが出来た。

ビジネスとは愛であるが、お花畑ではなく
決めたら迷わない覚悟と
ひたすら地道な作業の繰り返しであること。

自分を成長させる価格設定

エゴと向き合い、常に成長するために
心がけていること


数々の貴重なお話を伺うことができた。
何よりも、今回のセミナーで一番得たもの。
それは、一流のお仕事をされているお二人の女性から
生の声とエネルギーで、リアルタイムにお話を伺えた事であった。

どんなノウハウよりも、ビジネス書よりも
実際に地を這うような経験をされ
全てを血肉とされてきた方の実体験から
学ぶものは大きく、深い。

何を学ぶか、誰から学ぶか。
学びの質を決めるのは、「誰から学ぶか」が
非常に大きいと感じている。


師匠とMaglieさん、お二人から共通して感じたことは
愛、ご自身への誇り、誠実さ、謙虚さとあらゆるものへの敬意。

一流の方に共通するもの。
ここに触れられたことが、何よりも素晴らしく
同じセミナーの場に参加させていただいて
本当に幸せであった。



さて、インプットしたらアウトプット、が鉄則なので
昨日学んだことを自分に落とし込んで行動するのみである。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





2018年11月24日土曜日

旅について

10月の一時帰国の際、かねてから行きたいと思っていた
広島県の宮島と鞆の浦(仙酔島)に旅行をした。

一時帰国も旅行と言えばそうかもしれないが
片付けなければいけない用事があったり
両親に会いに行ったりして
純粋に楽しむための旅行 それも一人旅は
本当に何十年ぶり、だったかもしれない。


実は神戸より西に行った事のなかった私。
初めての宮島は、お天気も良く素晴らしい旅だった。
紅葉にはまだ早かったが、秋らしい爽やかな空気の中を散策し
美味しいものを食べ、充分に楽しんだ。




私は旅が好きだ。
だから、あちこち飛び回りながら仕事をし
旅をしながら自由に生きるのが憧れなのだ。

好きなのは歴史のあるところ
文化が交じり合っているところ
そして景色、特に海が綺麗なところ。

だから欧州を隈なく周ってみたいし
トルコやモロッコにも行きたいし
ハワイでスキューバダイビングや、イルカと泳いでみたい。
スキューバダイビングとイルカは、55歳までに実現させたい。

死ぬまでにピラミッドとサクラダファミリアと
アンコールワットは絶対に見に行きたい。

日本国内も行きたいところがたくさんある。




お気楽な人、と思われるかもしれないが
旅する人生を想像すると、楽しくて仕方が無い。

それは、楽しい事を想像するのさえ
出来なかった時期があったから。

悩みに囚われて、毎日頭を押さえつけられるような
目の前の些細なことに怯えていた時期があった。
やりたいこと、欲しいもの、行きたいところ
そんな事が全く考えられなくなって
人生が灰色に塗りつぶされていた。


だから今、お気楽と言われようが何だろうが
やりたいこと、楽しいことは沢山想像することにしている。
楽しい事を想像できるようになった幸せに感謝しながら。



人生もまた、旅のよう。
旅の途中で人と出会い、別れ
時にアクシデントもあるが
様々な経験をして、旅のゴールへ向かっていく。
「死」という人生の旅の終着点に着いた時
いい旅だった!と笑ってゴールを決めたい。



今日もまた、あちこちぶつかったり転んだりしながら
人生というアドベンチャーワールドの旅は続いていく。






マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana










2018年11月23日金曜日

勇気を出して 自分の人生を生きると決める

昨日は娘の卒業式だった。
ついこの前、小学校に入学したばかりだったのに
時の経つ速さには驚くばかりである。

娘が生まれてからの12年。
この12年間はまさに、怒涛の日々だった。
娘の小学校卒業とともに、私も人生のひとつの区切りを終えた。
そんな気がする。


昨日、ふと思い立って ある方に電話をしてみた。
その方は私の父と同い年で
80歳を越えてなお、現役でご活躍なさっているカウンセラーの方である。


先日公開した7年前の写真



7年前の写真に写る私は、どことなく疲れた顔をしている。
だが本当の試練は、この写真を撮った数ヵ月後に始まった。
仕事の悩み、子育ての悩み、人間関係。そしてパワハラ。
様々な悩みと問題が、一気に押し寄せてきて
私は完全に、悩みに乗っ取られて萎縮し
生きるのが辛かった時期だった。
実際、もう生きていたくないと思っていた時期だったのだ。

約1年続いた、人生最悪の時期。
その終りに、この方のブログにたどり着き、
縋り付くように国際電話をかけて、お話をさせていただいた。



ご高齢のカウンセラーは、私の話を優しく聞いてくださり
そして、穏やかな声で ご自身の経験を話してくださった。

幼少の頃、お父様が沖縄戦で自決なさったこと。
戦中、戦後、お母様がご苦労されたこと。
ご結婚後、必死で良き妻、良き母、良き嫁であろうと頑張りすぎ
お姑様の介護で疲れ果て、命を手放そうとなさったこと。

「その時、ああ、私の命は、誰かのために死ぬために
生まれてきたんじゃない。って思ったの。」


だからあなたも勇気を出して、自分の人生を生きると決めるのよ。


今日のタイトルは、その時 その方から戴いた言葉。
生涯、決して忘れないであろう、大切な言葉だ。



自分の人生を生きると決める。
そう決めた二日後、奇跡が起きた。

それはキラキラした奇跡ではなく
火山が爆発したかの如くの怒りと、痛みと
左目が晴れ上がる怪我を伴うものであったが。

間違いなく、この言葉のおかげで
人生の線路が ガチャンと音を立てて切り替わった。



あれから様々な出会いがあり
ハイヒールの哲学と出会い
私はハイヒールコーチになった。

懐かしいカウンセラーの方に、ハイヒールコーチになったことを報告すると
わが事のように喜んでくださった。
おめでとう、素晴らしいわ。かっこいいねえ、良かった良かった。

そして数年前と同じように
未来への道しるべになるような
心の篭ったエールを、たくさん、たくさん贈ってくださった。


Nanaちゃまが、ハイヒールのお仕事をしっかりされることが
大勢の女性を美しくするの。
50代はね、人生で一番 エネルギーが美しいんです。
そのエネルギーを余すところ無くお使いになって
次は 美しい60代のお姿を見せておあげなさい。

それを過ぎると、70、80代は本当にいい年代ですよ。
だから、良い70、80代を目指して
誇りを持って、しっかりご活躍なさいませね。


人生の大先輩からいただいた
宝物のようなお言葉を胸に刻んで
私も生涯現役で、人のお役に立ちたいと思った。



光も闇も両方を経験してやっと、
私は自分の人生を愛せるようになった。
誰のものでもない、自分の人生だから。
大切に、誇りを持って生きてゆく。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana


















2018年11月21日水曜日

タブーは本当はタブーではない

日曜日にベリーダンスのグループで出演したイベント。
こちらのイベントはMalaysian Menopause Society(略称MMS)主宰で
更年期に対する正しい知識を広め
更年期以降の人生を より豊かに生きようという
趣旨で毎年行われている。

私の通っているスタジオは
数年前から毎年このイベントに出演していて
私は今回が2回目の参加であった。


クアラルンプールにベリーダンス教室はいくつもあり
若いお嬢さんが大勢踊っているし
プロのダンサーもいる。

しかし、なぜ私のスタジオに毎年お声が掛かるのか。
MMSのプレジデント、産婦人科医のDr. Ho(ホー)によると
プロのダンサーではなく、
若くてピチピチした女性だけでなく(笑)
幅広い年齢の女性たちが 心から楽しんで踊っている。
その雰囲気が良いのだそうだ。

確かに、私たちのグループは
年齢も体型も様々である。

下は22歳から上は56歳まで。
未婚女性もいれば、既婚女性もおり
豊満な体型のメンバーも、私のように筋肉質な者もいる。
皆ダンスが好きで、楽しんで踊っている。
50歳の私など、まさに更年期真っ盛りで
イベントの趣旨にぴったりではないか。



特に今回、観客の絶賛を浴びたのは
妊娠7ヶ月のCheryl.
大きなお腹を見せて堂々と踊り
ステージ終了後に大勢のお客様から話しかけられていた。


ステージが始まる前、Dr.Hoと挨拶を交わした時に
ドクターがCherylに、「今何ヶ月なの?」と尋ねた。
Cherylは「7ヶ月ですが、以前8ヶ月で踊ったことがありますから
問題有りません。」と微笑みながら答えた。

ドクターはCherylの答えに、満足そうに
「今日は私も含めて、産婦人科医が何人もいるから大丈夫よ。
ここで産気づいても、すぐに対処できるから
安心して踊りなさいね。
何だったら私のクリニックで、無料で出産してもいいわよ。」
と、ユーモアたっぷりに返してくださった。

私はマレーシアの、こういう深刻ぶらないところが好きだ。
日本だったらどうかな、と思う。
妊婦は安静にしているもの。
大きなお腹を見せて踊るなんて。
もし転んだらどうするの。
そんな空気があるように思える。
そして、「何かあったら」危険だから。という理由で
出演をご遠慮いただく、ということもあるかもしれない。

だが実際は Cherylが証明したように
妊婦が踊っても何の問題も無い。
(あくまで自己責任が前提なのは言うまでもない)



更年期や閉経を迎えたら、女性として終りとか
妊婦はハイヒールを履かないほうがいいとか
ハイヒールは身体に悪いとか
色々ネガティブな情報や、タブーとされている事がある。
しかし全ては思い込みであり、
世の中のタブーの多くは、本当はタブーではないのだ。


いつのまにか刷り込まれたタブーに囚われて生きるか
思い切ってタブーを破ってでも、やりたいことに挑戦するか。
本当に自由で、軽やかな人生は
どちらの選択にあるのかは、明らかだろう。



ステージ終了後に、ブッフェランチを戴いたが
本当に多くのお客様が、私達に話しかけてくださった。
良いステージだったよ。楽しめた。
何年くらいやってるの?腰は痛くならない?
私にも出来るかしら。やってみたいわ。
妊婦さんのダンス、とっても素敵だった。元気な赤ちゃんを産んでね。
また来年も踊ってね。

そんなお声の数々をいただき
私達は幸せな気持ちで帰路についた。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana
















2018年11月20日火曜日

魂が震えるもの

昨日の日曜日。
午後は、あるイベントにベリーダンスグループとして出演し
夜はLe son de la Merの千葉 海音さんのインターネットライブを拝聴した。

ダンスと音楽という、好きなことふたつで満たされた
幸せな日曜日だった。


海音さんのインターネットライヴは、予想以上に素晴らしく
私は一気に、海音さんのファンになってしまった。
1曲ごとに、がらりと変わる世界観
低く響く声で発せられる 美しい言葉
言語が何語であっても、言葉の持つ「音」が美しい。

そして、「間」の素晴らしさ。
この「間」と呼吸を自在に操る海音さんは
本物のアーティストなのだと感じた。



私の母は昔、洋画の映画音楽やジャズ、シャンソンが好きだった。
実家には母が青春時代に買った、越路吹雪や
フランス語の原曲で歌われたシャンソンのレコードがあった。


だが年老いた母は認知症になり
あれほど好きだったシャンソンやジャズでさえ
すっかり忘れ去ってしまった。
今 母が口ずさむのは、デイケアの施設で歌っている
古い文部省唱歌だ。

海音さんが歌う、シャンソンのスタンダードナンバーを聴きながら
ふと
母にも聴かせてあげたかったな、と思った。
元気だったころの母ならきっと
海音さんのファンになっていたに違いない。



ライヴの終盤 海音さんの自作曲の演奏では
圧倒されるほどのエネルギーに 思わず涙が零れた。


まさに 魂を震わせる声


人生において
思わず微笑みが浮かぶ 幸せな日々もあれば
ばっくりと開いた傷口から
血を流しながら歩かねばならない時もある。
力尽きて地に倒れ、そのまま傷ついた動物のように
傷口を舐めながら 蹲まるしかない時もある。

それでも

例えば
道に倒れて閉じていた目を
開いた時に映った小さな花

項垂れながら歩いていた夜道で
見上げた月と星の光


そんなものの美しさに 魂が震えた時
ここからまた、生きていこう。

そう思えるのだ。


だから私は、美しいものを愛し
美しいものを美しいと感じられる感性を
大事にしている。


美しいものは 魂を震わせ
人生に力を与える

そして、美しいものは美しいものを呼ぶ。



海音さんの音楽も
私が出会った 魂を震わせる美しいもののひとつだった。

この出会いに 心からの感謝を。




海音さんは27日にもインターネットライヴをされます。
何をおいても、彼女の世界に触れてみることを
心からお勧めいたします。

(千葉 海音さん インターネットライブの詳細はこちらから。)


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana



















2018年11月17日土曜日

人生は本当に変えられる

私は今年の春 50歳を迎えた。

私の人生は、50歳でがらりと変わった。
自分がハイヒールを履き、しかもコーチとして
人様に教えるようになるなど
わずか1年前には想像もしなかったことだ。


人生は本当に変えられる。


文字で綴っても、ピンとこないと思うので
今日は恥ずかしながら
証拠写真をお見せしたいと思う。








42歳の私。
先日、母の部屋を片付けていて見つけた。

懐かしさと同時に、うわっ、と思った。
顔は確かに、今より若いのだが
今よりずっと老けた印象だ。

我ながら衝撃だったので
この写真を色々な人に見せたのだが
今の私しか知らない人は、皆一様に、
「えっ……。」
と絶句するのが面白かった。
それくらい老けて見えるらしい(苦笑)



あの頃、夫が中東に単身赴任をしており
私はフルタイムで働きながら、3人の子育てに奮闘していた。
仕事は納期に追われる仕事で
万が一にも納期に遅れてはならず
常にそのことが頭から離れなかった。

加えてまだ幼い娘と、小学生だった息子二人
一体どうやって乗り越えていたのか。
今思い返しても、苦しい思い出しかなかった時期なのである。

そのせいか、疲れた顔をしているし
丸まった肩と、落ちたみぞおちの辺りが尚更
お母さん、お疲れね、という感じなのだ。




そしてこちらが現在の私







靴と言えばフラットシューズかスニーカー。
家では裸足で、近所へはビーチサンダル。
ヒールは5センチが限界で、1年に1-2回履くだけだった。
つい1年前まではそうだった。

そんな私が、今はハイヒールコーチである。

ピンヒールを履いて
姿勢は格段に良くなり、
以前はコンプレックスだった脚が気にならなくなった。
ミニスカートが堂々と履けるようになった
「格好良いですね」と言われることが多くなった。



人生は自分で変える事ができる。
生きた証拠がここにいる。



どんなに苦しかった過去も、あの時の自分があるから
今の自分がある。
老けて、ボーッとした印象の42歳ではあったが
あの頃、必死で頑張った私だって
紛れも無い私自身。


人生には波があり、タイミングがある。
年齢は、それだけ経験を重ねてきたという
誇らしい勲章。
足枷ではない。

自分の人生を変えたいと思ったら
その時がタイミングなのだ。

飛び込む勇気と、人生を変える努力
必要なのはそれだけ。




人は、何歳からでも変わることが出来る。
50歳でも、60歳でも。

色々なことを乗り越えてきた
成熟した女性の美しさとエレガンスを
若い世代に見せてあげましょう。
私は、同世代の女性にそう言いたい。


そして、未来への時間がたくさんある若い女性へは
今から一歩一歩を大切に。
美しいハイヒールと共に
あなたの豊かで美しい未来を 歩んで行きましょう。
そんな言葉を贈りたい。



年齢や、周りの評価
そんなものに振り回されず
美しく生きることは
こんなにも自由で
喜びに溢れている。

あなたも そう生きていい。


 


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana











2018年10月14日日曜日

理想に向かって

色々失敗しつつも、理想に向かっていく途中が
そこが美しいと思うのです。


先月のExchange終了後に少しお話させていただいた時
カトリーヌさんが仰ったお言葉。
心から深く頷いたお言葉だった。

完成されたものは、もちろん美しい。
しかし、まだ未完成であっても、目指す理想に向かって
真摯に向かい合うその姿は
何よりも強く美しいエネルギーを放っている。




クライアントとのレッスンでは
毎回、一生懸命レッスンに挑まれる姿を拝見させていただいている。

今まで入れたことが無い意識を入れることの難しさ
使ったことが無い筋肉を使うことの辛さ
少し出来たと思っても、違うところが出来なくなる悔しさ
出来た瞬間の表情の輝き


それは本当に美しく、その方の中に眠る美が
炙り出しのように浮き上がってくる瞬間でもある。
ある方は強く、ある方は優しく可愛らしく
ある方は知的な
それぞれの美しさが、ふっと浮き上がってくるのだが
共通しているのは、ハイヒールに挑む強い想いだ。


クライアントの美しい姿を見るたびに、勇気付けられ
エネルギーをいただいているのは私のほうだ。



私にも、目指す理想がある。
時に、あまりに大きな理想と現実の自分とのギャップに
地面にめり込みそうな程落ち込むこともあるが
そんな時は、冒頭のカトリーヌさんのお言葉を思い出すことにする。

たとえどんなに遠く思えても
余りにも自分が至らないと思えても
失敗しながらも理想を目指して挑み続ける。




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





















2018年9月17日月曜日

引き際の美学

PCのトラブルで3日間Blogの更新が出来なかった。
タブレットでネットは見られるのだが
Blogの更新はPCからでないと上手くいかない。

私にとってBlogとは、文章の出来の良し悪しに関わらず
その日その時の私をそのまま映した
言わば、もう一人の私と同じもの。
PCトラブルで3日間も更新が出来ないのは
何かが欠けたような気がして、物足りなく寂しかった。



ネットのニュースで知ったのだが
今日で安室 奈美恵さんが芸能界を引退する。
私は特別に安室さんのファンではなかったが
25年間、何があろうと独自のスタイル、クオリティを
確固として守り続け、トップを走り続けた姿勢は、本当に素晴らしいと思う。
まだまだ歌姫として活躍を期待される中
きっぱりと引退を決めて実行された事に、心から拍手を贈りたい。


仕事と引き際については
大きく分けて2種類ある。

ひとつは、絶頂期でスパッと引退し、最高の姿を残すこと
もう一つは、生涯現役でいつづけること。

どちらが良い、悪いではなく、これは純粋に
その人の生き方、仕事へのかかわり方の違いなので
自分の生き方に合ったほうを選べば良いと思う。




個人的には、私は生涯現役でいつづけたいと思う。
そのためには

常に柔軟性を持つこと
常に自分をアップデートすること
情熱と好奇心を失わないこと
謙虚であること

これらを常に意識することが大事だと思っている。
仕事に誇りを持つことは大事だが
やり方に固執はせず、柔軟性を持って当たること。

どんな仕事にも終わる時は来る。
その時を見極めて、潔く優秀の美を飾ること。
それが、自分の人生の多くを捧げてきた仕事に対する
最大のレスペクトではないだろうか。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





















2018年9月13日木曜日

成長し続けるために

自らの成長を望むなら
何かを変えたいと思うなら

まずはどうなりたいか決めること
それから、小さく行動し続けること。



行先を定めなければ、大海を当ても無く彷徨う船のようだし
行先を定めても 動かなければ、いつまでも現在地点に
留まったままだ。

上がったり下がったり、時に遠回りしながらも
小さく行動をし続けて、全体的に上がりながら前進する。
それが最も確実で、結果が出る、ただ一つの方法だと思う。



人生にショートカットは無い。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana










2018年9月11日火曜日

才能の原型

長い間ずっと、「好きなことをやって生きたい。」と思っていた。
しかしそれは「でも私には、何の才能も無いし。」
という諦めと、常にセットだった。

才能とは何だろう。
多くの場合、才能と言うと
「その分野において特別に秀でた能力」
だと思われている。
実際、私もそう思っていた。
だから特にズバ抜けたものがない私は
「私には何の才能も無い人。」
だと決め付けていたのだ。



だが今は、才能と言うのは、
その人が好きでたまらないもの
得意で、自然に出来てしまうもの
乗り越えてきたもの
この中に有ると思っている。

それをズバ抜けたものにするかどうかは
その後の努力次第。



本田 健さんの著書だったと思うが
誰にでも「才能の原型」がある。という一文があった。

才能の原型は、自分が大好きだったり、
自然に出来てしまうものの中にあったり
人から見た自分に、自然に現れていることが多いという。

例えば、あの人は女優のようだ、という女性がいたら
その人が主婦だろうがOLだろうが
その女性は、女優のような華やかさと
人に強く印象を与える原型を持っているということ。

また、原型は一つではなく、誰もが複数の原型を持っている。
芸術家、著述家、政治家、医者、コメディアン
哲学者、軍人、ヒーラー など、様々な原型があり
それらの原型を掛け合わせた時に
その人だけの魅力が発揮されると言う。

誰もがオリジナルの才能の持ち主であり
唯一無二の魅力の持ち主。
そう考えると、たまらなくワクワクするではないか。



私の才能の原型は何だろう と考えてみた。
昔から本が好きだったから、著述家
音楽や演劇が好きで堪らない パフォーマー、アーティスト
ハイヒールコーチという 教育家
格好悪いところを、結構平気でさらけ出せる コメディアン
時折、突拍子もないことをしてのけるし
世の中の常識に縛られるのが嫌いな 革命家や闘士という
原型もあるかもしれない。




ハイヒールの世界に飛び込んでみて分かったこと。
それは、私は自分で思っているよりもずっと
人前に出る度胸があると言うことだ。
以前は人前に出るのは苦手だと思っていたし
人前で喋るのも嫌だった。

しかし今では、緊張はするが苦手意識は無くなった。
だから、コーチとしてクライアントの前に立つことに抵抗がない。
もしかしたら私の中にある、パフォーマーという原型が
目覚めたのかもしれない。
これは、ハイヒールの哲学に飛び込まなければ
決して分からなかったことなのだ。



才能が無い人など、一人もいない。
誰もが才能に溢れ、個性に溢れ 魅力を持っている。
それらを眠らせたままにするのは 勿体無い。


才能が無い、といじけている時間があったら
少しでも興味があること、やってみたいことに
挑戦してみるほうがいい。
そこから思いもよらぬ縁で、本当にやりたいことに
辿りつくかもしれないのだから。


あなたの才能の原型は何だろう。




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana














2018年9月8日土曜日

年齢はただの数字である

今日が人生最高の日。不可能なんて何もないと思うのよ。


98歳 世界最高齢のヨガインストラクター、Taoさんの言葉だ。
フランスとインドの血を引くTaoさんは
ヨガが男だけのものと思われていた時代に
「男が出来るなら、私にもきっと出来る。」と言い放ち
ヨガインストラクターとして、75年のキャリアを築いてきた。


100歳近いとはとても思えない柔軟性とチャーミングな笑顔。
人生を大切に生きること、そして人との関わりを大切に
現役としてエネルギッシュに活躍しているTaoさんを見ると
年齢とはただの数字だと、しみじみ感じる。

人生において、大切なのはエネルギーの質と強さであり
単なる年齢の若さではない。
年齢は若くとも、既にエネルギーが枯れた年寄りのような人は大勢いる。

Taoさんのような人生の先輩を見ていると
自分もこのように、豊かに人生を送りたいと本気で思う。




Taoさんが世界最高齢のヨガインストラクターなら、
私は80代になっても、現役のハイヒールコーチでいたい。

その頃にはルブタンを履きこなせるようになっているはずだから
シルバーヘアーにルブタンのハイヒールで
ピシッとフラミンゴのポーズを決めた写真を
自分のプロフィール写真にしよう、と
妄想を膨らませてはニヤニヤする私だった。




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





2018年8月30日木曜日

私の強み

私の強み
それは、「開き直りが早い」こと。

「なるようになる」

この言葉で自分に発破をかけ
一体何十回、俎板の上の鯉になったことか。




「自分を低く見積もる癖」という弱点を持っていた私は
どうせ自分は何も上手く出来ない。という思い込みがあり
何をするにもそこそこ。
成功もしなければ、失敗もそれほど無い、という人生を送っていた。
ただ、どうにも生き辛い感覚があったのは確かなのだが、
それすらも見ないように、子育てを言い訳にして
自分を誤魔化しながら生きていたのだ。



最近になってしみじみと思い返すのだが
逃げてはいけないことから逃げると
否応なしに、宇宙から「それはダメ」と警告が入る。
その警告を無視していると、こうしないと分からないのね、と
宇宙がドカン!とドラム缶を降らせてくるのだ。


誤魔化しているものが大きいほど、ドラム缶も大きく
倒れたところを更に巨大ローラーで轢かれ
やっと立ち上がりかけると、次のドラム缶が降ってくる。



そんな状況では、自分に自信が有ろうが無かろうが
とにかく、がむしゃらに成らざるを得ない。
「どうせ私には」などと、戯けたことを言っている場合ではないのだから。

そのうちに、いつの間にか
開き直りがとても早くなっていた。
切り替えが早くなったとも言えるかもしれない。




もちろん、失敗も沢山するのだが
開き直り力が付いてくると
失敗してもいつまでもグジグジと落ち込むことは無く、
反省すべきことは反省し、さっさと次に行けるのだ。

人生はトライ&エラーの繰り返し。
むしろ、エラーの中に多くの宝が眠っている。
随分とあちこちぶつかりながら生きてきた私は
エラーの多さも半端ではないが
このエラーこそが、私を鍛えてくれた宝物だと思っている。



格好悪いかもしれない
要領が悪いかもしれない
それでも私は、トライ&エラーを繰り返し
愚直に生きていきたい。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana








2018年8月28日火曜日

私の弱点

先日のAsami-Parisセミナーで語られたトピックのひとつ
「自分の弱点を知る」


私の弱点は、「自分を低く見積もりすぎること」だ。
必要以上に自分を低く見積もり
「私などには無理。出来ない。」と
及び腰になってしまうことがある。

これを発表した時、何故か師匠から笑いが出たのだが。
でも実際のところ、長年ずっと
自分など大した人間ではないと思っていた。
それは長年の思考の癖なのだが
本当に、自分には取り得が無く、どうせ何をやっても
上手くできないと思っていたのだった。


この思考の癖があるが故に、行動するのが面倒になり
何もしない→結果が出ない→やっぱり何も出来ないと落ち込む
という、マイナスの連鎖の中にいた。



「それをどうやって克服したのですか?」
セミナーで質問されたが、答えは
「小さく行動し続ける。小さな成功体験を積み重ねること。」
これに尽きる。

最初は本当に小さいことから。
例えば、誰かのためにドアを押さえてあげる。
会社の洗面台が濡れていたら拭く。
そんなことから始めて、「これが出来た。」としっかり
認識することが大切だ。




私は本当にメンタルが落ち込んでいた時
「今日の良い事三つ」を、寝る前にノートに書き込んでいた。
その日、自分がやろうと決めたことで、出来たこと。
嬉しかったこと、感謝することなど
どんな些細なことでも良いから、3つをノートに書いてから寝る。

そのメモを1年続け、1年後 私のノートには
実に1095個の「良い事、出来たこと、感謝したこと。」が溜まっていた。
自分で決めたことをやり遂げた。
それが自分の自信になってゆき、「私は出来る。」へと
繋がっていったのだと思う。




何かを変えたいと思うとき
人は魔法の力が働いて、がらっと変わることを期待する。
しかし実際は、何かを変えるには
小さく行動するしかないのだ。

車を走らせている時、急に大きくカーブを切ると
コントロール不能になり、大事故になるように
人生においても、急に何かを大きく変えようとすると
必ず無理が出る。
スモールステップでも良い。
ただし行動し続けることが肝心だ。


小さな成功体験の積み重ね。
それがやがて、付け焼刃ではなく
揺ぎ無い自己肯定感に繋がってゆくのだから。




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





2018年8月24日金曜日

エネルギーを選ぶ

今日は昨日の続きで、コルバンの事をと思っていたのだが
急に気が変わり(笑)
別の事を綴らせていただくことにした。


今朝、目覚めた時
いつになく身体が軽く、清清しい目覚めであった。
理由は分かっている。

昨夜 師匠のセミナーに参加し
ますますお美しくなられた師匠のエネルギーは勿論のこと
参加者の皆様のエネルギーが心地よく
とても素晴らしい場を共有させていただいたからだ。



師匠のモデル現役時代のお話
尊敬するマミー様こと愛子さまのお話をはじめ
興味深いエピソードの数々と
女性として豊かに、ぶれずに生きるヒントが沢山詰まったセミナーだった。

とりわけ、参加者の皆様共々
考えたり発言する機会が設けられており
一方的にお話を聞くセミナーではなく
講師と受講者双方が交流しながらというのが
とても良かった。

これから師匠のセミナーを受けられる方は
ぜひお楽しみいただきたいと思う。



今でこそ私は、「エネルギー」と当たり前に口にするが
ほんの数年前まで、エネルギーなど信じてはおらず
そもそも、興味すら無かった。

しかし今では、エネルギーはこの人生を生きる為に
最も重要であり、いかに自分のエネルギーを乱さず
良いエネルギーに触れ続けることが大事か
身を持って感じ、また実践している。



特に私は、接客業という仕事柄
様々なタイプのお客様に接するので
エネルギーを乱す、あるいは吸い取るタイプの方と関わると
覿面に影響を受けてしまう。

昨夜のセミナー参加者さまのように
良いエネルギーの方なら良いのだが
そうではない方の場合、本当に足を引っ張られるし
時に身体の痛みとなって出ることもある。



一時期、気難しいお客様に当たることが多かった時期があり
何かと衝突して、分かっていただくのに骨を折った時期があった。
毎日毎日、喧嘩腰のお客様の対応をするのは
本当に疲れたし、家に帰るとベッドに倒れこんで
しばらく起き上がれないこともあった。

人間関係は鏡の法則、と言われるが、今はそれがよく分かる。
あの当時、我儘で気難しいお客様ばかりで滅入ったものだが
実は私の中に、怒りや、相手を見下す傲慢があったのだ。
それがあったが為に、常に戦闘態勢だった。

最初から戦闘態勢で人にあたれば、
当然相手も戦闘モードになってくる。
そんなこんなで、毎日がバトルになってしまったのだ。



今はもっと落ち着いたし、注意深く相手を観察して
こちらのフィールドに侵食しようとする方には
心の中で、こっそりと
「この人を絶対に、こちらに踏み入れさせません。」と線を引いている。
そうすると、かなりわがままを仰られても
頭に来ずに済み、結果、気持ちが楽になるのだ。




人の持つエネルギーは大きい。
だからこそ、まずは自分のエネルギーを整えるのが先だ。
自分はどんなエネルギーなのか。
どんなエネルギーに触れたいのか。
そこをまず明確にするのだ。

そして、その上で、心地よいエネルギーを纏っている方と
積極的に関われば良いし、
これはまずい、と思うネガティブなエネルギーの方とは
必要以上に関わることは無い。
いちいち絶交宣言をする必要は無いが、
離れられるものなら、そっと距離を置く。
そうではないなら、心の中で線引きをするだけでも効果的だ。




私達の限りある人生
限りある時間を、心地よいエネルギーで満たすこと。
それが、人生を豊かにするポイントである。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





















2018年8月12日日曜日

共鳴

昨日はトランスジェンダーの方に向けて
私の信念を綴らせていただいた。


本日、思いがけず素晴らしいメッセージをいただき
心から感動している。
そして、本日のBlogで、この方が溢れる想いを綴られている。

Team Asami Parisの先輩、caméliaの Ayako様
激しく共鳴した想い

静かな中に、力強いエネルギーを感じる
素晴らしい文章。
清楚でありながら
気品と、芯の強さを感じさせる
まさに、caméliaのようなエネルギーに満ちた
素晴らしい文章なので、ぜひお読みいただければと思います。



世の中には色々な価値観があり、
もしかしたら昨日の記事を
受け入れられない方もいらっしゃるだろう、と覚悟の上だった。
だが平均を上回るアクセスをいただき
その上、Ayakoさまからもご感想をいただき
思い切って投稿して良かったと思う。


投稿にあたっては、先週当地で起きた
ひとつの出来事がきっかけである。

実はマレーシアは、
LGBT
(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの略 
セクシャルマイノリティの総称のひとつ)の方々に対して厳しい。
お隣のタイと違い、国教のイスラム教が同性愛について否定的なため
LGBTに対する世間の目も厳しいのだ。

先週、マレーシア北部のペナン島で
ペナンフェスティバルのエキシビジョンに展示されていた
ポートレートのうち、州政府の命令により
LGBTの活動家の写真が撤去されるという出来事があった。


これに対して抗議の声が各方面から上がり
現首相の娘で、女性の権利や地位向上の活動をされている
マリナ マハティール女史は
LGBT活動家のポートレートを撤去するならば
同フェスティバルに展示されている
自分のポートレートも撤去して欲しいとの
コメントを発表した。



私も強い憤りを感じたが
抗議の声を上げるのではなく
私の信念をネットの海に投げることで
ジャッジをしない、ひとつのあり方を示したつもりである。




女性の心をもつ全ての女性が
美しくなる権利を持つ。

美しく在りたい人が
美しく在ろうと努力する自由がある

それは決して誰にも侵されてはならない
権利なのだと思うのです。



Ayako様がきっぱりと言い切られていたとおり
私もまさに、同じことを感じている。

美の前では誰もが平等であり自由
その自由を 誰もが当たり前に享受できる世界
そんな世界になることを、心から願っている。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





2018年8月11日土曜日

ハイヒールと女性性:トランスジェンダーの方へ

婚活戦線の続きを綴ろうと思ったが
ふと閃いたので、今日は別のことを綴ることにした。


私はハイヒールコーチとして
年齢、国籍、住んでいる場所に関わらず
美しくありたいと願う、全ての女性のために
ハイヒールを通じて
その願いを叶えるお手伝いをさせていただく。
これが私の信念である。

ここで言う「女性」とは?
その点について、少し補足させていただきたい。



sub Rosaでは
「女性」の定義を次のように理解している。


生まれ持った遺伝子や
法律上の書類に記された性別に関係なく
魂の性が女性であり
女性であることに誇りを持ち
女性として美しく生きる覚悟のある方



ここでは
「女性」とは姿形や遺伝子で定めるのではなく
自らの魂が、私は女性ですという方なら
どなたでも女性と認識させていだだく。

あえて今日の題名に
「トランスジェンダーの方へ」と銘打ったのは
以前から、ハイヒールコーチになった暁には
トランスジェンダーの方にも門を開きたいと思っていたからだ。
その理由は、忘れ得ぬ友へで綴ったとおりである。





私のサロンは、法律や常識が支配する場所ではない。
もしもここに、法があるとすれば
「美」が唯一の法だ。

美に、法律上の性別は関係ない。
常識も関係ない。

これは私の、昔からの信念であり
誰が何と言おうと、絶対に曲げるつもりは無いのである。




誰の中にも、男性性と女性性がある。
その方が自らの女性性を開花させ
女性として美しくありたいと願うなら
生まれつきの性別がどうであれ、私の前では女性なのだ。

このBlogに目を留められたトランスジェンダーの方で
ハイヒールで美しく歩きたい方や
女性として開花したい方がいらっしゃれば
遠慮なく私の門を叩いていただきたい。

Skypeのプレタポルテレッスンなら
あなたの安心できる空間で
思い切り女性性を発揮することができる。




美しくありたい全ての「女性」を応援すること。
それが私の、魂からの喜びなのだから。
今、誇りを持ってそう言い切れる。



全ての女性が、美しくあることに誇りを持ち
堂々と生きることを心から願う。





マレーシア クアラルンプールより 心からの愛を込めて
Nana



































2018年8月10日金曜日

女性としての性に終わりは無い

昨日はあまりの眠さに負けて
Blogを綴ろうと思いながら寝落ちしてしまった。

異常な眠さの原因は分かっている。
生理が始まる直前だったからだ。


私は生理が始まる直前、異常な眠気に襲われる。
それは地の底に引きずりこまれるような眠さで(笑)
何をしても抗えない。
そういう時は無理をせず、パッと寝てしまうのが一番だ。


私は今年50歳になった。
50歳と言えば更年期真っ盛り。
いよいよ「閉経」という言葉が、現実味を帯びてくる。


有難い事に、所謂「更年期障害」に当たる症状が
ほぼ無いため、ゆっくりと穏やかに、閉経に向かっているのが分かる。

そうなると、生理が来ることさえ愛おしく
「あら、来てくれたのね。ありがとう。」
という気持ちになるのだ。



今は昔ほどではないかもしれないが、私達の中には
「閉経したら、女性として終わり。」
という思い込みが根強く残っているように感じる。
私達の母の時代は、50代の女性と言ったら本当に
おばあちゃん、の雰囲気を醸し出していたものだ。

しかし時代は変わって、50代、60代はまだまだ
人生の盛りの年代になった。


更年期、そして閉経を迎えると、ホルモンの変化で
肌の色艶が確実に変化する。
だが、閉経しても女性であることには変わりは無い。
生殖機能がお役目を終えただけであり
女性という「性」を持つものとして生きることには
何ら変わりは無いのだ。



それなら、どんなに年齢を重ねても
女性であることを楽しんで生きたいものだ。
肌の色艶が衰えたら、身に纏うもので華やかさを加えて
一生、女性としての華を持ち続けたいと思う。


以前お会いした80代のお客様は
明るいピンクの花柄ブラウスに
キラキラ輝く、テディベアのブローチを付けていらした。
腕時計にも、熊ちゃんのチャームが着いており、
可愛いものがお好きなのだな、と感じた。
お好きなお洋服と小物を身に付けられたその方は
とてもチャーミングで愛らしく
素敵なおばあちゃまであった。



どう抗っても、人は年月には勝てず、必ず年を取る。
ならば美しく、楽しみながら魅力的に年を取ってゆきたい。
もちろん、ハイヒールと共に。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana











2018年8月4日土曜日

差し出すということ

娘の家庭教師のG先生は
我が家の子供3人が、小学校5-6年生の2年間
お世話になっている方である。



先生は昔、インターナショナルスクールで英語教師をしていたが
白血病の治療のため退職せざるを得なくなり
フリーランスの塾講師となったそうだ。
シングルマザーで、ご主人は15年ほど前に亡くなられた。
そこから女手ひとつで一人息子を育てられた。

私達が先生と知り合った当時、ご自分が白血病であり
現在は治っているが、数年間はなお
経過観察が必要だと仰っていた。



子供たちを教えるのが本当にお好きで
子供の個性を見ながら、教え方も細かく調整してくださる。
そのお人柄を見込んで、最初は英語だけ教えていただいたのを
他の教科も、G先生にお任せすることにした。
それ以来、もう10年近いお付き合いである。




先生はインド系で、熱心なヒンドゥー教徒である。
ヒンドゥー教徒の知人があまりいない私は
授業の後に先生をご自宅まで車で送る道
ヒンドゥー教の色々なお話を伺うのが、大変興味深い。

ボランティア活動を熱心にされていて
貧困層のためのボランティアセンターでも
週1回、子供たちを教えている。

今月は、ご自身が所属されている、ある協会の大きなチャリティイベントがあり
その資金集めに奔走されていらっしゃるとのこと。

なぜ、そんなに熱心にボランティア活動をされるのか
以前伺ったことがある。



「私は病気をして、その時に必死で神様に祈りました。
神様、私には息子がいます。彼の父親は若くして亡くなりました。
私は今 死ぬわけにいきません。
どうか、生きさせてください。って。

そして神様は私を生かしてくださっています。
だから私は、生かされていることに感謝をし
生かされている命を、ほんの少しだけ
人様のために使わせていただいているんです。


私達(ヒンドゥー教徒)はカルマと輪廻を信じています。
ボランティアやチャリティをすることは
カルマを減らすと考えられているんです。
カルマは無くなりはしませんが、
他者のために奉仕することで減らすことが出来る。
そして、他者への奉仕は、結局は自分へ
大きな喜びを齎してくれます。」



私達はともすれば、「何を得られるか」にフォーカスしがちである。
あれが足りない、これが足りない。
どうやったら足りないものを得られるか。

だが今持っているものに感謝し
それを少しでもいいから、他者のために差し出すこと。
そこから愛と感謝の循環が始まる。
先生のお話を伺って、そんなことを思った。




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana














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