2018年2月27日火曜日

美しいヒップラインのために


先週、これでもかと思うくらい叩き直してもらった私の身体。
あれだけやったのだから、今週は大丈夫だろうと思っていたのだが、
甘かった。
月曜のレッスンでは、またもや脚につられて上半身が左右に回り、骨盤がぶれ、腹筋が落ちて背中が反るというフルパッケージを披露してしまった。


師匠が、あの手この手の技を駆使して、あちこち叩き直してくれたのだが、

骨盤のブレが止まらず、最後の最後で、師匠の大ナタが振るわれた。


ハイヒールを履いて、前脚を作る時に後脚の踵を瞬時にクイッと内側へ向け、

ピタっと静止して着地する。




これは冗談でなく、大ナタ級のきつさだった。
(師匠に「私はナタなど振るいません。」と言われてしまいそうだが)

本当にきつかった。


なのに師匠は、この動きを説明しながら流れるようにやってのけ、
ピタリと静止し、エレガントな歩きに繋げてゆくのだ

母趾球一点立ちといい、この美しい人の筋肉は一体どうなっているのだろうと思う。





踵を内側に入れる動きで、どの部分が最もきつく感じるかと言うと、

「お尻の下と内腿」である。

ガードルを履くときに、お尻のお肉を手でグイっと持ち上げて、

ガードルの中に収めると思うが、お尻の下に手を当てた時に、
ちょうど中指が当たる位置。そしてそこに続く内腿。
ここにピンポイントで効くのだ。

今、思わず、ご自分のお尻に手を当ててみた方もいらっしゃるのではないだろうか。

手を当てると分かるのだが、この部分は、
お尻の筋肉が弱って垂れてくると、垂れた分が溜まりやすい部分である。
ということは、ここの筋肉を使わないでいると、
どんどんお尻が垂れて、内腿とダブルでタルタルになってしまうということだ。
何と恐ろしい。


ハイヒールレッスンをしていると、普段意識していない筋肉の動きを
体感する瞬間が山ほどある。
フラットシューズでは絶対体感出来ない筋肉を、感じることが出来る。
このお尻と内腿の筋肉も然りで、普段、いかに使っていないかということだ。


ヒップアップのためにガードルを着用する方は多いと思うが、
ガードルは脱いだら、脱いだ瞬間からダラリとなってしまう。

ガードルが悪いとは言わないが、
まずは自前のガードルである筋肉をしっかりと鍛えてから、
下着で整えるのが正しい順番ではないかと思う。


ヒップの丸みは女性の体の美しいパーツ。
ハイヒールでしっかりと鍛えて、タイトスカートが決まる美しいヒップを
手に入れてはどうだろうか。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana











2018年2月26日月曜日

前に進むための改善点

備忘録的に。


胃腸の調子を立て直す

充分な睡眠を取る

決まった時間に食事を取る。ムラ食いをしない。


体の右側の動きが悪いので、意識して右を動かす

右足裏、右足首の強化


何事も詰め込みすぎないこと。

動作、言葉などの終わりを丁寧に。

最後まで人の話を聞く。


今までより30%離す速度を落とす。


改善すべきところは山のようにある。
こうして書き出したのは、ほんの一部だ。

書き出してみると、今までいかに意識していなかったかが分かる。
「何となく」頭の中で流していただけで、いつの間にか忘れてしまっていた。

考えて、言語化して、行動し、修正する。
現実化というのは、その繰り返しの延長にしかあり得ないのだ。
移り気な私は、コツコツが一番苦手だ。

Team Asami Parisの皆さまのブログを拝見すると、
その地道でストイックな努力に、わが身を振り返って恥じ入るばかりだ。
Teamの名折れにならぬよう、精進するしかない。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana










2018年2月25日日曜日

忘れ得ぬ友へ

今朝は慌しかったため、ストレッチとエクササイズをする時間が無かった。
そのため先ほどストレッチと素足のエクササイズを行った。

骨盤のストレッチをしながら、フジ子 ヘミング演奏の
ラヴェル「亡き王女の為のパヴァーヌ」を聴いていた時、
ふと、一人の友人を思い出した。

今日は、その友人について綴りたいと思う。



私が20代後半で、まだ東京にいた頃。
私には一人のトランスジェンダーの友人がいた。
彼と呼ぶか彼女と呼ぶか、少し考えたが、
ここでは、友人の魂の性にレスペクトを表し「彼女」とさせていただく。


彼女は多くのトランスジェンダーの方がそうであるように、
とても美意識が高く、女性よりも女性らしさを研究し、演出する術を心得ていた。
手先が器用で何でもセンス良くこなし、料理も上手だった。
メイクは若干厚めであったが、それでも私などより遥かに上手で、
要するに私よりも、ずっと女性らしかった。

平日は仕事の関係で、止む無く男性の外見をしなければならず、
それは彼女にとって、とても苦痛であったと思う。
彼女と私は気が合い、週末は度々彼女と一緒に、クラブへ出かけたり、
彼女の部屋で手料理をご馳走になったものだ。
そんな時の彼女は、魂の性である女性の姿で、とても伸び伸びとしていた。


実は人生で初めて、私に「結婚しよう」と言ったのは彼女である。


彼女とお酒を飲んでいた時に、半ば冗談で、彼女が私に
「すごく結婚したいし、子供が好きだから子供が欲しい。
Nanaちゃん、私と結婚しようよ。
人工授精で子供作って、あとはお互いボーイフレンド作ればいいじゃない。」
と言ったのだ。私は、
「あなたが私のボーイフレンドを好きになったらどうするのよ。
私はあなたと男性の取り合いをするのは御免だから、結婚はお断り。」
と笑いながら丁重にお断りした。

それは、冗談に隠した彼女の本音だったと、今では分かる。
いつもおどけていたけれど、本当に心優しく、子供が好きだった彼女。
結婚したがっていた彼女が結婚せず、
さして結婚や出産に興味がなかった私が結婚し、
3人も子供を産んだことを思うと、運命とは何だろうと思ってしまう。

マレーシアに移住する直前、私は自分の服をいくつか、彼女にあげた。
彼女はとても喜んでいた。
それが、彼女に会った最後となった。


マレーシアに移住して数年経った頃、共通の友人から、
彼女が病気で、もう長くないということを聞いた。
もし会いたいなら、今 会っておいたほうがいい。
そう言われたが、
幼い子供を抱えていた私は、すぐに帰国は出来ず、
彼女に会うことは叶わなかった。

聞くところによると、私がマレーシアに移住した後、
彼女は仕事を辞め、夜の世界で女性として生きていたという。

安定した仕事と収入を捨て、魂の性に従って生きることを選んだ彼女。
それは、とても勇気ある、だが魂の声に従った選択だったのだろう。
男性として、女性と交際しようとして挫折した時、
友人に手ひどい裏切りを受けた時、
尊敬していた師から、トランスジェンダーを理由に絶縁を言い渡された時、
そんな時の彼女の、
「ま、いいわ。これが私の人生だもの。」
という言葉と、深い瞳の色を思い出す。


もしも今、ハイヒールコーチを目指す私を見たら、
彼女は何と言うだろうか。
目を輝かせて、
「素敵!私、絶対に習いたい!」
と言うに違いない。
そしてその後に、
「あんた女らしさが足りないから、もっと勉強しなきゃだめよ。」
と、痛烈な一言を忘れないだろう。


彼女を懐かしく想い、私はひとつ決心をした。
私が独り立ちしたら、私の門は女性だけでなく、トランスジェンダーの方にも開く。


世間の常識や法律では、性別は生まれ持った遺伝子に従い、
「男性」か「女性」どちらかに振り分けられてしまう。
だが私がこれから行こうとする道は、常識や法律に縛られない「美」の世界だ。

年齢、国籍、生物学上の性は全く関係ない。
Skypeを使えば、場所すら関係ない。
誰よりも女性らしく、美しくありたいと願う方ならどなたでも、
私の前では、思い切り女性性を発揮していただきたいと思う。

その為に、まだまだ足りないところだらけの私は、精進が必要だ。



私にひとつのビジョンを示してくれた大切な友。

あなたに、心からのレスペクトを込めて今日のBlogを捧げます。




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana



2018年2月24日土曜日

3人と3匹

我が家には猫が3匹いる。

もともと私は、動物は好きではなく、動物を飼うなど想像の範疇外だった。
実家は食品関係の自営業だったので、家で動物を飼うのは禁止されていたし、
犬にも猫にも興味は無かったから、ねだったことも無かった。


だが、娘は私と真逆で、動物が大好きだ。
犬でも猫でも象でも、動物なら何でも好きらしい。
この動物好きは、いったい誰の血なのか。
蛇すら怖くないようで、
観光地で蛇と一緒に写真を撮ってくれる所では、必ずやりたいと言い出し、
母娘で仲良く、蛇を首に巻いて笑っている写真が何枚もある。
私も蛇は平気なので、変なところが似たものだと感心してしまう。
ちなみに我が家の男性陣は、蛇と聞いただけで後ずさりし、
娘と私が写真を撮っている間、お茶を飲んで待っているのが通例である(笑)


話を猫に戻す。


そんな風に、動物、特に猫が大好きな娘であるから、
何年も前から「猫が飼いたい。」と言っていた。
家の中で動物を飼うなど、考えられなかった私は、その度に拒否してきたのだが。


ところがある日、コンドミニアムの敷地内に住み着いている野良猫が、
我が家に入ってきて出産してしまった。
子猫を取上げたのは娘である。
怖がるでもなく、子猫が4匹生まれるまで、ずっと見守っていた。

まさかマレーシアで、猫の助産婦になるとは。
全くこの国では何が起こるか、本当に分からない。(笑)



生まれてしまった以上、すぐに捨てるわけにもいかず、
とりあえず乳離れするまで、という約束で母子猫を家におくことにした。
乳離れすると、母猫はプイッと出ていってしまい、
我が家には3匹の子猫が残された。

そうなると娘は俄然張り切って、この子達は家にいるべきだ、と主張しはじめた。
1匹だけなら、と妥協案を提案しても、全く応じない。
「ママは、私とお兄ちゃんたちと、誰か一人だけ残して、人にあげたりしないでしょ。
きょうだいは一緒にいないといけないの。絶対離しちゃだめなの。猫も同じ。」

何と言うロジカルな主張か(笑)
結局根負けした結果、我が家は3匹の猫が、のし歩くことになってしまった。
こんなことなら、最初に娘が飼いたいと言った時に、
一匹だけ飼えば良かった。と思っても、後の祭りである。

それにしても欲しがっていた猫を3匹も無料で引き寄せたわが娘。
恐るべき引き寄せ力である。


三姉妹の長女。
好奇心旺盛でスリムなMickey。
私と一番気が合う。




次女Niko
怖がりで人見知りなおデブちゃん。
手で撫でられるのを好まず、足でお腹をグリグリされるのが好きだ。




末娘のMimi
末っ子らしく甘えん坊。
ハイヒールレッスンの時、椅子のエクササイズのために置いた椅子の上に陣取り、
PCの向こうの師匠宅で、同じ様に椅子に陣取ったCannelちゃんと対面した。



動物を飼うのは、子供を育てるのと同じように簡単ではない。
命を預かる責任がある。
人の苦労も知らず、のんびりと食べて寝て甘える三姉妹を見ながら、
時々心底、猫が羨ましくなってしまうのである。


ところで、私は3匹分の猫の毛の掃除に悩んでいるのだが、
どなたか、猫の毛対策の良い方法をご存知の方がいらしたら、
ぜひ対策を教えていただきたい。


私も、今日は午後から、猫のようにのんびりする。
皆様 良い週末をお過ごしください。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana

2018年2月23日金曜日

声の哲学と秘密兵器

今日のコンサルティングで、ストレッチ実践編の2が終わった。
修正点はいくつかあったが、何とか無事終了し、本当にほっとした。

嬉しかったのは、師匠に「間が取れるようになってきましたね。」と言われたことだ。
1回目の実践の時は、声が上ずり、間など取る余裕もなく、
アタフタと終わってしまった。
今回は、改善点はまだまだあるが、以前よりは大分ましになったかなと思う。


実際のところ、声の哲学を学んで、少しずつ声のトーンを落とせるようになってきたが、
間の取り方、強調の仕方などはまだまだである。
コンサルティングの座学では、自分のBlogを読み上げて練習をするが、
自分のBlogでは文章にパワーが足りないと感じていた。

そこで、声のトレーニングに秘密兵器を投入することにした。
その秘密兵器とは


「朗読」


以前にも書いたが、私は日本語は美しい言語だと思っている。
だが、日本語の特徴として、口をあまり動かさずに発音できること、
抑揚があまり無く、平坦に聞こえやすい事などがある。
これらの特徴と声のトーンのせいで、残念ながら薄っぺらく聞こえやすいことも、
また事実である。

声に深みを持たせ、間を取る練習をするには、
まず、美しい力を持っている日本語に触れることが必要だ。
なぜなら、日常の会話ではつい、勢いで喋ってしまい、
トーンや間を意識することが難しいからだ。
「照れ」も間を取る意識の邪魔をする。
そこで朗読を活用しようと思い立った訳だ。

自分の声に力が足りなければ、美しい言霊の力を借りるしかない。
では、どんな文章を選ぶか。


これはあくまでも私の場合だが、私が家の蔵書から私が選んだのは、

三島由紀夫
辻邦生
澁澤龍彦

この三氏の小説。

この三氏の文章は、私にとって
「美しい日本語で書かれた珠玉の文章」なのである。

美しい文章を朗読することは、照れることなく、
声のトレーニングをするのに最適だと思う。

ページをぱっと開いて、目に付いた箇所を数行、声に出して読んでみる。
美しい日本語はとても力があるため、
最初は自分の声が言葉の持つ力に全く追いつかず、違和感を感じるだろう。
だが声のトーンや間、抑揚に注意をしながら何度か繰り返すうちに、
だんだん照れや違和感が薄れてくる。

次第に美しい日本語が、自分の中に浸透してゆくのを感じ、
いつの間にか声の大きさが大きく、抑揚をたっぷり付けて読めるようになっている。
これは、ダラダラやるより、一日にほんの10分でも、集中してやるのが良い。
私は朗読を取り入れてから、声の哲学で学んだ発声をするのに照れがなくなった。

不思議なことに、仕事でも何か案内をすると、
「ご丁寧にありがとうございます。」
と言われることが多くなった。
案内している内容は、以前と全く変っていないのに、である。
声の哲学と秘密兵器の効果あり、と一人ほくそ笑んでいる。



興味のある方は、ぜひお好きな作家の作品でお試しいただきたい。
コツは、あまり軽い文体ではなくい作品を選ぶこと。である。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana












2018年2月21日水曜日

ところ変れば

先日、日本人とマレーシア人の同僚と話をしていた時のこと。

日本では20歳が成人という話をしたが、
マレーシアでは21歳で親から鍵をもらう習慣があるそうだ。
マレー系ではその話は聞かないので、多分中華系、インド系の
習慣だと思うが、鍵型あdのアクセサリーなどが送られることが多いが、
親がお金持ちだと、車を買ってもらって、その鍵を渡されることもあるそうだ。
日本には無い習慣である。


マレー系の習慣で私が驚いたのは、出産時の胎盤を持ち帰り、
家の近所に埋めること。

持ち帰った胎盤は良く洗い、
タマリンドと一緒に包んで、家の庭または近所に埋める。
そうすると子供はいつまでも家を忘れず、父母の元に帰って来ると
信じられている。

我が家の窓の下にも、3人分の胎盤が埋まっているはずだ。
はずだ、と言うのは、私自身は帝王切開後で動けず、
義母がやってくれたからだ。

娘を出産した時、日本から母に手伝いに来てもらったのだが、
「さっきママ(夫の母)に、レバーみたいの洗えって言われて
洗ったんだけど、あれは何?」と聞かれた。
胎盤、と教えると、目を白黒させて驚いていた。
そのかわり、マレーシアではへその緒は単に赤ちゃんの古い皮膚が
剥がれ落ちたものと見なしているので、
おへそが乾いて、へその緒が落ちたらそのままポイ、と捨ててしまう。


所変れば習慣も変る。
20年いても、まだまだ知らないことがたくさんある。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana



身体の建て直し

昨日、今日は2日連続でハイヒールレッスンであった。

昨日は何故か、師匠が「Nanaさん、今日はどうしたんですか。」と言うほど
腹筋が落ち、上半身と骨盤が左に回り、修正したかと思うと
今度は背中が反る、という具合にボロボロであった。
あまりに修正点が多すぎて、ハイヒールレッスンにも関わらず、
ハイヒールを履いたのは、最後の数分という体たらく。

さすがの師匠も、レッスンの最後に、「今日は大手術でしたね。」と言っていたが、
手術というよりも、ポンコツ車のあちこちを締め直し、叩き直して、
やっと走れるようにした。と言うほうが正しい。



だが、そのおかげで、今日は昨日と全く違い、
最初から頭の安定感が違うのを感じていた。
昨日はいくら腹筋を上げようと意識しても、他の部分に気を取られて
あっという間に腹筋が落ちていたのだが、
今日は軸が通った感覚があった。

この感覚をしっかりと覚えておくことが大事なのだ。
おかげで、今日は少し段階が進み、難しいにも関わらず、むしろ体は楽だった。


人間の体というのは、本当に面白い。
昨日わずか1時間、集中して叩きなおしてもらっただけで、
こんなに変るのか、と思った。
それと同時に、修正すべき点をすばやく的確に見つけて、
すぐにメスを入れる師匠の目の確かさに、やはり凄いと思った。
それも直接見るのではなく、スカイプの画面越しに行うのだから、
冗談でなく、いったいどうして分かるのだろうと思う。




昨日もうひとつ修正した点は、フラミンゴから前足を作るところ。
太腿と胴体が90度になるまで脚を上げ、その後ゆっくりと脚を下ろしてゆくのだが、
今までの私の脚の下ろし方は完全に間違っていた。

「Nanaさんの脚の下ろし方はこうなっています。」
と、師匠が私の脚の下ろし方を真似て見せた瞬間、


  
Σ( ̄□ ̄;)!!




という顔文字が頭の中をよぎった。

私はこのBlogでは、顔文字は使わないことにしているのだが、
あの瞬間の衝撃を一言で表せるのは、この顔文字以外には無いので、
今日だけはお許しいただきたい。

脚を下ろす時、膝下が無意識にピョコンと前に出てしまう。
美しい師匠がやっても、無造作に見えてしまうのだから、
私があの動きをしたら、どんなに酷く見えているかと思うと、
レッスンで流すのとは違う汗が、タラリと流れたのだった。


そこから数分間、脚の下ろし方だけに集中レクチャーを受けた。
確かに、正しいやり方で下ろすと、前足を作った時の
腹筋の入り具合、腿の伸び具合が違う。
相当ショックなものを見てしまったが、今指摘が入って良かったと思う。



2日連続の怒涛のハイヒールレッスンのおかげで、
今、私の腹筋は筋肉痛である。
笑いすぎてお腹が痛くなった時のような軽い痛みが
お腹にある。

歩いているだけで筋肉痛になるほど、腹筋を使うウオーキングレッスンなど
聞いたことがないが、
このまま行くと、私の腹筋は更に割れるに違いない。(笑)



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana











2018年2月20日火曜日

ハイヒールに興味があるが 飛び込めない方へ

美しいハイヒールを見て、興味を持ち、
履いてみたいと思いながらも、飛び込めない。
そういう方は多いのではないかと思う。

ではなぜ、飛び込めないのか。


それは恐らく、巷に蔓延るハイヒールのネガティヴなイメージにより、
不安が膨らむからではないだろうか。

残念なことに、ハイヒールには、足が痛くなる、疲れる、外反母趾になる、
腰痛の原因、とネガティブなイメージが付きまとっている。
そのネガティブなイメージのせいで、
ハイヒールを履いて、痛かったらどうしよう、腰や膝を痛めたらどうしよう。
外反母趾になったらどうしよう、と不安になってしまうのだ。

そして、「私には無理」という結論に行き着いてしまう。


だが、もしもあなたがハイヒールを美しいと感じ、
心惹かれるのなら、思い切って飛び込んでみてはどうだろう。

人生の舞台に立つ で綴ったが、何かに憧れながら、
手を伸ばそうとせず眺めているだけでは、いつまでも観客席に居続けるのと同じだ。
自分の人生を主体的に、彩り豊かに生きたいと思うなら、
観客ではなく、演じる側にまわることだ。

どんなに興味があっても、憧れていでも。何も行動しなければ、
憧れはいつまでも憧れのままで、決して手は届きはしない。



私は今までずっと、見る側にいた。

外反母趾なので、ハイヒールなんて、とんでもないと思っていたし、
太い脚がコンプレックスで、この脚ではハイヒールを履いても
美しく見えない。だから履かない。
そういう選択をし続けていた。


今、私は10センチのヒールで修行中である。
1年と少し前までは、自分が10センチのハイヒールを履くようになるとは
思わなかった(笑)
しかも一番外反母趾には良くないと言われている
ポインテッドトゥの靴である。
まさか自分がポインテッドトゥが履けるとは、素直に驚いた。

自分の経験から申し上げるが、
何かに憧れているなら、まずはやってみることだ。
ハイヒールに興味があるなら、まずは足を入れてみること。

全てはそこから始まる。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana


























2018年2月18日日曜日

人生の舞台に立つ

韓国、平昌冬季オリンピック
男子フィギュアスケートで、羽生結弦選手が66年ぶりの2連覇を成し遂げた。
私はYoutubeで見たのだが、本当に素晴らしい演技だった。

完璧なテクニックと、圧倒的な演技力。
オリンピックの舞台であるし、出場する選手は皆、超一流なのだが、
羽生選手のオーラは一種、神がかっていると思えるほどであった。

久しぶりに、美しい日本男子を見た。
美しき若き侍。
羽生選手に心からの拍手と賛辞を捧げたい。


オリンピックの選手や、一流の芸術家、
一流のパフォーマーなどの素晴らしい舞台を見るたびに、
私たちは流石だと賞賛のため息をつく。

だが私たちも、本当は舞台に立っている。
人生と言う名の舞台に。

もしも自分の人生が上手くいかないと思ったり、
他人が羨ましく思えたり、
憧れの何かが、自分には手が届かないと諦めているなら、
それは、他人の舞台を見てばかりいるのだ。

もういい加減、見るだけではなく、
自分が舞台に立つと決めてはどうか。

脚本、演出、主演
全てが自分の、たった一度の人生の舞台。
どんな舞台にするかは、私たちひとりひとりの自由なのだ。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana




2018年2月16日金曜日

成熟美と佇まい

二日前に突然回線が不通になり、どうなることかと思った我が家のインターネット。
これまた突然に、今日、無事復旧した。
旧正月の休みに入ってしまうと、絶対に物事が動かないので、
何とか休み前に復旧して、本当にほっとした。


昨日綴りかけて保存できず、涙を呑んだ記事は、

こちらのBlogを拝読して、あまりの素晴らしさに興奮状態で綴っていたものだった。


LABORATOIRE 「変化する」


こちらでは、ロゼさんが日常のある時に、連絡先が書かれたメモを
見知らぬ男性から渡されたエピソードが紹介されている。

私はこちらのエピソードを拝読して、感動すると同時に興奮が抑えきれなかった。
よい悪いではなく、見知らぬ男性が思わず行動してしまうほど、
ロゼさんのお美しさはハイヒールと共に際立っていたのだろう。
しかも欧米とは違い、日本人の男性を動かす美しさの持ち主が、
成熟した、大人の女性であることが本当に素晴らしい。


私は常々、日本には50代以上の美しい女性のロールモデルが
あまりにも少ないと思っていた。
若い世代が憧れ、ああいう大人の女性になりたい、と思うような女性。
そんなロールモデルがいないのだ。

メディアでは若い女性ばかりがもてはやされ、美しさとは若い世代でしか享受できないような錯覚を与えている。
それは裏を返せば、「老いへの恐怖」が根強く蔓延っていることを示していると思う。

年を取ったらもう女でなくなる。
加齢で美しさは失われるばかり
若くなければ価値がない。

日本の女性は、そんなネガティヴな幻想に、がっちり囚われているように感じる。



確かに、肉体の若さは年々失われるし、外見の衰えは誰にでも公平にやってくる。
外見だけを見れば、私くらいの年齢の女性は、若い女性にとても太刀打ち出来ない。
だが、本当は張り合う必要はないのだ。

年齢を重ねた女性には、今までの人生を生き抜いてきた経験があり、
その経験を成熟した美しさに変換して放つ女性は、ロゼさんのように
否が応でも人を惹きつける。

内側から放たれる美しさの前では、
「若見え」とか、「見た目年齢マイナス○歳」とか、
少し前の言葉で「美魔○」とか、
チャラチャラした言葉は霞んでしまうのだ。

佇まいだけで人を惹きつける美しいひと。

そんな、50代以上の美しきロールモデルが増えれば、
年齢を重ねるとは、豊かに、成熟してゆくことなのだと証明される。
美しきお手本が身近にいることは、若い世代が無意識に抱えている、
「老いへの恐怖」を払拭する大きな力になるだろう。



私も来月、いよいよ50代の仲間入りをするが、
ロゼさんという素晴らしい先輩をお手本に、
美しき50代を生きたいと思う。

今はまだ、悪戦苦闘中だが。
それはきっと、伸びしろが沢山あるということにしておく。


今、私と同じように、更年期と言われる年齢にさしかかっている女性たちへ。
年齢を重ねること、肉体が変化することを恐れないで欲しい。
私たちは今、新たな美しさのステージへと移行する途中なのだ。

私たちは堂々と、美しくあっていい。
いついかなる時も、私たちの美しさは、私たちの内にある。
それを磨き、放つことは、次の世代を担う若い女性たちへのエールなのだから。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana






























2018年2月15日木曜日

慌てず騒がず

昨夜、突然インターネットの接続が切れた。
モデムの再起動をしても何をしてもダメで、

その為、PCで書きかけていた記事の保存ができず、
今はパケットのデータを使い、タブレットから綴っている。

いくら突然何かが起こりやすい国とは言え、
最近の突然の頻発ぶりは、一体どうしたことか。

大抵の事にはもはや動じない私ではあるが、
ネットが不通になるのは非常に困る。
しかも今日はコンサルティングの日なのだ。


既にプロバイダーに障害レポートをし、
復旧の依頼をかけたので、多分、今日中には折り返し電話が来るだろう。


慣れているとはいえ、やはりこう言う事態はイライラする。
しかし、慌てても騒いでも、自体は変わらないのは事実なので、
それであれば、自分に余計なストレスはかけないほうがいい。

後でもう一度プロバイダーに電話しておこうと思うが、
今夜までにネットが復旧していることを切に願う。



2018年2月12日月曜日

体重移動の落とし穴

今日の投稿はエクササイズ覚書として綴っておく


先週金曜日に検査入院から退院した。
病気ではないし、全く問題なくエクササイズが出来るだろうと思ったが、
甘かった。


病院では、レジャーシートを持ち込み、ベッド横の床でストレッチをした。
運悪く検温に来た看護師さんに見つかり、
「何してるの!?」と、4人部屋の病室に響き渡る声で驚かれた(笑)
「ストレッチ」と答えたのだが、「ああ、ヨガね。」となぜか「ヨガ」に変換され、
「病室でヨガをする患者」とナースステーションで認識されたようだ。

その次は、病室に隣接するビジターラウンジに誰もいないのを良いことに、
素足のエクササイズをした。
だがフラミンゴのエクササイズをしているところを、
同室の患者さんのお見舞いに来た方に見つかり、
「太極拳ですか?」と尋ねられた。(笑)

人に見つかったからと言って、悪い事をしている訳ではないので、
好奇の目で見られながらも、こちらもそのまま続行した。
要は気にするかしないかなのである。



変な患者だと思われながらも、病院でもエクササイズはしていたのだが、
二日間ゴロゴロしていたことと、
検査前にお腹の中をすっかり空にしたことで体重が落ち、
ついでに筋肉まで落ちてしまったようだ。

右足を軸にした時のふらつきが酷い。
特に、右足を軸にし、そこから後ろ足として体重移動をし、
母趾球でプッシュする時に、グラッとしてしまう。
エクササイズをいつもよりゆっくり行ったのだが、
なかなかふらつきが解消できない。



明日はハイヒールレッスンなので、
あらゆる方向からザクザクと師匠のメスが入ることを覚悟しておこう。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana




産後こそハイヒールを

先週、三人の子を出産した病院に12年ぶりに入院して、
出産当時のことを色々と思い出していた。

私が住んでいるのは、クアラルンプールの中心から車で20分程度のところだが、
日本人はほとんどおらず、ローカルの住民ばかりの地域である。
長男を出産してから、次男が生まれるまでの3年間は完全な専業主婦。
次男を出産後半年して、ようやくパートに出始めた。

なので、初産から3年間は、ずっと家に篭りっきりの生活をしていた。
当時は車の運転が出来なかったので、外出と言えば徒歩で行ける近所のみ。
そんな生活だったので、家族と近所の人以外誰も会わず、
美意識の「び」の字もない生活をしていた。

だいたい、周りの人がいつもTシャツ+短パン+ビーチサンダルなので、
私も同じように、その3点セットを愛用していたし、
一度などは、Tシャツにサロン(バティックの巻きスカート)で、
マンションの敷地内で長男を散歩させていたら、メイドと間違われた。(笑)

Asami-Parisのコンサルティングに入門した者として、
あるまじき話で恐縮だが、それほど自分に構わなくなっていたのだ。

出産当初は確かに、帝王切開の傷が痛み、
慣れない赤ちゃんの世話や授乳に追われて、
全く自分に構うどころではなかった。

だが恐ろしいのは、その、「自分に構っていられない」状態が
だんだん当たり前になり、そのうち、「まあいいか」と
ズルズルと「構わないクセ」がついてしまうのだ。
そうすると、あっという間に
「子供の世話に明け暮れる、生活感どっぷり」の女性の出来上がりである。


あの頃、ハイヒールの哲学に出会っていたら、全然違っていただろうと思う。
何故なら、最も女性らしく、女性の美しさを際立たせてくれるのがハイヒールだからだ。


確かに、乳児の世話は大変だし、更に家事が加われば、
自分に構う時間が無いほど追われてしまうのは、経験があるだけに理解できる。
しかし、だからこそ、生活感とは真逆のハイヒールに、
意識して足を入れてみることをお勧めする。
まるでリトマス試験紙のように、
自分がどのくらい、女性としての美意識から離れてしまっているか、
すぐに分かるだろう。

「今は子供が小さいし、ハイヒールどころじゃない。」
と、後回しにするのではなく、美しくありたいと思うなら、
一日のうち、わずかな時間でも、ハイヒールに足を入れてみて欲しい。
母としてだけでなく、女性としての自分を呼び起こしてあげて欲しいのだ。
これは本当に、意識しないと持てない時間だが、
この時間を持つか持たないかが、「生活感に疲れた女性」になるか、
「母であり美しき女性」になるか、の分かれ目だと思う。


もうひとつは、産後の体を鍛えるのにも、ハイヒールは役に立つ。
ハイヒールで歩くと、体の筋肉の状態や、軸のブレがすぐに分かる。
私はわずか二日間入院しただけでも、筋肉の落ち方や
体のバランスの崩れに愕然とした。

それが10ヶ月という長い間と、産前産後の体型の大変化があるのだから、
これを元に戻すのは、本当に大変なことだ。
だからこそ、ハイヒールで自分の体の状態をしっかりと確認し、
ハイヒールで全身の筋肉を使って歩くのは、
産後の体を整えるのに最も適した方法なのだ。



母であることは、とても尊く、大切な役割である。
そこに自分のエネルギーと愛を注ぐことは、素晴らしいことだ。
しかし同時に、私たちの人生には限りがある。

子供ひとりにかける時間は、最低でも10年は手がかかる。
2人、3人ともなれば、もっと長くなるだろう。
髪を振り乱し、ノーメイクで自分に構わない10年と、
母であっても美しくあることを忘れない10年。
自分の人生の、大切な10年をどちらで過ごすのか。
それはひとえに、意識をどこに合わせるかにかかっている。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana









2018年2月10日土曜日

強制休養 2 ~宇宙からのプレゼント

強制休養となった検査入院から、無事退院した昨夜、
帰宅してみると、まだ続きがあった。

昨夜帰宅すると、娘が開口一番
「ママ、スニーカーの底が取れちゃった。」
と言うではないか。


成長期の娘は最近、ぐんぐん背が伸びて、
足のサイズもあっという間に大きくなった。
今まで履いていたスニーカーがきつい、というので、
当座の間に合わせに、私のスニーカーを履かせていた。

それが、私が入院している間、
クラブ活動の練習の最中に、片方の底がベリッと半分くらい剥がれたのだそうだ。
見れば、本当に右足の靴底が剥がれてしまっていた。

これで、5センチヒールに続き、スニーカーも破壊されたことになる。(笑)
Nanaさん、話を盛ってませんか?と言われそうだが、
全て実話である。




更に、日本の友人からいただいたメッセージが強烈であった。
この友人は、声のポテンシャルで、私の声が良いと言ってくれた友人だ。
私が入院したと聞いて、心配してメッセージを送ってくれたのだ。
友人というのは、本当にありがたい。
彼女は気学や吉方位に詳しいのだが、
その彼女が言うには、今年、2018年は東洋医学で言うと
「胃腸Year」なのだそうだ。

今年の干支は胃腸を司り、胃腸は「血」と「氣」を生み出す臓器である。
2月4日の立春から、胃腸Yearが本格的に始まったので、
今年の運気を上げる鍵は胃腸を労わること、だそうだ。



ということは、立春直後に胃腸を全部、綺麗に洗った私は、
まさに胃腸Yearのオープニングにふさわしい洗礼を受けた訳だ。(笑)
友人のメッセージを読みながら、あまりに当てはまりすぎて、
笑いがこみ上げてくるほどであった。

振って沸いたような検査だったが、
ちょうど良い機会だったし、今後、胃腸のために気をつけるべき点も分かったので、
何と言う完璧なタイミングだったのだろうと思っている。
日頃ついバタバタして、何かと詰め込みがちな私を
強制的に動けなくすると同時に、体に気をつけなさいというメッセージをくれた。
宇宙からのプレゼントだったのかもしれない。

最近、こんな風に、結果としてピタリと嵌る経験をするようになった。
それは、宇宙の波に乗っているということなのか、
よく分からないが、何となく良い風が吹きはじめた気がする。



折りしも、caméliaのAyakoさんが、宇宙の流れについて、
柔らかく優雅な文章を綴っていらっしゃる。
この感覚は、まさに私も感じているところで、
Ayakoさんが素晴らしい文章にしてくださったおかげで、
感覚がスッと腹に落ちた。
皆様にも、ぜひご一読いただきたいと思う。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana














2018年2月9日金曜日

強制休養

数日前に、強制断捨離で
5センチヒールの靴が破壊されたばかりだが、
今度は私自身が、強制休養する羽目になった。


1月末のガストリック以来、胃の具合が思わしくない。
2日おきにクリニックに通っていたので、
一度病院で検査した方が良いという、ホームドクターの勧めに従って、
一昨日から検査入院をしている。

これを綴っている現在は、検査も終わり、異常なしとの結果を得た。
あとはドクターによる退院前の回診と、退院手続きなのだが、
ドクターが多忙なため、回診が何時になるか全く分からない。
しかも今日は金曜日で、イスラム教の礼拝の日。
マレー系のドクターは、金曜礼拝を済ませてから来るとの事。
もちろん、命に関わる緊急搬送や手術の場合は別だが、
私のように命に別状ない患者は、礼拝の後に回されるのが普通だ。(笑)

これがマレーシアなので、こちらもカリカリしないに限る。
もう今日1日分の入院費はチャージされているので、
のんびり待つのが一番なのである。
おかげで、こうしてのんびりBlogを綴る時間が出来た。



今回の検査は、胃と大腸の内視鏡検査。
検査そのものは、麻酔で眠っている間に行われたので、
何が起きていたかは全く分からない。

ただ、検査前にお腹を空っぽにするための液体を、
5リットル(!)飲まねばならいのには閉口した。
朝8時から、毎時間1リットルずつ飲むのだが、
飲めば出るのは自然の摂理なので、
最後の方は
「なるほど、人間の体というのは、本当に1本の管なのだな。」
と、妙に冷静な感慨が沸くほどだった。(笑)
人体というのは、全く神秘の塊である。

降って湧いたような入院だったが、入院してみて分かったことがいくつもある。

健康の大切さ。
家族、同僚など、自分がいかに、周りの人に支えられているか。
心配してくれた友人たち。
ドクターをはじめ、病院で働く人のおかげ。

本当に、感謝しかない。

そして、休養の大切さ。
つい色々と詰め込んで動きたい自分と、
なぜ、そうしてしまうのか、ということ。

奇しくも今回、娘の出産以来12年ぶりの入院であった。
12年前と同じ病院での、突然の強制休養は、
私がすでに持っているものと、
私の周りにある様々な愛について教えてくれた。


画像はお世話になった看護士さんたち。
皆明るくて若い女性たちだった。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana






2018年2月7日水曜日

強制断捨離

失くなったり、壊れたものは、もう今の自分にはふさわしくない物。

そんな話をよく聞くが、
まさか、履いている靴でそれが起こるとは思わなかった。


先週の金曜に右足の薬指を怪我してから、靴を履かない生活をしていた。
最初は、生爪を剥がしたのかと思ったが、
よく見ると爪に影響は無く、爪のすぐ横がザックリと切れていた。

爪は無事でも、やはり切れた傷が痛いので、爪先を圧迫する靴は履けなかった。
週末はサンダル、月曜日は仕事なのでオープントウの5センチヒール。
そして火曜日。夜はハイヒールレッスンがある日である。



出勤し、午前10時ごろ、
自分の椅子の周りの床に、黒いポロポロしたものが落ちているのを見つけた。
ゴミ?泥?何か食べ物をこぼした?
どれも当てはまらず、はて、何だろう?と思った時
はっと自分の履いている5センチのヒールを見ると、


右のトップリフトが無い!


いつの間に取れたのか、ヒールの先についているトップリフトが無くなっていた。
慌てて左足を見ると、左のトップリフトも半分くらいになっているではないか。
床に落ちていた黒いポロポロしたものの正体は、
砕けたトップリフトの破片だった。

マレーシアは高温多湿の気候なので、革製品やプラスチック、
ビニール類の劣化が激しい。
履いていた靴は確かに、暫くしまってあったので、
おそらくトップリフトの部分が劣化してしまっていたのだ。


修理に出さなければ…と思いながら立ち上がった瞬間
カクン、とバランスが崩れ



ポロリと左のヒールが取れた



数日前の投稿で、マレーシアでは突然色んなことが起きる。と書いたばかりなのに。
まさか突然、靴のヒールが取れるとは。
もはや笑うしかない。


だが笑ってばかりもいられない。
片方だけヒールが無い靴を履いて仕事は出来ないので、
やむなく置き靴にしている8センチのヒールを履いてみた。
傷が痛むかと思ったが、履いてみれば案外大丈夫で、
結局8センチで一日過ごしてしまった。


この話を夜のレッスンで師匠にしたところ、
すごいタイミングですね、と笑われた。
Nanaさんの筋肉では、5センチのヒールはかえって足を引っ張るので、
もう履くな、という宇宙のメッセージですね。と。


2月4日は立春で、新しい季節、新しい運気の始まりだと言うのに、
ガストリックになるわ、靴は壊れるわで、
一体どういうことかと思わなくもないが、
きっとあの靴はもう、私にふさわしくないから役目を終えたのだ。

これからもっと、私にふさわしいハイヒールが現れるに違いないし、
私はそれを履いて、きっと美しく歩いてみせる。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana
























2018年2月6日火曜日

語尾を大切に

先週の金曜日に右足の爪先を怪我してしまい、ここ数日ハイヒールが履けない。
それならば素足のエクササイズを、と思ったが、
この週末はガストリックにやられて、エクササイズどころではなかった。

日曜の夜になって、やっと体調が落ち着いたので、
ストレッチだけを行った。
身体はボロボロでも、声は出せる。
試みに自分の声を録音してみたが、あまりに酷くて
良くなりかけた体調が、再び悪化しそうであった(笑)


耳を塞ぎたくなるのを堪えて、自分の声を聞くと、
声のトーンが中途半端なのが耳に付く。
そして、発音が明確でない。
それから、何より語尾がはっきりしていないのが気になった。

中途半端なトーンが、語尾まで続いているからか、
しっかり着地した感じがせず、とても不安定な印象だ。


AMELKISのMakiさんが、言葉の締めくくりで見事に述べられていたが、

語尾を丁寧にしめる


こちらはハイヒールでの歩き同様に
着地の瞬間さえ繊細に
最後まで集中力を保つことで
エレガンスを極める事と
通じるものがあります



まさに、その通りなのだ。
私の話し方は、語尾を乱暴に、どこかに放り投げてしまっている。
語尾まで気を抜かず、丁寧に。
だが威圧的にならないように。


全ては意識することから。
意識したら、実践すること。


言葉のひとつひとつ。
歩みの一歩一歩。


まだまだ道は遠いが、少しずつでも進んでいく。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana
















2018年2月5日月曜日

声のポテンシャル

「前から思っていたんですけど、Nanaさんって声いいですね。」

先日、数年ぶりに日本の友人とスカイプで話した時のこと。
唐突な友人からの言葉に、一瞬、何と返したものか戸惑った。
戸惑いながらも、なんとか「ありがとう。」と返事をした。
以前の私なら、思いっきり否定していたに違いないが、
最近のモットーとして、褒め言葉は素直に受け取ることにしている。

戸惑った理由は、私は自分の声が好きではなく、
全然いいとは思っていないからだ。
実は以前にも声が良いと言われたことがあるが、
その時は思いっきり否定していた。

何度か、自分が話しているところを動画で撮ったことがあるが、
どれもこれも、一度見ると本当にへこんでしまうほど酷いものだった。

自分が映っている動画や、録音を聞くと、
私も多くの日本人女性と同じように、薄っぺらい発声をしているなと思う。
声のトーンはそんなに高くはないのだが、声に芯がない。
発音も気に入らないし、本当に気に入らないところだらけなのだ。



しかし、声の哲学を学び始めた今、このタイミングでの友人の言葉は、
私に声のポテンシャルがあることを教えてくれた。
友人は長年クラリネットを演奏していて、耳がいい。
その彼女が良い声だと言うのだから、信じるに値する。
しかも彼女は理系の脳の持ち主なので、分析が鋭く、お世辞は言わない。
こんなことも言ってくれた。

「声がいいから、話し方とか研究すれば、
とっても伝わりやすくなると思います。声のお仕事とかすればいいのに。」

彼女は私がコンサルティングを受けていることを知らなかった。
実は今、こんなことを勉強している、と打ち明けると、
それはいい、ぴったりだと喜んでくれた。

声の重要性。
分かる人にはやはり、分かるのだ。
今はまだ拙く、声を低く抑えながら抑揚をつけるのが難しい。
意識しているつもりでも、気を抜くとすぐ、声のトーンが上がってしまう。




私は、日本語は美しい言語だと思っている。
ただ、最近ではその美しさを伝える人がいない。
声の哲学は非常に難しいのだが、何とか日本語の美しさを、
自分の話す声に取り入れたい。

そう思って、声の哲学の練習に、「ある物」を投入することにした。
成果が出るかどうかは、私の毎日の練習にかかっている。
自分を磨けるのは、自分だけなのだから。

「ある物」が何かは、成果が出たらBlogでお伝えしたいと思っている。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





















2018年2月3日土曜日

慌てず冷静に

マレーシアに住んでいると、「突然」色々なことが起きる。
突発的なアクシデントはどこにいても、誰にでも起こりうるが、
東京に住んでいたときは、これほど突然ではなかった気がする。


生活面で言えば、突然の断水や停電はよくあるし、
インターネットの回線が突然切れることもよくある。
スコールの後、突然道路の信号が壊れ、大渋滞になることはしょっちゅうだ。
突然、住んでいるマンションの敷地内に、猿が現れたり、
巨大なイタチ親子が出現したこともある。

クアラルンプールの名誉のために付け加えさせていただくと、
私の家は、高速道路を使えば、クアラルンプールの中心まで
約20分という普通の住宅街である。
断水や停電は20年前に比べればずっとましになったし、
信号が復旧する速度も改善した。

これだけ突発的なことが色々起きる環境では、
自然と、腹が据わってくる。
日本在住の友人に話すと、いつも絶句されるのだが、
少々のことではうろたえなくなってくるのだ。



生活面のことでは、めったに動じなくなった私でも、
非常に困ることがある。
それは、突発的な病気。

なぜか、マレーシアに移住してから、健康面でも突然症状が出ることが多い。
昨日もそうだった。
こちらでは「ガストリック」と呼ぶ胃痛。
多分、胃酸過多による胃痛なのだが、日本では経験したことはない。
急に胃がキリキリと痛み始めて、身体を真っすぐに出来ないほど痛む。
薬を飲めば、たいてい収まるのだが、昨日のそれはひどかった。

医者に行こうにも、身体を真っすぐにできないので、運転が出来ない。
家族に運転してもらって、近所のクリニックに行った。
いつもは薬を処方してもらうが、昨日は痛みが酷かったため、
注射をしてもらった。

これも日本にいたときは経験したことが無かったが、
こちらでは、注射をお尻に打つ。
腕に打つのとお尻に打つのと、どう違うのか。
どなたかご存知であれば、ぜひ教えていただきたい。



さて、クリニックから家に戻り、早く横になりたかった私は、
すぐに寝室に向かった。
我が家には猫が3匹いるのだが、最近寝室に入り込むことを覚えてしまい、
ドアを開けた隙をついて入ってしまう。
昨日も隙あらば、と待ち構えている猫を入れないように、
猫に気を取られて、焦ってドアを閉めた瞬間


右足の薬指に、思い切りドアが当たってしまった。


嫌な感触がして、恐る恐る右足を見ると、案の定
薬指の爪が、半分剥がれていた。

泣きっ面に蜂とはこのことだ。
さすがに昨夜は、ブログを綴る気にもなれず、寝てしまった。


タイムリーにも今週の課題は、動作を丁寧に、シングルタスクで過ごすこと。
それなのに焦ったせいで、爪をやられてしまい、
この週末はハイヒールの自主錬が出来ない。
せっかく前回のレッスンで、弱点である右足の修正方法が
少し見えてきたところだったのに。
全くもって不覚であった。


幸い、傷みはそれほどではないので、ハイヒールを履けなくはないだろうが、
右足をかばって、変な癖がついてはいけないし、
何より万が一出血して、ハイヒールの内側を血だらけにしたくない。
この土日は素足のレッスンに特化することとする。

突発的な事ほど慌てず、冷静に。
身をもって思い知った出来事だった。


マレーシア クアラルンプールより愛と感謝を込めて
Nana



          猫三姉妹の末っ子
            この子のおかげで爪が…





2018年2月1日木曜日

私が生きる軸

私が生きる軸

それは一体何だろうと考えた時、
「潔さ」
という言葉が出てきた。


私は、「竹を割ったような」とよく言われ、
猪突猛進、鉄砲玉、武闘派と、
勇ましくも、エレガンスとはかけ離れたお言葉をいただくことが多い。
美しきハイヒールコーチを目指す身としては、いささか不本意なのだが。
これだけお言葉を色々頂戴するところを見ると、
多分、私は、間違いなく勇ましいのだろう。

こんな風に呼ばれるようになったのは、ほんのここ5-6年の間であり、
その前の私は、いわゆる「いい人」だった。
その実、人に振り回され、悩みに囚われ、
私という人間の本質と、社会的な役割を履き違えていた。

よくある話だと思うが、「母」「妻」「会社員」などの役割を
完璧にこなすことが、自分を生きることだと思い込んでいたのである。
常に人の目が気になったし、自分にとって不本意でも、
役割のためなら「No」を言うことが出来なかった。
「母はこうあるべき」
「○○はこうあるべき」
という、「べき思考」がとても強かったのだ。

そのくせ、私は本当は何をしたいのか、どう生きたいのか。
よく分からず、ただ目の前のことをこなすことに必死だった。



人間、本質と離れた生き方をしていると、どこかで必ず軌道修正が入る。
長年放置すればそれだけ強く、宇宙の鉄槌は容赦なく下されるのだ。

私も例に漏れず、数年前にあらゆる方向から、
軌道修正のための鉄槌がガンガンと下された。
鉄槌が下されたのは、結果的に良いことだったのだが、
あまりの容赦の無さに、当時の私は
なぜ自分だけがこんな目に。という被害者意識に囚われて、
もう死んでしまおうか。とまで思いつめていた。

色々なことが重なった結果。
あるアクシデントに巻き込まれ、私は顔の左半分に怪我を負った。
左目がテニスボールのように腫れ上がり、
人間の目というのは、こんなに腫れるのか、と妙に感心したほどだ。


そこまで行ってやっと、私は気がついた。
これは、優柔不断に生きてきたツケなのだ。
自分以外の何かに囚われて生きるほど、愚かなことはない。
逆に、他人からどんなに愚かに見えようと、どう言われようと、
自分が納得していれば、ぶれることはないのだ。



その日から、本音で生きることを始めた。
良い子ぶって格好つけていた私は、メッキだった。
本当の私は非常に不器用だし、体当たりすることしか出来ない。
ストレートに物を言うので、煙たがられお叱りを受けることも多い。
離れていく人も多かった。
でも、ストレートに生きることを始めてから、私はとても楽になった。
恐れるものは何も無くなった。

なぜなら、自分で納得して決めたことであれば、
たとえ他人には失敗に見えても、それは経験値を積むための、
大切なトライだからだ。
たとえ無難に切り抜けても、それが他人の言うがままであっては、
一体誰の人生だろうか。


私が生きる軸
それは、私の長所も短所も、美点も愚かなところも、
全て潔く認めること。
そして、心の羅針盤に従い、潔く、美しく生きていくこと。
私にとっては、美しさと潔さは同じ意味なのだ。


もうひとつ重要なのは「笑い」
人生で起きるどんなことも、これはいつか笑って話せるようになる。と
俯瞰することを忘れない。常にそういう心持ちでいたい。

私の究極の目標は、死ぬときに
「色々あったけど、なかなか面白い人生だった。」
と、笑って旅立つことだ。

その目標を果たせるよう、今日もまた、体当たりで生きてゆく。
それは不器用だけれど、とても愛おしい私の生き方なのだ。




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana


















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