2018年5月31日木曜日

周りにあるたくさんの愛

気づけばモニターレッスンまであと10日あまり。

レッスンを受けてくださる方が決まり、
いよいよ本腰を入れて準備をしなければいけないのだが。

やるべき事を書き出してみて
あまりにも準備が出来ていない事に気付き、一瞬気が遠くなった。
まず音楽の編集から躓いてモタモタしている状態なのだが
何よりも不安なのは、どこまで自分がしっかり覚えているか。
これが一番心もとない。


学生時代から、試験勉強は直前追い込み型だった。
普段からコツコツ、きちんと勉強しておけば楽なものを
どうしてもそれが出来ず、試験直前に異常な集中力を発揮して
試験後に燃え尽きるタイプであった。

それでは結局、身に付いたことにならないのだから、と
自分を戒めても、何十年来の習性は変わらないようだ。

コンサルティングの期間中、もっとしっかり身体に覚えさせれば良かった。
練習が足りない。スクリプトが覚えられないと真っ白になっても
もっと早くから準備しておけば、後悔しても
それは自業自得というものだ。


今回、モニターレッスンを行うに当たり、大勢の方に助けていただいている。
モニターを引き受けてくださった方
我が家は音響設備が無いため、レッスンの場所を提供してくださった方
家族
美しき侍の先輩
そして師匠


本当に、どれだけ周りに助けられていることか。
自分が目指す目標に向かって、一直線に走ってきたつもりだが
自分ひとりの力で全てを行ってきたと思うのは、とんでもない思い上がりで
まずは足元を大切にしなければ、高みには飛べないのだと思った。

私の周りには、私を助け、応援してくれる人たちがいる。
見回せば、私が思っていたよりずっと、多くの人の愛がそこにあった。
何よりもありがたく、幸せなことだ。


多くの愛を有り難く受け取り、もっと大きな愛に育てるため
この10日あまりを全力で駆け抜ける。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana







2018年5月29日火曜日

レモンを手に入れたら、レモネードを作れ

まず最初にお知らせを。

モニターレッスンの募集は、お陰さまでレッスン受講を希望される方が
いらっしゃいましたので、応募を締め切らせていただきます。
ありがとうございました。



さて、今日の題名
「レモンを手に入れたら、レモネードを作れ」


これは、自己啓発書の古典、デール・カーネギー著の
「道を開く」に出てくる言葉である。

パワーを使うで書いた、宇宙から次々と降ってくる
ドラム缶や隕石のようなお試しに、押し潰されそうだった頃
何か突破口は無いものかと、貪るように読んだ本の一つ。



自分の人生にレモンが贈られた時
(※レモンには、不快なものという意味がある)
大抵の場合、私たちは自分の不運を嘆き
諦め顔で世間に文句を付け、自己憐憫にどっぷり浸る。
「どうして私だけ、こんな目に遭うの?」と。

しかし、賢い人は
「この不運から何を学ぶか、どうすれば状況は良くなるか?
どうすれば、このレモンをレモネードに変えられるか。」
と自問するという。

本を読んだ当時は、自分にも大量のレモンが贈られたなと
苦笑しつつ、思考の切り替え方として、非常に役に立った言葉である。


外国に住むとは、国際結婚とは、その響きだけで
羨ましがられたり、憧れられたりすることが多いが
実際は理不尽な出来事も多い。

言葉、風俗、文化、習慣、気候
それに法律やインフラなど
あらゆる物が今まで生きてきた常識とは違う世界。
思うように行かないのは当然なのだ。

私も今までの人生で、山ほどのレモンが贈られたが
長年外国に住んでいるうちに逞しくなり
また、どうあがいても駄目なものは、スッパリと諦めることを学んだ。
おかげで、最近ではレモンが贈られても
「あ、また来たのね。今度はどういうレモネードを作ろうか。」
と思うことが出来るようになってきた。


悩もうが楽しもうが、私たちの人生は一度きりで
時間は有限なのだ。
ならば、レモンを手にして何時までも嘆いて
レモンを腐らせるより、レモネードを作る方法を探したほうが良い。



昨年12月から駆け抜けてきた師匠とのコンサルティングも
いよいよ大詰めとなった。
モニターレッスンまで2週間を切り、ここからのラストスパートが
間違いなく、人生を変えるだろうという予感がしている。

モニターレッスンに当たっても、レモンが一つ贈られたのだが
今の私は、そのレモンをレモネードにする過程が、苦しくも楽しくてたまらない。


あと2週間。
自分の記憶力と格闘しつつ、精一杯モニターレッスンに向かって
走り続ける毎日である。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana









2018年5月28日月曜日

ハイヒールコーチとして伝えたいこと

私がハイヒールコーチとして伝えたいこと。それは


「あなたには 夢や憧れを実現する力がある。」



私が師匠のBlogに出会ったのは、確か2012年。
以前綴られていたBlogを読み、ハイヒールの哲学に興味を持ち
いつか、この方から歩き方を学びたいと思うようになった。
しかし、パリは遠く、それは夢としか思えなかった。
それでも私は、実現したい夢ノートを更新するたびに必ず
「Asami先生のレッスンを受ける。」と書き続けていた。

3年ほど夢ノートに書き続けているうちに、プレタポルテコースが創設され
マレーシアにいながら、レッスンが受けられることになった。

それでも、諸事情により、私にはプレタポルテレッスンも受けることが難しかった。
師匠が新規のプレタポルテ受付をクローズする直前まで迷い
本当にギリギリのタイミングで申し込みをし、8回のコースを受けた。


その時にコンサルティングを始められるお話も伺っていたので
ハイヒールの哲学を教えられるようになったら、どんなにいいだろう
そう思った。
件の夢ノートの「レッスンを受ける」は
「Asami先生のコンサルティングを受講する」に変わったが
私には飛び込む勇気が無く、いつか、いつかと思っているだけだった。

ところが昨年の終わり近くになって
思いがけずグッと背中を押される出来事があり
一も二も無くコンサルティングに飛び込んでしまった。


そして今、
私は、かつて自分には無理だと思っていた、ポインテッドトゥのピンヒールを履き
40年以上もコンプレックスがあった自分の脚を
大切だと思えるようになった。

夢や憧れでしかなかった事が
見事に現実化しはじめているのだ。



だから、ハイヒールに憧れているあなた
美しいものが好きで、美しくなりたいあなたへ、心から伝えたい


自分を見くびってはいけない。
年齢、場所、状況に関わらず
あなたには、夢や憧れを現実化させる力がある。


それには、ハイヒールの哲学が大きな力を発揮するのは
私が身を持って実証済だ。
では、なぜハイヒールなのか。
それは、人生の価値観の中心に「美」を置く女性にとって
ハイヒールが最も、日常に密着して美意識を鍛えるアイテムだからだ。
歩くと言う日常の動作を美しくすることで、女性は数々の恩恵を
受けることが出来るのだ。



まだまだ学びの途中であり、未熟な私であるが
私にも出来たのだから
あなたにも、きっと出来る。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana

























2018年5月27日日曜日

4センチの新たな世界

少し前の事だが、ある方から嬉しいお話を聞かせていただいた。

その方は1年近く前、骨格診断のセッションをさせていただいた方。
私が骨格診断を勉強したのはずいぶん前なのだが
オンラインでセッションが出来るか
お試しセッションにお付き合いいただいたのだ。


実際に骨格を拝見出来ないので、簡易的なものではあるが
簡単な資料を作ってお渡しし、とても喜んでいただけた。
そして今年の春、お子さんの卒入学式に着用するスーツを新調する際、
私が以前お渡しした資料を参考に購入されたそうだ。

店員さんのお勧めに流されることなく、ご自分で色々考えながら選ばれたそうで
「とても納得のいく買い物が出来ました。」とお喜びいただけた。
本当に簡易的な診断であったのだが、少しでもお役に立てたことが
とても嬉しかった。


更に私を幸せにしたのは
それは、その方がパンプスを購入されたことだった。
実は彼女はセッションをした時
「ヒールが苦手。」と仰っていたのだ。



自然を愛し、キャンプや登山を愛する彼女は
アウトドア用品やトレッキングシューズが大好き。
ヒールは苦手で、ほとんど履かないと仰っていた。

しかし私のBlogを読まれて、ハイヒールがスポーツであると知り、
興味を持ったと言って下さった。
そして今回のお買い物では、パンプスを購入されたとのこと。
メールでその事を知った時、私は思わず手を叩いて喜んでしまった。

「セレモニー用でヒールは太いし、4センチくらいなんです。」と
控えめに仰るが、今まで苦手だったヒールを履いてみようという
その意欲が素晴らしい。
今までより、ほんの4センチ高い世界。
だが大きな挑戦の世界。


人生は、ほんの少しのきっかけで 大きく変わることがある。
新しい事を試すというのは、勇気がいるが、
勇気を出しただけ、自分の選択の幅が広がるのだ。
トレッキングシューズもパンプスも
両方を自在に履きこなす女性がいたら、とても素敵だと思う。



ハイヒールは、決して気取って歩くためだけのアイテムではない。
Blogでも度々書いているように、本当に全身の筋肉を使うスポーツだ。
自分はスポーティなタイプだから、アウトドアが好きだから
ハイヒールなんて女っぽい物は似合わない、と思っている方にこそ
是非ハイヒールを履いてみていただきたい。

ハイヒールが女らしいアイテムだからこそ
スポーティな貴女の魅力と掛け合わされて
貴女だけのエレガンスが生み出される事は間違いない。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana















2018年5月25日金曜日

赤の魔法

一月ほど前から、急に赤い口紅が欲しくなって
色々探していた。

若い頃はパツッとしたボブヘアに真っ赤な口紅が定番だったが、
(よくお菊人形と呼ばれたものだ。笑)
もう何年、いや、20年くらい赤い口紅をつけていない。
ダークなマルーンカラーは持っているが、今の私にはダークすぎる。

赤という色が持つ、華やかでエネルギッシュでドラマティックな力。
赤い口紅の緊張感とエレガンス。
なぜか、今の私には赤という色の力が必要だと思った。

私は10年以上、Diorの化粧品を愛用している。
今でもDiorは大好きなのだが、化粧品売り場の出来事で綴ったとおり
接客にガッカリしてしまったのとあり
今回はDiorの赤を試しても、どうしてもピンと来ず
赤口紅を探す旅に出たという訳だ。


ひと月以上の旅の後、最終的にこちらを購入した。





Guerlain Rouge G #25

口紅とケースが別売りで、好きな組み合わせで購入できる。
ケースの箱のほうが口紅本体の箱よりも大きいという強気さ(笑)





写真ではブラウンがかって見えるが、実際はやや青みが入った、
シャープな王道レッドである。

ケースは口紅を取り出すと、自動的に鏡が開く設計になっている。
(撮影した時はまだ蓋にシールが付いたままなので、開いていない)
ケースのデザインは15種類あるので、ケースを決めるのも楽しいのだが
見ていると、口紅だけでなく、ケースも色々と欲しくなるという
お財布の紐を緩める、恐ろしい魔力を秘めている。


Givenchyの口紅と迷いに迷って、最終的にGuerlainにした。
テクスチャーがこちらのほうが好みだったのと、
私が欲しかった、Wow!というインパクト
そしてエレガンスを兼ね備えた色だったからだ。

Givenchyの赤はやや朱色がかった赤。雰囲気の違う赤が欲しくなったら
購入したい色であった。


赤い口紅を引くと、一気に顔が引き締まる。
顔だけでなく、気持ちもきりっと上向きになる気がする。
今はまだ、馴染んでおらず、鏡を見るたびに自分で自分の顔に驚くが
この色に負けない自分でありたい。
この赤をつけこなす自分でありたい。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





2018年5月24日木曜日

パワーを使う

引き出しの中を整理していて、数年前のメモ帳を見つけた。
何冊かあるメモ帳には、その頃人生を揺るがす出来事が次々とあり
それこそ、倒れたところにドラム缶が10個くらい振ってきて
立ち上がることすら出来なかった私の気持ちが綴られていた。



言いたいことが言えるようになりたい。



消えてしまいそうな、小さな字で書かれた言葉。
今見ても、自分のものとは思えないほど小さく、
筆圧も弱弱しい文字。
どこにも吐き出せない、行き場の無い気持ちを
小さな文字で、メモ帳に綴ることしか出来なかった自分。

あの頃の気持ちを思い出して、胸がいっぱいになった。


もがいても、もがいても、どうしたら良いか分からなかった。
八方塞りとはこういうことか、と半ば絶望していた時。
あるお二人の女性がくれた言葉が、私の人生を変えた。

お一人は70代の方。以前にも綴ったことがあるが、
「勇気を出して、自分の人生を生きる、と決めてごらんなさい。」
力強く、背中を押してくださった。

もうお一人は、あるカウンセラーの方。
「今日は、自分のpowerを認める記念日です。」
お話をした日に、きっぱりとそうおっしゃった。

power(力)と言うと、力技や暴力を連想する人が多いが、
必ずしもそうではない、とその方は話してくれた。


女性はpowerを持つこと、使うことを恐れることが多い。
それは、powerを持つことと、それを行使することで
何かを壊してしまうこと、傷つけること(実は自分が傷つくこと)を恐れるからだ。と。

誤解している方が多いのだが、powerを持つことが悪いのではなく
間違った使い方をすることが悪いのだ。
それは、包丁や火と同じで、正しく使えば役に立ち
間違って使えば怪我や火事の元となる。


だから、「powerを持つこと」を恐れなくて良い。
むしろ、自分にはpowerがある、とコミットメントし
正しく使うことが大事なのだ。


「私には選ぶ力があります。」
「私は 決断したことを 責任を持って実行していきます」


当時作ったアファメーション。
メモ帳の終わり近くのページに
前よりは少し大きな字で、はっきりと書かれていた。


自分には、自分の人生を生きる力がある。
そう自覚できた事で、私の人生は少しずつ動き始めた。
メモ帳の終わりに書かれた、翌年の目標の漢字は「立」
ちなみに今年の目標として定めた漢字は「歩」
私は、あの年から少しずつ立ち上がり、やっと歩き出したんだなと
自分の奮闘ぶりをほろ苦く、懐かしく思いながら、そっとメモ帳を閉じた。



あの時から私は、言いたいことがあったら口にし
やりたいことがあったら、やってみることを意識してきた。

最初は本当におっかなびっくりで。
それでも、本音で話すことを意識し続けた結果
嘘のように色々なことが変わり
自分も、自分の周りの人間関係も変った。

今では「竹を割ったような。」「ストレートな」と人から言われるほど
何でも思うことが言えるようになった。
それは、このBlogで時々吼えているのを見てもお分かりいただけるかと思う。
人は、何時からでも、幾つになっても変わる事が出来るのだ。


私たちにはpowerがある。
たとえ、どんなに困難な状況にあっても、必ずpowerがある。
周りの状況や、誰かの為にそのpowerを押し殺すことは
人生の舵を他者に預けることと同じ事。

私たちにはpowerがある。
その力を、人生を切り開く力として使っていこう。
ひとりひとりが誇り高く、自分の人生を生きること
その力が、世界を変えてゆくと信じている。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana








2018年5月22日火曜日

Salam Ramadhan!

《お知らせ》

卒業に向けてのモニターレッスン受講者様を募集いたしております。
詳しくは ⇒ こちら

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5月17日から、マレーシアではラマダンが始まった。
マレーシアだけでなく、世界中のムスリムが一斉に日中の飲食を絶つ1ヶ月である。

日本の方には、ラマダンがあまりお馴染みではないと思うので
今日はマレーシアのラマダンについてご紹介しようと思う。

ラマダン(断食月)はムスリムにとって、とても大切な月である。
礼拝、巡礼など、ムスリムが必ずしなければならない宗教上の義務が五つあり
その中の一つが断食である。


ラマダンは単に、「日中飲食禁止」だけの月ではない。
本来の意味は、「欲望を節制し、持てるものに神に感謝し、分かち合う善行を積む」
聖なる月なのだ。

日の出から日没まで、食べ物だけではなく、水も一切飲んではいけない。
日中の性行為も禁止。

日没と同時に、断食は解除となる。
マレーシアでは午後7時30分前後が断食解除の時間。
この時間までに夕食を用意し、各自目の前に食べ物をセットし
テレビやラジオで断食解除のアザーン(礼拝の呼びかけ)が流れるのをじっと待つ。
まさに「おあずけ」状態で、断食解除までの数分が異常に長く感じられる。


食べられないのは辛くないですか?とよく聞かれるのだが、
辛いのは最初の1週間だけで、あとは胃が小さくなってしまうので
それほど空腹は辛くない。
むしろ飲めないほうが辛いのと、食べ物が身体に入らないと
エネルギーになるものが無いので、エアコンが異常に寒く感じるのが辛い。
つくづく、食べ物は身体を動かす大事な燃料なのだと感じた。


ムスリムは大体学校に上がるくらいの年齢から
少しずつ断食に慣れさせてゆき、小学校高学年になると
ほとんどの子がラマダンの断食をコンプリートしている。


ムスリムにとって断食は大切な行の一つだが
例外もあり、妊婦、産婦、けが人、病人、幼い子供、老人などは
断食をしなくても良いことになっている。
また、戦闘中の者、旅行中の者も断食をしなくても良い。


ラマダン中は朝早く起きて朝食を取り、日没と共に夕食となる。
朝食は5時半ごろまでに食べなくてはいけないので
私も朝4時起きで朝食の準備をしている。

寝てしまうと、もう起きられないので、朝食後そのまま起きていて
ストレッチとエクササイズの時間に当てている。
その代わり夜が眠くてたまらず、今まで夜ブログを綴っていたのだが
耐え切れず眠ってしまうこともしばしばだ。


ブログの投稿が途切れがちになったら
ああ、力尽きて寝てるなと思っていただきたい。(笑)


ラマダンは始まったばかり。
また少しずつ色々とご紹介していけたらと思う。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





                                         Ketupat(ケトゥパット)
          マレーシアの粽(ちまき)のようなもの
          ラマダン後のお祭りの時に食べる

2018年5月20日日曜日

モニターレッスンのご案内

本日は、モニターレッスンのご案内をさせて戴きます。

Asami-Parisのコンサルティングを受け
半年間ひた走って参りましたが
卒業まで残り僅かとなりました。

私は元々、ハイヒール愛好者ではありませんでした。
憧れてはいたものの、外反母趾ということもあり、
普段はフラットシューズを主に履き、時々仕事で5センチのヒール。
唯一持っている8センチのヒールは
お出かけ用にしまいこんでいる有様でした。


たまに8センチを履くと、1時間もしないうちに痛くなり
私にはハイヒールは無理なのかと、がっかりすることの繰り返し。

それでもハイヒールを美しく履いてみたい。
そして人に教えられるようになりたい。
そう思って飛び込んだコンサルティングです。

今、私は10cmのピンヒールが履けるようになりました。
憧れだったハイヒールは、今や私の大切なパートナーなのです。


今度は私が、ハイヒールで美しく歩きたいと思っている方のお手伝いをする番です。
ハイヒールを憧れで終わらせず、ぜひあなたの日常のパートナーにして下さい。



<モニターレッスン>

日時: 2018年6月10日(日)

場所: マレーシア スランゴール州 アンパン周辺
(ツインタワーより 高速道路で20分程度)

時間: 90分(準備等を含め 全部で120分程度)


レッスン内容: ハイヒールで美しく歩くためのストレッチ
        素足のエクササイズ
        ハイヒールを履いての実践レッスン 
        女性性を高めるための上半身のストレッチ

募集人数:先着1名様のみ


ご希望の方は、お名前、ご希望の時間帯を
こちらのメールアドレスまでご連絡ください。
nana.subrosa@gmail.com


※募集はマレーシア在住の方に限りません。
ご旅行などで、マレーシアに滞在中に
受けてみたいと思われる方がいらっしゃいましたら
6月10日前後でしたら調整可能な場合がありますので
まずはご連絡をお願いいたします。

※応募締め切りは5月31日(木)とさせていただきます。

モニターレッスンに関するお問い合わせも
お気軽に上記のメールアドレスまでどうぞ。
ただし、先着1名様ですので、決まり次第募集を締め切らせていただきます。
予めご了承ください。


貴女からのご連絡を、心よりお待ち申し上げております。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana













人生の決断

先日から3回に渡って、私がマレーシアに住むようになったきっかけを綴ってみた。

「外国に移住するなんて よく決断しましたね。」
「勇気がありますね。」
と よく言われるのだが、私にしてみれば
移住した動機は、知らない世界を見てみたい。
という好奇心が一番大きかったような気がする。


今、思い切って日本を飛び出してしまうか。
あるいはリスクを避けて、日本に住む道を選ぶか。

私が選んだのは飛び出すほうであった。
(私は多分に無鉄砲なので、決してお勧めはしないが)
飛び出した後、決して順風満帆だった訳ではなく
外国に住むという現実と、日本では予想不可能なハプニングに何回も襲われ
正直、飛び出したことを後悔したこともあった。

だが、どう考えても、リスクを避ける、という選択は無かったと思う。
もしあの時、思い切って飛び出さなければ
そちらのほうがずっと後悔が大きかっただろう。



人生には重大な岐路がいくつもあり
選択を迫られる場面もある。
私が心がけていること。それは

ー 死ぬ間際の私が、今の私を見た時に
今私がしようとしている選択をどう感じるだろうか -

という視点で、未来の私から今の選択を見てみること。

私は、理想の死に方を決めてある。
それは、死ぬ間際に人生を振り返って、
「色んなことがあったけど、まあまあ面白い人生だったわ。」
と、笑って死ぬ。というものだ。


少々風変わりな考え方かもしれないが
死ぬ間際の未来の私が、ああ、あんなこともあったわね。
大変なこともあったけど、いい経験だった。
そう思えるような選択なら良しとする。

そうすると、例えば、人を陥れたり、人の言うままになったり
そんな選択は自動的に外されてくる。
自分にとって、何が最善か。
人のためでなく、自分が生きる上で、最高の選択を自分に与えると決めるのだ。


そして、一旦何かを決めたら、その決断に誇りを持つこと。
何が起こっても、自分の決断に誇りを持ち
あの時 ああすれば。あの時 人がああ言ったから、という後悔は
断固として遠ざけることである。


人間は誰一人、未来の事は分からないのだ。
決めて、行動することでしか未来は作られない。
もしも、途中で進退窮まったら、再度選択、決断して
行動すれば良い。
人生はその繰り返しなのだから。


人事を尽くして天命を待つ


これは不変の真理だと思う。
そして、人事を尽くすには、まず決めることである。
誰のためでもない、自分のために。



そうは言っても、色々な事情があり
自分の状況を考えると、決めること、行動することを躊躇してしまう方へ。
最近、私が実行していることは、


意識のベクトルを定めること。


諸事情や、タイミングや、その他諸々のしがらみで
即行動に移せない時。
まずは自分がどうするのか
意識の方向性を決めてしまうのだ。

スポーツの競技でも、ダンスでも、まず目線を定めなければ
その方向に動けないのと同じだ。
とにかく頭の中、意識だけでも こっちの方向へ行きたいと意識する。


そうすると、不思議なことに定めたベクトルの方向に進むような
出来事が起こったり、情報が入ってきたりする。
これは私自身が実証済みなので、小さなことで良いから
意識のベクトルを定める訓練をしてみることをお勧めする。


これは誰にも知られず、お金も掛からず
いきなり行動することのリスクも無い。
そうか、では試してみようとやってみる人
そんなこと言っても。と、やらない人
どちらが自分の未来を切り開けるかは明白である。


ちなみに昔の私は、寿命を75歳に設定していた。
50歳になった今は、75歳寿命などとんでもなくて
100歳まで生きる気満々だし、そのうち80代までは
元気にハイヒールを履くつもりでいる。


一度きりの人生
どう生きるかは100%自分次第。
死ぬ時に面白かった!と笑って死ねるようやりたいことをやる。
破天荒上等。

こう思えば、全ての決断は怖くない。
これが、私流の決断の奥義なのである。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana



















マレーシアに住むことになったきっかけ 3

横浜のイベントで、初めてマレーシアという国を知った私。
まさかその時は、後に自分がマレーシアに移住するとは夢にも思わなかった。


WOMAD92の会場で貰ったチラシで
一週間後であったか、記憶が定かではないが
渋谷で再び、ザイナル・アビディンのライブが有ることを知った友人と私は
もう一度、あの人のステージを観に行こう!と
喜び勇んで出かけていった。

そこで出会ったのが、数人のマレーシア人たちだった。
当時彼らはマレーシア政府派遣の研修生として滞在しており
「マレーシアを知っていますか。」
「知りません。どこにありますか。」
という会話は、この時交わされたものだ。


話をする中で、私はザイナルのCDが欲しいのだが
売っているところを知らないかと聞いてみた。
すると彼らの一人が、
「CDはどこで売っているか分からないけど、
カセットを持ってきてるからあげます。」
と言うではないか!

お若い方にはピンと来ないと思うが(笑)
当時、東南アジアでは、音楽はCDではなく、カセットテープがまだ主流だった。
本国で既に大スターだったザイナルのカセットは
マレー系なら誰もが持っている大ヒットアルバムだったのだ。


幾らなんでも見ず知らずのマレーシア人から
いきなり物を貰うのも気が引けたが
どうやら日本ではまだ、ザイナルのアルバムは入手不可能のようなので
意を決して有難くカセットテープを戴いた。


何を隠そう、この時カセットテープをくれたのが今の夫である。



人生は、時に全く予想不能なことが起きる。
1本のカセットテープが、私をマレーシアに呼ぶとは
一体誰が予想出来ただろうか。

今、こうして書き起こしてみても、自分の突飛さ
無鉄砲さに少々呆れてしまうのだが
この無鉄砲さが後々、思わぬ馬力を発揮して
異文化の中で暮らすピンチを、幾度救ってくれたことか。


私はどうやっても、体当たりタイプなのだ。
慎重に物事を検討し計画するとか
リスクが少ない、安定した道は選べないようで
何にでも体当たりしてしまう。
時に壁を突き破り、時に壁に激突して倒れ
倒れたところに更にドラム缶が落ちてきて
しばらく起き上がれなくなっても、何とかここまで生き残ってきた。

そのしぶとさだけは、自分で自分を誉めてあげたい。


しぶとさ、逞しさこそ、私がこの国で生きる中で
自分の力で身に着けてきたものだ。
日本にいては、決して出会えなかっただろう、逞しい私。
正直、大変だったことは山のようにあるが
私は、根っこのところで楽天家らしい。
大変だったことさえ、今では懐かしい思い出である。



このシリーズを書くにあたり、ザイナルのアルバムを引っ張り出して聴いてみた。
26年前、全く分からなかったマレー語の歌詞が
今は聴くだけで、当たり前に何を歌っているか分かる。
マレーシアに移住した当時、ゼロだった私のマレー語は
今では日常会話であれば、ほぼローカル並に話せるようになった。

懐かしい歌を聴きながら、この国で過ごした時間を
しばし 振り返ったひと時だった。



今 大変な事があって、毎日奮闘している方へ
その奮闘が あなたの力になる時が来る。
筋トレに負荷が必要なように
人生にも、負荷がかかる時期は必ずある。
人生の筋トレをやり遂げることで、生き抜く筋力が必ずつく。
これだけは間違いない。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana




                                     当時のカセットテープのカバー












2018年5月17日木曜日

マレーシアに住むことになったきっかけ 2

マレーシアの事を全く知らなかった私が
この国に出会ったのは1992年。


きっかけは、横浜で開催された「WOMAD92」という
ワールドミュージックのイベントだった。
日本、東南アジア、パキスタン、アフリカ、アイルランドなど
世界各国のミュージシャンが出演したイベントで
その中にマレーシアの歌手、ザイナル・アビディン(Zainal Abidin)がいた。


マレーシアの歌手は全くノーマークで
当然彼の音楽も知らなかったが、ステージを見て度胆を抜かれた。


ロック、ポップス、フュージョンと色々な要素が融合され
そこにマレーシアの伝統楽器が絡み、しかもダンサブルで、ノリが良い。
一言でこれ、とカテゴライズ出来ない音楽だった。
エスニック色が強い出演者の中で
ザイナルのサウンドは異色を放っていた。


マレーシアにこんなミュージシャンがいるのか。
あの日の出演者の中で、群を抜いて観客の人気を攫ったのは
ザイナルだったし、私も目から鱗が落ちる思いがした。


後に知ったのだが、当時のザイナルは、
マレーシアの「ニューミュージックの騎手」として絶大な人気を誇っていた。
当時、ミュージシャンとして既にキャリアを積んでいたザイナルだったが
それまでのマレーシアのミュージックシーンの常識を覆す
全く新しい音楽を打ち出して、大ヒットを飛ばしていたのだった。


そしてこの音楽が、 後々私をマレーシアに導くことになる。


ー続くー



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana







       マレーシアの伝統的な太鼓 レバナ ウビ(Rebana ubi)
        

2018年5月16日水曜日

Happy Birthday Yuya!

昨日、5月15日は次男の誕生日だった。
2001年生まれ。17歳になった。


長男の出産時の反省から、次男の時は最初から手術と決め
下半身麻酔の帝王切開による出産だった。


マレーシアでは、帝王切開でも下半身麻酔なら
夫の立会いが許可される。
途中までは元気に実況中継をしていた夫だったが
いざ赤ちゃんが取り出されたところで貧血を起こし、ぐったりとしていた。


先生が「Good Boy!」と言いながら赤ちゃんを胸の上に置いてくれた時
胸の上でグニュグニュと動く赤ちゃんの温かさに
感動しながらも
『マーケットでいつも買っている、捌きたての丸ごと鶏と同じくらいの大きさだな。』
と思ったことは、次男には内緒である。


今思い返すと、私以上に次男の面倒を見てくれたのは長男だった。
次男はお兄ちゃん子で、長男の行く所どこにでもついて行き
長男のする事は何でも真似をしていた。


お兄ちゃんがサッカーをすれば、同じサッカークラブに入り
同じ中学、高校に進学し
いつもお兄ちゃんの背中を見ていた次男。
この子は一体、何が好きなのだろうと思っていたが
中学3年くらいで、ようやく個性が出てきた。


音楽が好きで、独学でアコースティックギターとベースギターを弾き
MarvelのヒーローものやStar Warsが好きで、コツコツとコレクションを増やし
好きな小説のシリーズも少しずつ買い集めているようだ。
昔、押入れいっぱいのロック雑誌を持っていた私が、
「そのオタクの血はママ譲りだね。」と言うと
物凄く嫌な顔をするのだが、間違いなく私の血を引いている。(笑)




つい最近、次男がボソッと
「SPM(高校最終学年の統一試験)が終わったら、○○のコースに行きたい。」
と漏らした。
私は、彼が初めて、自分の将来について意思表示をしてくれたのが
とても嬉しかった。


私がいつも、子供たちに言っていること。
「どんな勉強をしてもいい。
人を傷つけたり、犯罪に絡むのでなければ、どんな仕事についてもいい。
けれど自分が情熱と誇りを持てる仕事をしなさい。
情熱と誇りが持てるなら、どんな仕事でもいいし
世界のどこに住んでもいい。
マレーシアにこだわる必要は無い。
チャンスを掴んで、世界に出て行きなさい。
ママに会いたくなったら、会いにくればいいから。」



2番目の子というのは、常に上と下に挟まれて
なかなか大変なポジションだ。
次男も無意識に、人の調整役を買って出ていると思う。
それは彼の長所であり、人を介して色々なラッキーや助けを得ている部分はある。
その反面、人を優先してばかりの面があり
あなたはどうなの?どうしたいの?と聞くこともしばしばだ。

家族の中で、潤滑油の役目を担ってくれている次男。

その優しさはそのままに、自分を優先することの大事さに目覚め、
人生をしっかりと切り開いていって欲しいと心から願う。





マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





                                        2006年 ケダー州の親戚宅にて


2018年5月15日火曜日

マレーシアに住むことになったきっかけ 1

私は1997年から21年間、マレーシアのクアラルンプールに住んでいる。

おそらく、私のブログを読んで下さっている方は、少なからず
「この人はどうしてマレーシアに住んでいるんだろう。」
と思っていらっしゃることだろう。

国際結婚をしている。というのはBlogでも何度か書いたが
「それにしても何故マレーシア?」と思われる方は多いようで
この21年間で500回は尋ねられていると思う。
ちなみに大抵の場合、
「ご主人とどこで知り合ったんですか?」という質問とセットで聞かれる。(笑)


そこで、ここから少しずつ
私がマレーシアに住むことになったきっかけを、綴ってゆこうと思う。


移住するくらいだから、昔からマレーシアのことが好きだったのか
と聞かれることも多いが
私とマレーシアの出会いは1992年。
前年の1991年にバリ島に行ったのが、はじめての海外旅行だった。

そして翌年、あるきっかけでマレーシアと出会ったのだが
その時私は、
「マレーシアを知っていますか」
「知りません。どこにありますか。」
「シンガポール知ってますか。」
「知ってます。」
「タイ知ってますか。」
「知ってます。」
「シンガポールとタイの間がマレーシアです。」
「???そんなところに国、ありましたっけ???」
という会話をしてしまうほど、マレーシアに関して無知だった。


では、私がマレーシアと出会った「あるきっかけ」とは。


ー続くー


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana











2018年5月13日日曜日

朝焼けのメッセージ

この地球の上
大自然の営みと時の流れの中で
私たちの人生とは
余りにも小さく、あまりにも短い
ほんの一粒の 砂粒のようなもの。


今、どんな苦しみがあろうと

どんなに悩んでいようと
泣いても笑っても
宇宙から見れば、それはほんの一瞬にも満たない瞬き。


だからこそ、一瞬たりとも人生を無駄にしてはならない。

自分以外の 如何なる物にも 断じて人生を明け渡してはならない。


月の見えない闇夜に迷っても

やがて月が闇夜を照らし
そして夜は必ず明ける


夜明けと共に 再び歩き出せ

行くべき道は 魂が知っている。







週末は、クアラルンプール郊外の高原リゾートへ
家族と共に 一泊の小旅行をした。

朝 いつものようにストレッチをしようとして
カーテンを開けた瞬間
ホテルのバルコニーの真正面に広がっていた 素晴らしい朝焼け。

急いでロビーに降り、外に出て
芝生の上に裸足で立ち、しばし朝焼けに見とれていた。


こんな朝焼けを見たのは、本当に久しぶりで
心身ともに清清しいエネルギーに洗われる思いであった。
そこで浮かんだ言葉を ここに綴らせていただいた。


美しい朝焼けの写真と共に シェアさせていただく。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana




2018年5月10日木曜日

カリスマ指導者の風格:マハティール・モハマド氏 

マレーシアでは昨日、総選挙が行われた。

投票日が平日に当たるため、5月9日を急遽公休日とすると
アナウンスされたのが2週間ほど前。

更に投票直前になって、与党が勝てば翌日10日も公休日とし
野党が勝てば10日、11日と二日間続けて公休日とする
というアナウンスがあった。

票を得るための餌が公休日ですか、と突っ込みを入れたくなるが
選挙結果は野党の圧勝で
本日10日と明日11日が公休日になった。
ちなみに私のオフィスは通常通り仕事なので、後日代休を取ることになっている。

選挙結果で急に休日が決まるなんて、と思われるかもしれないが、
以前、サッカーのマレーシア代表がスズキカップで優勝した
という理由で、試合翌日が祝日になった国なので、さほど驚かない。



今回の総選挙では野党が圧勝し、マレーシアの独立後初の政権交代となった。
午後、野党党首で第7代首相となる、マハティール氏の記者会見の生放送があった。


マハティール氏は、2003年までマレーシアの首相を22年間務め
現在92歳で政界に返り咲いた、世界一高齢の首相である。

ちょうどランチタイムだったので、ランチもそこそこに
同僚と一緒に記者会見を見たのだが
とても92歳とは思えない、強いエネルギーを放っていた。

鋭い視線、きっぱりと明晰な口調。
時に記者の質問にユーモアとウィットで答える余裕。
生中継を見ていた私たちが全員、流石マハティール氏と感嘆するほど
全てが他の政治家とは一線を画していた。


私は、記者会見を見ながら、コンサルティングで学んだカリスマ性の構築を
思い出していた。

マハティール氏もやはり、瞬きは少なく、しっかりと視線を定めていた。
余計な動きをせず、言葉をしっかり発音し、ヘラヘラと笑わない。
それでいて時折、表情を和らげユーモアを交えて話をする。

見ている者が、惹き付けられずにはいられないカリスマ性と
優れた指導者としての風格。
流石としか言いようがない。


92歳という高齢で、熾烈な選挙戦を勝ち抜いた、強靭な精神力。
全ては、そのエネルギーから放たれる風格なのだろうと思った。


エネルギーは強いほうが勝ち。
まさに、この法則を見せていただいた。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana












2018年5月9日水曜日

脚に負担をかけ過ぎない

毎朝、ストレッチをするついでに行っていることがある。
それは、「逆立ち」。

始めた動機は、今年始めの胃腸の不調だった。
もしかして内臓の働きが悪くなっているのでは?と思い、
内臓を刺激するために、逆立ちを始めてみたのだ。
自力での倒立は無理なので、壁に向かってではあるが、
最初は10秒ほど、今は30秒ほど出来るようになった。


逆立ちをすると、両腕にかかる体重が、どれほど重いかよく分かる。
私たちの脚は、常に体重を支え続け、毎日過酷な労働に耐えているのだ。
そう思うと、体重をひたすら支えてくれる脚が、
どれほど大切かが良く分かる。
太いとか短いとか言っている場合ではないのだ。


かつての私を含め、多くの方が誤解しているのだが、
立つ、歩くという動作は、脚だけで行うのではない。
本当に身体を支えるのは、腹筋背筋を初めとする体幹の筋肉であり、
脚を前に運ぶのはヒップやハムストリングス、
そして膝、足指を総動員しなければならない。


なのに、多くの方は脚にどっしりと体重をかけて立ち、
歩く時も脚の筋肉だけを使い、ドスドスと踏ん張りながら歩いている。
これが、太腿の張りやししゃも脚の本当の原因なのだ。
要は、毎日脚に負荷をかけながら筋トレしているようなものだ。
これでは、使いすぎている部分の筋肉が発達してしまうのも仕方が無い。

歩くと前腿が痛くなる方は、ほぼ間違いなく前腿で踏ん張りながら歩いている。
かく言う私も、 以前はヒールの有る無しに関わらず
歩くと必ず前腿とふくらはぎの外側が痛かった。


今は、10センチのヒールを履いているが、前腿が痛くなる事は無い。
ふくらはぎの外側が痛むことはあるが、
そういう時は、必ず間違った歩き方をしているので、
間違った歩きの警報となっている。


正しくハイヒールで歩くと、腹筋を引き上げて体幹で支えるので、
脚に負担がかからない。
そして、後ろ足の腿の裏側を使うので、腿の前後の筋肉のバランスが取れてくるのだ。

まさかそんな、と思われるかもしれないが、
現在進行形で人体実験中の私が、最も身体で感じている。
本当に、脚への負担が減ったと思う。


ただし、ハイヒールで正しく歩いた場合のみ、である。
脚の悩みをお持ちの方こそ、ハイヒールに挑戦してみていただきたいと思う。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana












2018年5月8日火曜日

なぜ世界に美が必要なのか

日曜日は娘と二人で、クアラルンプールのIslamic Art Museumへ行って来た。

正直、クアラルンプールの美術館、博物館のレベルはまだまだなのだが、
こちらの美術館はその中では群を抜いてレベルが高い。

世界各国のモスクのミニチュア、
12世紀ごろからのコーランの数々、
世界各地のイスラム地域の民族衣装など、
日本人にはあまり馴染みのないイスラム世界の歴史とアートが学べる、
貴重な場所である。


イスラム様式の建物は広々としていて、カフェもあるので、
暑さを逃れて、ゆっくりと読書をしたり思索に耽るにはぴったりの場所である。






ホールの一角に、「Syria Yemen Iraq:The Risk of Forever Being Lost」と題された
ミニ写真展が開催されていた。

シリア、イエメン、イラクの各地で、空爆により破壊された街とモスクの写真展であった。
空爆前の美しいモスクや生活感溢れる町並みと、
空爆後の、ドームが崩れ落ち、無残に崩壊したモスクと、一面の瓦礫の街。
蜂の巣のように銃弾の跡が残る建物。

歴史的に価値ある建造物も、人々の生活も、
全て無残に破壊された街。
あそこに住んでいた人々はどうなったのか。
写真を見ながら、胸が痛んだ。

遠い昔の話ではない。ほんの数年前に起きた事なのだ。
そして一部の地域は今もなお、戦闘が続いている。

イスラムと言うと、テロリストのイメージが強く、
恐ろしいと思う日本人が多いかもしれない。

しかし、大多数のイスラム教徒は、平凡な、普通の市民なのだ。
イスラムだから、○○だから、ではなく、
どの国であっても、戦争は破壊と恐怖と憎悪しか生まない。


だからこそ、世界には美が必要だ。
美が生み出すものは、創造であり、
魂の高揚と心の潤いであり、愛である。
そこには国も、人種も、宗教も関係なく、
時空さえも超える力がある。
美は人間だけが持つ概念であり、もしも美が無かったら、
人間は動物と何ら変わりがないのだから。


美しいものを美しいと感じる心があれば、
破壊を好んだりはしないだろう。
テロや戦争が続く今だからこそ、世界には断固として美が必要なのである。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana










2018年5月7日月曜日

美しくありたいと願っている貴女への手紙

美しくありたい。
そう願っていても、どこから手を付けて良いか分からない貴女へ。



貴女が今、年齢が何歳で、どこに住んでいても、どんな状況でも、
既に貴女は、美しさへの1歩を踏み出しています。

何故なら、美しさが人生において、どれほど大切か分からない人は、
美しくありたいとすら思わないからです。
美しくありたい。
そう願う貴女の中には、既に美しさの種が眠っています。


その種を、眠らせたままにしてはなりません。
美しくありたいなら、まずは、美しくあることへの覚悟を決めてください。


私は美しいのだ。
断固として、美しくあるのだ。


そう自分に誓いを立ててください。
そして自分の生活において、美を基準として生きてください。


「美しい私ならどうするか。」を基準にするのです。
身の回りの品、立ち居振る舞い、身なり。
値段ではなく、利便性だけでもなく、それが自分にとって美しいかどうか。
美しい私に相応しいかどうか。
丁寧に吟味して、小さなところから初めてみてください。

そして、なるべく美しいもの、機会があるなら本物に触れて、
五感を磨いてください。
心と身体の感覚が鈍感では、美を感じることは出来ないのです。



そうは言っても、今の私は全然美しくないし、
自分の状況や環境も、美しさとはほど遠く、
経済状況だって楽ではないのに、そんな事で美しくなれるのか。
そんな頭のお喋りが、雪崩のように押し寄せてくるかもしれません。


だからこそ一番最初に、美しくあることへの覚悟を決めるのです。
覚悟はお菓子の型と同じ。
型が決まらなければ、中身に何を入れても、
グズグズに崩れた、訳の分からないものが出来上がるでしょう。

巷に溢れる情報に片っ端から飛びついて、美しくなろうとするのは、
型無くして中身だけ詰め込もうとするようなものです。


美しさへの覚悟を決める。
自分にとっての美しさとは何かを探る。
自分にとっての美を基準に、物事を取捨選択する。
五感を磨く。

これこそが、確固たる芯のある、貴女だけの美しさを齎してくれるのです。



今、美しくありたいのに立ちすくんでいる貴女。
貴女は数ヶ月前の私です。

美しくありたいと強烈に願っていても、
どこか、自分には無理なのではないかと思っていた私。
けれど、諦め切れなかった私。


私は、ハイヒールの哲学の世界に飛び込んだことで、
美しくある覚悟を決めました。
ハイヒールはあまり履いたことが無かったけれど、
私に美を齎すツールだと思ったから選んだのです。

そこから、私の人生は大きく変わりつつあります。


これからも、どんどん変わってゆくでしょう。
変化を恐れたりはしません。
何故なら私は、美しく生きると決めたから。


貴女も、まずは一歩を踏み出してください。
既に貴女の中にある美しさを、遠慮なく花開かせると覚悟を決めてください。
それは他ならぬ、貴女自身への愛なのですから。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





















2018年5月5日土曜日

K-POPから学ぶ

私の娘は12歳。
音楽が好きで、暇があればYoutubeやJooxで色々聴いているようだが、
最近はBTSという韓国のボーイズグループがマイブームのようだ。

少し前は日本のアニメにはまり、おぼつかない日本語を話したり、
主題歌を口ずさんでいたのが、
あっという間に韓国語に塗り替えられてしまった。
ちなみに娘は日本語を話さないので、
私とは英語とマレー語でコミュニケーションを取っている。

最近の子供が凄いと思うのは、Youtubeを使いこなして、
どの言語の歌でも、あっという間に覚えてしまうことだ。
数ヶ月前はフランス語の歌にはまり、「私パリに行くの。」と言っていたのが、
次にドイツ語のポップスが気に入って、「ドイツ語最高!」と言いながら、
毎日ドイツ語で歌っていた。

最近は、珍しく熱心に勉強をしているなと思ったら、
ノートにびっしりとハングル文字の書き込みがあった。
しまいには近所のコリアンタウンの前を車で通った時に、
お店の看板のハングル文字をすらすらと読み出して、
私を驚かせた。
その情熱を少しだけ、算数に向けてくれないものかとため息をつく母である。

もっとも、その昔ブリティッシュロック狂だった私も、似たようなものだったので、
これは確実に私の血だろうと、半ば諦めの気持ちでいる。

「ところであなた、日本語は?」と娘に聞くと、いともあっさり
「後で。」と言われてしまうのが、情けない限りだが。



実は、マレーシアではここ数年、K-POPや韓流ドラマがブームである。
10年近く前になるが、以前はSMAPがちらほら話題になっていたし、
ドラマも放映されていたのだが、
今や日本の歌手、ドラマは全く見向きもされなくなった。
日本人としては寂しい気持ちもあるが、
一方で、マレーシアで韓国のエンターテイメントが受けるのも頷ける。

先週、テレビで韓国の歌番組を放映しており、
娘と一緒に観たのだが、なるほど、と思った。
昔からアイドルグループが苦手な私には、どのグループも、どのメンバーも
同じ顔に見えてしまうが難点だが。(笑)

ほとんどのK-POPグループが、ルックス、歌、ダンスと三拍子揃っているし、
歌がキャッチーなのだ。
中でも、やはりBTSのアピール力は群を抜いていると思った。


好き嫌いはあるだろうし、単純に比較は出来ないが、
日本の芸能界、芸能人が日本国内でチマチマと、
小さくまとまって見えるのは否めない。

今の時代、国内に向けたマーケティングだけでは、
完全に取り残されてしまう。
狭いマーケットだけでなく、より大きなマーケットに向けて発信するアピール力、
プロモーション力。これが必須だと思った。
これは日本だけでなく、マレーシアにも言えるのだが。


ちなみに、娘が再び日本語の歌を歌いだしたので、どうしたのかと思ったら、
BTSは日本語バージョンのアルバムがあるので、
日本語バージョンを歌えるようになって、お友達に差をつけたいらしい。
ということで、娘の要望でK-POPの日本語バージョンの
発音を直してあげるのが、このところの日課になっている。




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana









ミニスカートx10センチヒールの効果

今日は珍しく、膝上のミニスカートで出社した。
足元は10センチのハイヒール。

一日の業務を終え、帰り際に廊下で他部署の女性に声をかけられた。
「今日はミニスカートで素敵ですね。」
ありがとうございます。と返事をすると、思いがけない答えが返ってきた。
「脚がきれいだから、お似合いです。」

あまりに意外な言葉に、ありがとうございますと返す声が
若干しどろもどろだったかもしれない。

何せ、脚がきれいなどと言われたのは、生まれてはじめてだったのだから。


走るのが嫌いで、めったに走らないのに、「走り込んでいる脚ですね。」は
よく言われたが、脚がきれいと言われたことは一度も無い。
今日に限って、なぜだろうと考えて、
やはりこれは、10センチのハイヒール効果に違いないと思った。


5センチや8センチと比べると、10センチヒールを履くと、ぐっと膝下が長く見える。
おそらくその為だろう。
プラス、日々のエクササイズのおかげで、少しは脚が引き締まったのだと思いたい。


しかし、5センチ、8センチを履いていたときには、何も言われなかったのに、
さすがに10センチは目立つのだろうと思った。


ということは、高さのあるヒールを履いたら、
当然歩き方も見られているということだ。
若いお嬢さんでも、歩き方が悪ければ残念な印象なのだから、
50代の女性が、ミニスカートとハイヒールで、膝を曲げて歩いていたら、
それは醜悪としか言いようが無い。
人は、見ていないようで、意外としっかりと見ているのだ。


すっきりと美しく歩く。
それだけでその女性の印象は鮮烈なものになる。
心して歩くべし。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





2018年5月3日木曜日

好きなことがエネルギーになる


先ほど、師匠とのコンサルティングを終えた。

今日は仕事が立て込おり、ぐったりと疲れて帰宅し、
コンサルティング開始30分前まで、少し横になっていた。
妖怪に遭遇したのではなく、単純に仕事が忙しかったからだが、
私にしては珍しく、『今日のコンサルティングは駄目かも。』と弱気になっていた。

それでも、コンサルティングが始まると、徐々にスイッチが入り、
終わる頃には、すっかり元気になっていたのだから現金なものだ。
その勢いでブログを綴っている訳だが、
先ほどまでの疲れは何処へやら、である。

正直、今日のコンサルティングでの出来はあまり良くなかったのだが、
始まる前のエネルギーが落ちた状態から比べると、
雲泥の差だ。

好きなこと、夢中になれることがあると、それがエネルギーになる。
夢中になれる事を見つけられた私は、本当にラッキーだと思うし、
ここから得たエネルギーを、循環させていきたいと心から願うのである。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana






2018年5月2日水曜日

本当に脚のラインはハイヒールで変わるのか

女性の体型コンプレックスで、常に上位を占めるのが脚の悩み。
太い、細すぎる。腿張り、ふくらはぎが太い、足首が無い、
O脚、X脚などなど。
自分の脚に100%満足している女性など、この世にいないかもしれない。

かく言う私も、筋金入りの脚コンプレックスの持ち主だった。
とにかく自分の脚が嫌で嫌で、パーツ交換が可能なら、
真っ先に脚を取り替えたいと思っていた程だ。

私の脚は、父親譲りでがっしりとした筋肉質。
特にふくらはぎが発達しているので、スキニーやスリムなジーンズは、
履く時にふくらはぎで引っかかって、それ以上は上がらない。
スパッツやレギパンを履けば、何故かとび職か、神輿担ぎの若衆のようになる。
なので、ジーンズはストレートしか選べないのだ。

とにかく脚を細くするために、あらゆる方法を試したが、効果は無く、
この脚は遺伝だから、一生変わらないと思っていた。


ところが、
10センチのハイヒールを日常履きにして間もなく、
鏡を見て、「え?」と思う瞬間が増えた。
どこがどうとは言えないが、何となく脚が今までと違う形に見える気がした。
それに、気がつけばいつの間にか、
ミニスカートに着替えた時に、ため息をつかなくなっていたのだ。

最初は気のせいだと思っていた。
そんなある日、師匠に「Nanaさん、脚のラインが変わりましたね。」と指摘され、
気のせいではなかったのだと確信した。


劇的に細くなったのではない。太いか細いかと言ったら、太めではある。
しかし、ふくらはぎが全体に持ち上がった感じになり、
内腿に括れが出現した。
ヒップアップし、ジーンズを履いた時のヒップラインが変わった。
それと同時に、歩くといつも痛くなっていた前腿や、ふくらはぎの外側の痛みが
無くなった。

何よりも、いつの間にか、太さが気にならなくなっていたのである。
それどころか、「悪くない。」と思えるようにすらなった。
これは私にとって、とてつもなく大きな発見だった。


ハイヒールを履くことで、脚のラインは変わる。
私は現在進行形の人体実験の証人として、強く言いきれる。
師匠をはじめ、Team Asami-Parisの同志の方のブログを読んでも、
半信半疑だったのだが、今や私が生き証人である。


ただし、やみくもにハイヒールを履いても、脚のラインは
悪化するばかりなので注意が必要だ。
ハイヒールで正しく歩くのに必要な筋肉を、
正しく動かしてこそ、足のラインは変わる。


ラインが変わるとは、言い換えれば形が整う、ということだ。
もともと生まれ持った骨格、筋肉と脂肪の量と付き方は千差万別。
それが、子供の頃からの歩き方の癖が積み重なり、
大人になってから間違ったハイヒールの歩きをすることで、
なお一層脚の筋肉が偏った使われ方をし、結果、脚の形が悪くなってしまう。


筋肉を本来あるべき場所へ整え、正しく使えば、
脚のラインが整わないはずがない。
それが出来るのが、ハイヒールで正しく歩くことだと実感した。


今までコンプレックスでしかなかった脚が、
悪くないと思える。愛しいと思えるようになるとは、
とてつもなく大きな自信を齎してくれる。
冗談ではなく、世界が全く変わってしまうほどだ。


自分の脚はもう変わらない。
何をしても無駄だと思っている方がいらっしゃったら、
駄目もとで、ハイヒールの哲学の世界へ飛び込んでいただきたい。

「脚が太いから」という言い訳が無い世界。
「これが愛しい私の脚」と自分の脚を愛せる世界。

そんな世界へ誘ってくれるツールが、ハイヒールなのである。




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana












2018年5月1日火曜日

マレーシア人女性の歩き方

今日のテーマは「マレーシア人女性の歩き方」について綴ろうと思う。

事の起こりは、先週のコンサルティングで師匠に、
「マレーシア人女性の歩き方はどうですか?」と聞かれたからだが、
改めて一般のマレーシア人女性の歩き方を観察すると、
大きく次の3つに分けられるようだ。


1.サンダル歩き
常夏であり、突然の豪雨もあるので、
街中でもサンダルの愛用者が非常に多い。
それは実用的で良いのだが、
パンプスでもサンダル歩きになっている方が多く、美しい歩きとは言い難い。

サンダル歩きとは、突っかけサンダルや、ビーチサンダルを履いた時のように、
足首、足指を使わずに、膝下だけを持ち上げて動かし、
ペタンと着地するペタペタ歩き。
腹筋も背筋も使う必要が無いので、肋骨が落ち、
下腹がポコンと出ている方が多く見られる。
ちなみにこの歩きは、女性だけではなく男性にも非常に多い。



2.外股&ガニ股
爪先が外側を向く「外股」、膝が曲がったまま外を向く「ガニ股」。
外股+ガニ股+踵からの着地というトリプルコンボで、
ガツガツと歩いている女性も多く見かける。
非常にアグレッシブに見えてしまう歩き方だ。
実際、気が強くて弁が立つ女性も多く、そういった方がこの歩きをすると、
迫力がありすぎて、周囲はタジタジとなってしまいそうだ。



3.お相撲さん歩き
お相撲さんのように、身体を左右に揺すりながら歩く歩き方。
日本の街中で、お相撲さん並の体型の方はあまり見かけないが、
マレーシアでは頻繁に遭遇する。

食べ物が脂っこい上に、暑いので運動不足もあり、
肥満率はかなり高い。
女性でもウエスト100cmという方は珍しくないし、
私の義兄はおそらく、軽くウエスト150cm以上はあるだろう。

そこまで肥満が進むと、脚を正常に運ぶことが出来ず、
身体を揺すってバランスを取りながらでないと、歩けないのだと思う。
こうなると、美しさ云々の前に、健康のためにダイエットが必須である。


残念ながら、一般のマレーシア人女性は、歩きに関しての美意識は
まだまだ低いと言わざるを得ない。
上の3つの歩きに加えて、膝の間を開いている確立は95%以上。
更に、太っていてもあまり気にしない国民性なので、
太りすぎてお相撲さん歩きになっても、
それが外見、健康面両方に悪いという意識が低いのだ。

特にマレー系女性は、身体の線を隠す服装をしているので、
歩き方が雑でも、尚更気にしない。
テレビにモデル出身の女優が出ていたとき、マキシのドレス越しに
膝の間が開いたまま歩いているのが、はっきりと分かった。
モデル出身ですらこうなのだから、
一般女性は推して知るべしである。


マレーシア人女性に正しいハイヒールの歩き方を説くには、
美しさだけでなく、
健康面やダイエット効果という実利を、強く説く必要があると感じている。
あとはいかに、コツコツが苦手なマレーシア人に、
コツコツ積み上げることの大切さを分かってもらうか。


国は違えど女性なら、必ず美しいものに魅かれるはずだ。
今まで見る限り、美しい歩きをしている女性がゼロに違いからこそ、
これから先に大きな可能性があると感じている。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana




                  マレー系の女優であり歌手のAdibah Noor











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