2018年4月28日土曜日

美しさの自立

美しくなりたい。女性なら誰もが抱く願いだろう。
かく言う私だって、例外ではない。

こうなりたい、と憧れるイメージの女性像があるのは素晴らしい。
だが、時として、「あの人のように美しくなりたい」が、
「あの人のように美しくなれない私はダメ。」にすり替わってしまうことがある。
そうなると美しくなるどころか、自分へのダメ出しで終わってしまうのだ。


世間で言われる、美しい女性であれ、自分が憧れる美しい女性であれ、
「その人になろう」とすると、苦しくなるばかり。
本当は「美しくなる」よりも、「美しくある」ほうが大事ではないだろうか。
なぜなら、「美しくなる」は探求のベクトルが外に向かい、
「美しくある」は、ベクトルが内に向かっているからだ。

私は私として、美しくありたい。
その為のあらゆる努力を欠かさない。
そんな女性は、すっと一本軸が通っていて、
それが人を惹きつける魅力のひとつになっている。


他者に振り回されない、自立した美しさ。
そんな美しさを見つけたい方に、まるで宝箱のように沢山のヒントが詰まった、
素晴らしい本をご紹介したいと思う。



美しさの自立:自分軸の美意識を作る7Secret Keys

(Amazon Kindleストアで発売中)



著者の天海 宝晶(あまみ ほうしょう)氏は、
友人であり、勝手ながら私が姉のように慕う、美しい女性である。

彼女を一言で表すとすれば、「豊潤」。
女性らしい豊かさと温かさ、潤いに満ちた、美しい人。
セラピストであり、サロン「あまてらす」の女将であり、グラフィックデザイナー、
米国発祥のAFP(Art of Feminine Presence)の認定ティーチャーという、
天は二物も三物も与えたかという、多彩な顔を持つ方である。


彼女に会うといつも、観音菩薩のような慈愛のオーラと共に、
温かく迎えてくれる。
(だが、ひとたび本気で怒れば夜叉のように恐ろしいだろうと、勝手に想像している。)
しなやかな軸を持ち、決して押し付けがましくなく、
だが毅然と美しい彼女の文章は、まさに彼女そのものだ。

美しさの自立とは?
そう思われた方は、ぜひ、リンクからAmazonへ飛び、
紹介文を読んでみていただきたい。
きっと、本書を紐解きたくなるに違いないし、
あなたの美しさの扉を開く、7つの鍵を手に入れたくなるに違いない。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana










2018年4月26日木曜日

化粧品売り場の出来事

新しい口紅が欲しい。
ふと思い立って、仕事帰りに百貨店の化粧品売り場に寄ってみた。


しっくり来るものがあれば購入する気で行ったのだが。
残念ながら、成果はゼロであった。
好きな化粧品ブランドでいくつか試してみたが、
製品云々以前に、接客で残念な思いをしたので、
気分が削がれてしまったのだ。


少し前に「爆買い」という言葉があったが、
クアラルンプールでも、中国人観光客による爆買いの嵐は吹き荒れている。
その前は購入単価が高いのは中東系の観光客だったが、
今は何と言っても中国人観光客が圧倒的に多い。

これは、クアラルンプールだけではなく、
世界の観光地で同じ現象が起きているので、
今さら中国人観光客がどうの、と言う気は無い。
しかし、ごっそりと攫うような買い物に対応するために、
店側の接客水準が、急激に下がってしまった。


もともと接客の水準が高いとは言いがたいのだが、
とにかく客を捌かなくてはならないので、
明らかにパートと分かる店員を増やしている。

商品についての知識も乏しく、
タッチアップをしてくれたのはいいが、あまりにも雑なので、
途中で\「自分でやりますから、もう結構です。」と言ってしまったほどだ。


口紅の色自体は良かったのだが、
ザワザワした雰囲気に、何となく気分が下がってしまって、
購入はしなかった。


つくづく、結局は「人」だなと思う。
どんなに商品が良くても、売る人が顧客に満足を与えられなければ、
決して購入には至らない。
人間力=販売力
数字だけを追うビジネスは、決してしてはならない。
そう強く感じた出来事だった。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana




















2018年4月22日日曜日

仕事をきわめる

真紅のコートの裾が、ふわりと翻ったその瞬間。


鳥肌が立った。


ウエストから扇のように広がるフレアーのライン。
そして再び、さあっと翻り、ぴたりと収まる裾の、静と動のコントラスト。
美しい歩き。


何と美しいのだろう。
思わずため息が漏れた。




これは、師匠が先週Instagramで公開された、
真っ赤なGivenchyのコートを羽織って歩いている動画を観た時の、
私の反応である。


後に師匠のBlog、美しさとは計算であるを読み、
水面下で緻密な計算が成されていたことを知った。
だが、動画を観た直後に感じたのは、
ただ、素晴らしく美しいという事。
そして、少しでもあの領域に近づきたい。という憧れであった。


そこで気がついた。
この気持ちは、これから私が出会う、全てのクライアントの気持ちと同じ。
私もそうであったが、ハイヒールの門を叩く女性は皆、
美しいものを美しいと感じ、
自分も美しく歩きたい一心で、門を叩くのだ。


美しいものへの夢と憧れ。


私はハイヒールコーチを目指す者として、
この気持ちを決して忘れてはならない。
何故ならハイヒールコーチとは、
クライアントの夢と憧れを、現実化させる仕事だからだ。


仕事をきわめる。
「きわめる」には、
「究める」と「極める」の二つがある。


仕事を「究める」とは、
仕事に対し、情熱を持って目的を遂行するための、
あらゆる努力をすること。
そこに終わりは無いと感じる。
仕事をしている限り、常に究め続けていくだけなのだ。

仕事を「極める。」
これは、その仕事の頂点を極めるとか、
第一人者になるという事もあるとは思うが、
個人的には、その仕事におけるステージをやり切ることだと思っている。

仕事は人生の一部であり、人生のステージと同じく、
仕事にもステージがある。
ひとつのステージをやり切った時、
人は更に上のステージへと移行できるのだと思う。



ハイヒールコーチとして、
クライアントの美への夢と憧れを、どう現実化させていくか。
そのために情熱を持って、研究、研鑽を続け、
クライアントと向き合うこと。
これが仕事を「究める」ことである。

そして、究め続ける中で、
自らのスキルであったり、クライアントの質であったり、
そのレベルでの水準を完全に満たすこと。
これが、仕事を「極める」ことではないかと思う。



結局のところ、仕事を「究める」、「極める」両方とも終わりは無い。
あるとすれば、この世を去る瞬間に、
自分は仕事を通して、この世に何を残すことが出来たか。


自分の命と、情熱と、才能を、仕事という形で
他者に貢献できたら。
それは、最高に幸せではないだろうか。

そんな生き方をしたいと、心から願う。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





















2018年4月19日木曜日

場を制する「間」

女優は様々な役を演じ、
完成された女に近づく。
美しい言葉遣い、
立居振舞、
教養、
美意識。

それが美しい女を作る。


美しい女は、

オペラと同じ総合芸術。



これは、私が敬愛する美輪明宏さんの名言だが、
この言葉を正に体言している動画を見た。


Cathrine Deneauveの圧巻のインタビュー動画。
70代の彼女が醸し出す、美とエレガンス。

心地よく響く、声のトーン。
温かくも強い意志のある視線。
何よりも、圧倒的な存在感。

思わず食い入るように見つめてしまった動画だった。


インタビューという形式だが、
彼女は完全に、その場をオーラで制していた。


単に質問に答えるだけではなく、
常に間合いが変わらないのだ
ゆったりとして、堂々とした余裕がある。
かと言って威圧的ではなく、
相手に興味を持って受け答えする知性を感じさせる。
それが場を制するオーラとなっているように感じた。


彼女は、質問に対して何か考える時、
決して目線だけを上に向けたりはしない。
軽く目線を外す時の角度、
そして再び相手を見つめる目の強さ。

これは、経験を重ね、自分を100%コントロール出来るからこそ、
醸し出されるものだろう。


実は、この動画を見た後に、
彼女が若い頃の70年代の動画も見たのだが、
あのCathrine Deneauveでさえ、若い頃の動画には、この圧巻のオーラは感じられなかった。


まさに、総合芸術のような女性。
成熟した女性の、理想の姿だと感じた。
美しい人からは常に、エッセンスとして、学ぶところが沢山ある。
あんな70代になれるよう、少しでも近づきたい。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana













2018年4月16日月曜日

感度を上げる

ハイヒールの哲学と人生の学びで述べた、私の気づき。



思い切るタイミング。
それは、直感としか言いようが無い。
そろそろ次に行く時だ、というサインと、
今だ、というタイミング。
それをキャッチする感度があるか。
自分の感度を信じる勇気があるか。


今、多くの女性に最も必要なのは、「感度を上げる」ことだと思う。
「感じる力」は、女性に与えられた偉大な能力なのだが、
巷に溢れすぎる情報と、自分の感覚への自信の無さから、
「感じる力」を埋もれさせている女性が多いのではないか。


感度を上げるには、まず自分の感覚を磨くことだ。
五感を満たし、次に五感を満たすものの質を上げる。
自分が心地よいものは何か。
自分はどう感じるのか。
日々、本音で自分の感覚と向き合うことが大切である。


そうやって自分の感覚を大切にしていくと、
だんだん感覚が研ぎ澄まされてくる。

それが、感度を上げる=アンテナが立つ ということではないかと思う。


ハイヒールが感度を上げるのは、
ハイヒールを通じて、日々、自分の身体と繊細に向き合って、
体感覚をしっかり感じているからだ。
身体の感覚は決して嘘をつかない。
そして、美しくありたいという美意識も、感度を上げる。
感度が上がると、思考もクリアになってゆく。



これからの時代、ますます世の中の流れは速く、激しくなるだろう。
情報が溢れている時代だからこそ、
自らの感度、直感でキャッチ出来るか否かは、大きな分かれ目となる。


勇気を持って、自分の感覚を信じてみる。
誰のものでもない、自分の感覚を信じる。


そこから確実に、人生は変わってゆく。
もっと自由に、もっとしなやかに。
生きることが楽になり、豊かになるだろう。


感度の良い女性が、世の中に増えることを切に願う。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana





















ハイヒールの哲学と人生の学び

この世には光と影、陰と陽、活動と停滞と、
必ず相反する二つのエネルギーが存在する。
それは常に入れ替わり、交互に人生に訪れるもの。
私は最近、この二つのエネルギーの存在を、しみじみと感じている。


身動きが出来ない程ではないが、
物事が上手く進まない、そんなモヤモヤした停滞は、
真綿でジワジワと首を絞められているような苦しさがある。


その苦しさ、停滞から一転して、
突然、パッと目の前が開けた感覚。


先週は、その感覚をリアルに味わう出来事があった。


実は最近、私は自分のハイヒールの歩きに停滞を感じていた。
いつまで経っても、上手く歩けない。
コンサルティングも半分以上終わっているというのに、
こんなレベルでは駄目なのではないか。
そんな停滞と焦燥感。



先週火曜日のハイヒールレッスンの時に、
会社で8センチのヒールを履いているが、着地が上手く出来ないと、
師匠に話した。


師匠は
「もう、今の筋肉に対して、8センチが日常では低すぎるんです。
これ以上履き続けると、足を引っ張ります。」と仰った。

そうは言っても、10センチはレッスンの時でさえ、
まだ不安定だというのに。
外で日常的に履けるのだろうか。

「人生と同じで、もう終わったレベルに留まっていては、駄目なのですよ。
そうでないと、せっかく掴んだものが、一気に後退してしまいます。」



パン!と目の前で手を叩かれたような感覚。
その言葉で、ハッと目が覚めたような気がした。



翌朝、10センチのハイヒールを会社に持っていった。
午前中、10センチで過ごしてみたが、
やはり軸を取るのが難しい。

何とか半日10センチで過ごし、これ以上は脛の外側が痛くなりそうだったので、
お昼休みに8センチに履き替えた。


驚いたことに、8センチのヒールが、まるでスリッパのような感覚であった。


その衝撃。
こんなに楽をして歩いていたのか。
師匠の仰ったことは本当だった。


翌日も半日、10センチで過ごした。
前日よりは楽に歩くことが出来た。


「ハイヒールの高さと筋肉量は比例します。
高すぎてはコントロールが出来ず、身体を痛めますし、
低すぎては筋肉が怠惰になります。」

何度も講義で聞き、課題でも書いたにもかかわらず、
全く腑に落ちていなかったのだ。



1.終わったレベルに留まらず、然るべきタイミングで次に行くこと。

2.移行するタイミングをキャッチする感度を磨くこと。

3.何かを学んでいる時、メンターからアドバイスをいただいたら、
即行動すべし。考えるのは後。

4.自分を見くびらないこと。


今回の出来事で、ようやく深く腑に落ちたことだが、
これらはハイヒールと人生、両方に通じる。
ハイヒールの高さを上げたからこそ、
身体を通じて感じ、そして深く思考に落とし込むことが出来たのだ。
もしハイヒールの哲学を学んでいなければ、
歩き方と人生の学びを紐付けることは、決して出来なかった。




私たちは無意識に、ステージを変える事に恐れを抱く。
まだ無理とか、出来ないとか、そんな理由をつけては、
無意識に、今いる場所に留まろうとするのだ。

私も例外ではなく、自分がいかに、ブレーキを掛けていたのか思い知らされた。
とにかく、頭が理由を考え始める前に、決めて飛び込んでしまうこと。
その思い切りが、ステージを変える。


今、自分の状況に、何か漠然とした違和感を感じたら、
その違和感を無視しないことが大切だ。
ほんの少しでも、心引かれる方向があれば、思い切って飛び込んでみる。
そこから、新しい世界が開けてゆくのは間違いない。





マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana














2018年4月14日土曜日

マンゴーの季節

マレーシアに住んでいて、幸せだと感じることの一つは、
新鮮で美味しいマンゴーが、安価で手に入ることである。

例年、3月から4月がマンゴーの季節。
この季節、雨が降らず、毎日焦げ付くような暑さなのだが、
このジリジリとした暑さと共にマンゴーが市場に出回るようになる。
常夏のマレーシアで、季節を感じられるささやかな機会である。



日本に住んでいた頃は、マンゴーと言えば黄色くて楕円形の果物と思っていた。
マレーシアに住んで、実はマンゴーにも色々な種類があるというのを知った。





この写真は、自宅の近所の夜市である。
暗くないのは夕方、店開きしてすぐに撮った写真だからだ。
売り台の端から端まで、マンゴーがずらっと並んでいる。


私が好きなのは、手前から二つ目の山になっている、緑色のマンゴー。
Black Goldという品種で、オレンジ色の果肉と濃厚な甘さがとても美味しい。
値段は2kgで10リンギット(約300円)
ここ数年でずいぶん値上がりして、以前は3kgで10リンギットだった。
2kgで大体5-6個くらい購入できる。


マンゴーはそのまま食べるのが一番好きだが、
ヨーグルトやアイスクリームに混ぜたり、サラダに混ぜるのも好きだ。


実は、我が家の庭にはマンゴーの木がある。
正確には我が家の庭ではなく、コンドミニアムの共有スペースなのだが、
上の階に住んでいた中華系のマダムが植えて、
マダム亡き後、ご家族から我が家が引き継いだものだ。
私は植物の世話が下手なので、
管理はコンドミニアムの庭師の男性にお願いしている。





なかなか立派な木に育ち、毎年たわわな実がなる。
実が小振りなので、そのまま食べる他に、
多くはマンゴーピューレにしている。


このマンゴーピューレとヨーグルトでマンゴーラッシーにしたり、
アイスクリームや杏仁豆腐にかけたりと、色々楽しめる。
我が家のマンゴーの季節の楽しみである。



来月、イスラム教のラマダンがやってくる。
日中、一切の飲食を経つラマダン中、マンゴーラッシーは至福の飲み物となる。


やっと小さな実を付け始めた我が家のマンゴー。
今年の出来具合はどうだろうと、今から楽しみなのである。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana











2018年4月12日木曜日

レッドソールの残像

つい先週のことだ。

職場で、ふとすれ違った他部署の女性の足元に、
強烈に視線を奪われた。


ほんの一瞬だけ、視界をよぎった足の甲。
黒のパンプスのシルエットがなんとも言えず美しかった。


はっとして振り返った時、飛び込んで来たのは鮮やかなレッドソール。


ルブタンのパンプス。
あの、美しい足の甲の印象は、間違いではなかったのだ。


残念ながらマレーシアには、ルブタンのブティックが無い。
シンガポールか、日本で購入されたのだろう、黒と赤のコントラストが美しい
クラシックタイプのハイヒールだった。


その女性は若き才媛で、いつもパンプスを履いている。
レッドソールもお似合いであったが、ただひとつ残念だったのは、やはり歩き方だ。


歩幅が広く、しっかりとヒールから着地しており、
遠ざかる足音がカツカツ、パタパタと響いていた。
その音を聞きながら、ルブタンのヒールが…!
と、冷や冷やしたのは言うまでもない。


膝の隙間、腕の振りなど、全てがコンサルティングで挙げられる、
クライアントの癖の見本のようであった。
ご自身が知らぬ間に、こんなに観察してしまって申し訳無いのだが、
彼女の歩きが、典型的なハイヒールでの歩きなのだろうと
見本を見せていただいた思いであった。


かく言う私は、まだまだ修行中であり、
目指す美しい歩きには程遠い。
しかし、気をつけるべきポイントを全て、網羅した彼女の歩きを見せていただいて、
ますます、正しく美しい歩きの必要性を痛感したのであった。


何よりも、せっかく美しい靴を履いているのだから、
靴にふさわしい歩きをしてあげなければ、靴が可哀想だ。



もしも彼女が、正しい歩き方を習得し、エレガントに美しく歩いたとしたら、
その姿はビジネスにおいて、計り知れない威力を発揮するだろうと確信したひと時であった。
それは彼女だけでなく、全ての女性が身に着けることが出来る、
大いなる可能性なのだ。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana




2018年4月9日月曜日

鏡に向かうひと時

昨日の日曜日、遂に全身が映る大きな鏡を購入した。

ハイヒールレッスンを受けているのに、今まで大きな鏡が無かったんですか?
と聞かれそうだ。
鏡はあるのだが、寝室の壁に取り付けてあるので動かせない。
鏡を見ながら練習するときは、必ず寝室で行わなければならず、
早朝のエクササイズでは、寝ている家族を起こさないように息を殺し、
薄暗い中を蠢くように(笑)エクササイズをしていた。

しかも、寝室は狭いので、連続して歩くことが出来ない。
充分なスペースで練習しようと思うと、リビングで鏡なしで行わざるを得ず、
これではまずいと思い、リビングに置けるようなスタンド付きの鏡を
購入しようと思ったのだ。



購入するまで思いの他時間が掛かってしまったのには理由がある。
家の近所の家具屋に赴いてみたが、そこにあったのは、
安っぽいパイプラックと一体になっているもの。あるいは
ベルサイユ宮殿かと思うようなキンキラの装飾過剰のものであった。


私が欲しかったのは、極々シンプルな普通の全身鏡なのに、
なぜ、安っぽいパイプか、ベルサイユ宮殿の二択しか無いのか。
しかも、数件ある家具屋のどこに行っても、この両極端な二択のみ。
この辺りがローカル店舗の謎である。
日本だと普通に売られているシンプルで機能的な物が、意外と手に入りづらいのだ。



カタログを見てイケアに行ってみたが、残念ながら欲しかった物は在庫切れ。
ローカルのオンラインショッピングサイトは、いまひとつ品質に信用がおけないので、
最初から選択しなかった。

結局、マレーシアで「MUJI」として展開している、無印良品のスタンドミラーを
購入して一件落着した。
リビングに置いてみると、シンプルなので違和感も無く、
大きさも見やすくて丁度良い。
妥協して安いパイプや、ベルサイユにしなくて本当に良かった。



さて、大きな鏡と、充分なスペースを確保してのエクササイズ。
やはり格段に意識が入りやすい。
もっと早く購入すれば良かった、とそれだけが後悔である。


しかし、鏡にも落とし穴があり、
しっかりチェックできているはずが、意外と贔屓目に見えていたりする。
また、横や後姿は見えない。
ここは、動画を撮ってチェックするしかないのだ。


自分の動画を見るのは、気が遠くなりそうなほどショックなのだが、
人間は痛みに直面化して初めて、真剣に変わろうと思う生き物なので、
ここは心を鬼にして、動画を撮り、チェックしようと思っている。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana















忙しい中でもエレガンスを忘れない方法

ハイヒールの哲学を学び始めてから、エレガンスとは?と自分に問いかける機会が増えた。
私がイメージするエレガンスとは、美しさ、優しさ、知性、勇気、強さ、誠実さ、それらが内側から溢れてくること。
そして堂々と、かつ優雅であること。

ところが私ときたら、地がかなりの鉄砲玉気質で、忙しないことこの上ない。
イメージと現実の自分のギャップがかけ離れすぎていて、
時折真剣に、エレガンスを補給するサプリがあれば良いのに、と思うほどだ。

サプリは冗談として、
エレガンスとは、付け焼刃では決して醸し出されないものだが、
そこで重要なのが、「間」である。
外見をどんなに美しくしようと、話し方、歩き方、動作の全てに「間」が無ければ、
エレガンスは存在しない。


この「間」を取るというのが、非常に難しい。
特に、私たちは忙しい日常生活の中で、ついバタバタしがちだ。
では、忙しい中でもエレガンスを忘れずにいるには、どうしたら良いのか。


私は、忙しい時こそ一拍置くことを心がけること。
それから俯瞰して物事を見る意識をもつこと。
この二つではないかと思う。


私たちの日常は、本当に様々なことが日々起こっており、
綺麗事だけでは済まず、腹も立てば焦りもする。
そこで起きた事象、あるいは関係する人に対して、
脊髄反射的にいちいち反応すると、
あっという間に事象に巻き込まれてしまうのだ。


だが、一拍置いてみることで、冷静さを取り戻すことが出来る。
そして自分に問いかけてみる。
それは美しいか
それはエレガンスであるか


Noであれば、その行動や思考は止め、Yesになる行動、思考をすれば良い。

エレガンスとは、一朝一夕に身に付くものではなく、
日々の意識と行動が深く身体に染み込んだものが、醸し出されてくるのだと思う。
エレガンスな女性とは、いちいち意識しなくとも、
既に自然と俯瞰し、行動やしぐさがゆったりと丁寧に出来ている女性なのだろう。



それからハイヒールも、エレガンスを忘れないための重要なツールである。
ハイヒールを履いていると、忙しさに流されている時は、
身体の痛みとなって出てくるので、すぐに分かる。
ハイヒールで違和感のあるような身体の使い方をしている時は、
大抵忙しくバタバタしている時だからだ。
そうなると、「今、忙しさに流されている。」と嫌が応でも分かるので、
修正せざるを得ない。


ハイヒールは、あらゆるところで修正点を指摘してくれる、
厳しくも有難いアイテムなのだ。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana




2018年4月8日日曜日

下着姿のお勧め

金曜の夜は9時に寝落ちしてしまい、そのまま9時間も眠っていた。
更に午後、2時間昼寝をしたところを見ると、
私は相当睡眠が足りていなかったらしい。


最近、眠るときに枕を使うのを止めた。
きっかけは先週、首を寝違えてしまい、
数日間首と背中に違和感を感じながら過ごしたことだ。
コンサルティングの時、師匠にその話をしたところ、
師匠と、もうお一方、Team Asamiの美しき同志の方が
枕を使っていないと伺ったので、早速その夜から使うのを止めてみた。

自分でも驚いたのだが、私の場合、枕を使わないと驚くほど寝つきが良くなった。
恐らくは今まで、枕の高さが合っていなかったのだと思う。
枕に関しては、本当に個人の好みがあり、
一概に「こうしたほうが良い」とは言えない。
しかし、もし睡眠に関して何か違和感があるなら、
枕を変えてみるか、思い切って止めてみるのも一案である。


そんな訳で、久しぶりにたっぷりと眠った休日だった。



休日で時間が取れる時、私は下着姿でエクササイズをすることがある。
ミニスカートにスポーツ用のブラトップ姿でのエクササイズはよくやるが、
完全に下着だけを身に着けてのエクササイズは、休日の特別編だ。

この時身に着ける下着は、必ず上下セットになったものであるのは、言うまでもない。


下着姿でのエクササイズをする利点は、
まず、何と言ってもボディのラインが見えること。
どこの筋肉を使っているのか、確認が出来るし、
自分の身体の変化もすぐに分かる。

それから、女性らしい気分を高めてくれる効果がある。


下着姿でエクササイズをすると、不思議と
いつもよりゆっくりと、丁寧に行うことが出来る。

美しい下着は美しいハイヒールと同じく、女性ならではの特権。
その二つを身に着けることで、視覚からセクシーな気分を高めることが出来る。

セクシーと言うと、特に日本の女性は抵抗がある方がいらっしゃるかもしれない。
とりわけ、私のように50代に入ったり、既に閉経を迎えた女性は、
セクシーとはもう縁が無いと思い込みがちだ。

私にすれば、それは単なる思い込みであり、
男女ともに、何歳になってもセクシーであることは大切である。

40代以上の大人の女性こそ、美しい下着とハイヒールは必須なのである。
休日のひと時、下着姿でハイヒールを身に着けることで、
自らの女性性を高める時間を持つことを、ぜひお試しいただきたいと思う。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana














2018年4月4日水曜日

外反母趾はハイヒールだからこそ緩和できる

外反母趾でもハイヒールを履いて大丈夫だろうか。


外反母趾にお悩みの方が、必ず持たれている疑問だろう。
私自身がこの疑問を持っていたから、お気持ちはよく分かる。

私の足は、子供の頃からの偏平足で、
横アーチが崩れて、幅が広がっている「開帳足」。
右足の親指の付け根には、「バニオン」という出っ張りが出来ている。



少し前まで、私も「外反母趾の原因は先の尖った靴やハイヒール」という通説を
固く信じていた。
ヒールは5センチが限度で、ワイズが広く、爪先が丸いものを選んでいた。
よく、「外反母趾用シューズ」として売られている、先の丸っこい靴である。
正直あの形は好きではなかったが、
外反母趾だから、ああいう靴しか履けないと思っていたのだ。


ハイヒールの哲学に出会い、外反母趾でもハイヒールが履けるかも、と
恐る恐る未知の8センチに挑戦してみた。

今、会社では毎日8センチのヒールを履き、
家では10センチのポインテッドトゥのハイヒールを履いているが、
外反母趾は悪化していない。
ハイヒールレッスンを始めた当時、こわごわ履いていた8センチヒールは、
今や楽に履けるようになり、外反母趾部分に痛みを感じることは無い。



巷では、ハイヒールを履くと爪先に体重がかかるため、
外反母趾の原因になると言われているが、
これは100%正しいとは言えない、と
声を大にして断言する。


「ハイヒール=外反母趾の原因」 ではなく、
正しくない無知な状態でハイヒールを履く=外反母趾の原因」 なのだ。


外反母趾の本当の原因は、足裏の筋肉の弱さと歩き方にある。

足首と足指が使えていないベタ歩き
幅の広すぎる靴を履くことによる「浮き指」


これらにより、足裏と足指の筋肉が衰えて靱帯が緩み、
足指があるべき所に収まらず、曲がってしまうのだ。

どのくらい自分の足裏と足指が弱っているかは、
足指でグー、チョキ、パーをしてみれば分かる。
足指が思うように動かせない方は、相当筋肉が弱っている。
グーをした時に、足指の付け根にある関節が、しっかりと浮き出るくらい
握りこめない方は、足裏と指の筋肉が固くなっている証拠だ。


ハイヒールの哲学のメソッドでは、まずストレッチで足首、足裏の筋肉をほぐす。
そして腹筋を引き上げ、体幹で体重を支えるので、
爪先だけに体重がかかり過ぎる事は無い。
更に一歩一歩、しっかりと足首を返し、母趾球に体重を乗せて歩くことで、
足裏の筋肉も使っている。


その結果、外反母趾が緩和されてくるのだ。
ハイヒールなら何でも、外反母趾が緩和されるのではなく、
重要なのは「正しいメソッドでハイヒールを履く」からこそ、
外反母趾が緩和されると言う事である。



憧れてはいたけれど、自分には無理だと思っていたハイヒール。
今、私はポインテッドトゥのピンヒールと共に生きている。
かつての私のように、外反母趾用シューズは確かに楽だけれど、
美しさという点で納得できない方。
ハイヒールに憧れているけど、外反母趾で諦めている方は、
一度ハイヒールの哲学の世界へ、飛び込んでみて欲しい。

諦めるのはいつでも出来る。
諦める前に、挑戦してみるか。
挑戦というリスクを回避して、諦めの中に沈み込むか。


新しい世界への扉は、常に自分が開くものである。




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana







2018年4月2日月曜日

海を越えて繋がる

今日から4月。
このブログを綴り始めて、早5ヶ月になる。
このところ体調不良やPCの故障などにより、
更新が滞りがちであったが、それでも訪れてくださる方がおり、
心から感謝を申し上げたい。


最初は日本とフランスだけだった閲覧者も、
少しずつ色々な国から訪れてくださる方が増え、
今日の時点で、日本も含めて27カ国となった。


ネットのおかげで、海を越えた外国で、私のブログを読んでくださる方がいる。
そう思うと、本当にありがたく、
ますますエネルギーを込めて綴ってゆこうと思う。


Nanaという、常夏のクアラルンプールで、
ハイヒールと格闘中の女性の奮闘記を、これからもよろしくお願いいたします。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana



2018年4月1日日曜日

コンサルティングのハプニング

昨年の12月から始めたコンサルティング。
後半の実践編に突入して、はや数週間が経った。
ポイント、流れを掴み、実際に声を出して動いてみるのだが、
これが本当に難しい。

見るのとやるのは大違い。
レッスンの時あんなに何度も言われている台詞。
自主練の時も、自動的に頭の中に師匠の声が響くほど
身体に染み込んでいるはずなのに。
自分でやってみると、情けないほど出来ない。
次に何を言うのか考えてしまって、
とてもではないが次々と指示を出すに至らない。
毎回実践編をやるたびに、思わず胸を掻き毟りたくなるほど、歯がゆい。


今週木曜のコンサルティングでは、更に予期せぬハプニングが起きた。


我が家には3匹の猫がいる。
レッスンの時はベランダのケージに入れるのだが、
雨が降っていたりすると、可哀想で、ケージに入れなかったりする。
それが大間違いだった。
猫を甘やかした報いが、こんな形で降りかかるとは。


実践練習を始めましょう、というその時。
三姉妹猫の次女猫が、お腹をグリグリと踏んで欲しい、と甘えてきた。
次女は、手で触られるのが嫌いで、
その代わり足で踏まれるのが大好きだ。
師匠の前で、しばし猫のお腹を踏んづける姿を披露し、では、という時。

今度は長女猫が、私も構って欲しいと甘えてきた。
これ以上時間を無駄にする訳にはいかないので、
纏わり付く彼女を無視してスタートしたのだが。
構ってもらえず怒った長女猫が、
何と私の右脚に爪を立ててしがみ付いてきたのだ。


ミニスカートにガッシリと爪を立ててぶら下がり、
右のふくらはぎにガブリと噛み付いたまま離れない。
何度か引き剥がして娘に渡したのだが、
脱走してはまた私の脚に噛り付いてくる。

動きを中断する訳にいかず、
右脚に猫をぶら下げたまま、一連の動作を続けたのだが、
いかんせんその状態では、
「体重が外側に流れないように」どころの話ではない。

本来なら脚を「美しく美しく」前に運ぶべきところ、
噛り付いている猫ごと、脚を前に運ぶなど、
美しさ以前に、まるでマンガのようではないか。

しかも、
腿に爪が食い込み、ふくらはぎに思いっきり噛み付かれて、ものすごく痛い。


クライアントの癖を修正する練習をしていたのだが、
師匠が間違った動きをして見せた時、痛いのと焦るのとで、
思わず


「それ、違う。」


と口走っていたらしい。
師匠に爆笑とともに指摘されて、自分が何を言ったのか気が付いたのだが、
後の祭りである。

さすがの師匠も、コンサルティングのクライアントに
「それ、違う。」と言われた事はないだろう。
いくら猫に気を取られていたからとはいえ、
Nanaさん、それは無いでしょう。と自分に言いたくなった。


実践の練習が終わった時、あまりのボロボロさに、
頭の中に、ショパンの葬送行進曲が響いていた。
がっくりとする私の横で、
充分私にリベンジをして満足した長女猫が、
涼しい顔で毛づくろいをしていた。


猫の怒り、恐るべしである。
今度からレッスンの時は、猫は絶対にケージに入れようと、
固く固く誓ったのは言うまでもない。

ちなみに私の脚には、二日経った今でも、
猫の爪跡と噛み跡が点々と残っている。



コンサルティングプログラムの名誉のために申し添えるが、
本来のレッスンは少しの気の緩みも入れられない、
緊張感に満ちたものだ。

こんな情けなくも滑稽な姿をお見せするクライアントは、
おそらく私だけである。

気を取り直して、来週に挑むことにする。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana
















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