2018年1月31日水曜日

Dear my son, Azumi

今日は長男の誕生日。
今日で20歳。日本では成人である。


彼の今までの人生は、私がマレーシアで過ごした人生と、ぴったり重なる。
結婚するためにマレーシアに移住し、結婚後すぐに長男を授かった。

当時はインターネットが普及していなかったので、
日本の妊娠、出産の情報と言えば、クアラルンプールで購入した1冊の本と、
友人からもらった、日本の妊婦雑誌数冊が頼りだった。


私はそれまで大きな病気や怪我をしたことが無く、
出産のための入院が、人生で初の入院だった。
健康には自信があり、妊娠中の経過も良かったため、
何の疑いも無く、自然分娩で簡単に出産が出来ると思っていた。
それは大きな誤算だったと、出産の時に思い知らされることになるのだが。



子宮口が開かず、陣痛促進剤を打ち、10時間近い陣痛の後。
会陰切開をして、あと1プッシュで全てOK、というところで、
胎児の頭がひっかかって出ないという事態になった。
3回吸引をしたが、やはりダメで、
どうやら臍の緒が首に巻き付いていたらしい。

緊急帝王切開が言い渡された。
緊張の糸が切れ、痛みに耐え切れずに叫ぶ私に、
「OK, It's OK」
と声をかけながら、
ドクターが会陰切開したところを、ブスブスと縫っていた感覚を覚えている。


午後10時半に出産。
全身麻酔による帝王切開だっため、長男に会えたのは翌日の午後だった。

やっと会えたわが子は、3回も吸引されて頭には吸引機の跡がつき、
頭の形が少し長くなっていた。
取り出された時は、既に手足が青く、冷たくなっていたというから、
頑張って生まれて来てくれたことが、本当に愛しかった。


が、赤ちゃんを見た次の瞬間


「おっぱいをあげなきゃ!」
と思った私は、いきなりベッドの上に起き上がった。
もちろん帝王切開後で、動ける状態ではなかったはずなのに、
人間の精神力というのは、時に物凄い力を発揮する。

側にいた看護師さんが、慌てて私を止め、
「全身麻酔で帝王切開して、起き上がった人は始めてよ。」
と呆れていた(笑)



そんな出産劇を経て始まった、長男との生活。
当時は専業主婦で、時間はたっぷりあったはずなのに、
彼が赤ちゃんだった頃、小さかったときのことは、
切れ切れにしか覚えていない。

それだけ、私自身がマレーシアでの生活に慣れるのに必死だったのだろう。
多分、子育ても必死だったのだと思うが、それすら覚えていない。
今思うと、本当にもったいなかった。
もっと子育てを楽しめばよかった。
正直、そう思うこともある。


小さい頃は甘えん坊で、繊細で泣き虫だった長男。
大きくなると、無口だけれど責任感の強い子になった。
目だったことはしなくても、なぜか人に頼られ、信頼される。
それは彼の美点だと思う。

その反面、やはり私の血を引いているだけあって、
なかなか強情で暴れん坊な顔を隠し持っている。




親子というが、実は親のほうが、子供に育てられていると思うこのごろ。
子供たちがいなかったら、きっと私はとんでもなく傲慢で、
ひとりよがりな人間になっていたに違いない。

3人の子供の中でも、先陣を切って私のもとへやって来てくれて、
何もかもが初めてのなか、一緒に奮闘してくれた長男。

4年ほど夫が単身赴任をし、子供たちと私だけの生活をした時。
私を支え、弟や妹にとって父親の役割までしてくれたのが、
当時10歳だった長男だった。
彼がいなかったら、到底乗り切れなかったことはいくつもある。


2年前、彼が大学に入るときに、
「あなたはママにとって、マレーシアで血が繋がった最初の家族。
ママのところに来てくれてありがとう。
あなたのことを心から誇りに思っているし、心から愛してる。」
と伝えた。
長男の返事は。「おう」だけだったけれど、
目が赤くなっているのを、私は見逃さなかった。




私の、親としてのステージのひとつは終わった。
あとは、自分の人生を行く彼の背中を押すだけ。
彼には、自分の魂に従い、情熱を持って、
どこでも好きなところに羽ばたいて欲しいと思っている。

私の新たな役割は、私の道を行き、私の生き様を見せること。
そして、彼が私の元に帰ってきたときはいつでも、
両手を広げて、お帰り、と迎えることだ。

いつでも、どこにいても、いくつになっても、
彼は私の、初めてのベイビーで、初めての血の繋がった家族なのだから。
私がこの世を去る瞬間まで、それは変らない。



お誕生日おめでとう。
そして、成人おめでとう。






Kepada Azumi yang anak mama tersayang,

Terima kasih pada lahir sebagai anak surung mama.
Mama sayang  dan sangat bangga Azumi yg tersayang.

Selamat Hari Jadi.
Semoga Tuhan kurniakan kamu.

mama






2018年1月28日日曜日

朝のストレッチ

今朝、ストレッチをしていて気付いたこと。

両肘を顔の前でつけてから開くエクササイズで、
右の肩甲骨が開きにくい。

先週のハイヒールレッスンで、どうにも身体が左に廻ってしまって、
修正に苦労したが、右の肩甲骨が開きにくいことも関係していると思った。

私は右足が外反母趾、開張足であり、横アーチが潰れている。
その証拠に、本来横アーチがあるべき場所に、小さいタコがある。
これが全ての原因なのだ。

足は体重の全てを支える大事なパーツ。
それに気付いたのは、ほんの2年ほど前。
遅すぎるくらいだ。
なぜ今までずっと、放っておいたのだろうと後悔しているが、
後悔しても仕方がない。
というか、知らなかったのだ。
外反母趾は、先の細い靴が原因と思い込んでいたし、
まさか足裏の筋力不足だなんて、思いもしなかった。

だからいつも裸足だろうが、サンダルだろうが、
足指は解放されていても、足裏は鍛えられる事なく、
知らないうちに開張足になっていた。


広がりきった私の右足の改善から、気長にやらなければならない。



今日はこれから出張のため、今日明日はブログの更新が滞ります。
Instagramには何か投稿をしようと思います。


2018年1月27日土曜日

欲しいものを欲しい、という大切さ

昨日は通訳の仕事で、日本から来たクライアントと一日外回りをしていた。
終日移動だったので、体力的にも疲れたが、
クライアントのアテンドで神経を使ったらしく、
帰宅してから倒れこむように横になり、そのまま眠ってしまった。

今日も疲れが残っていたのか、午前中はダンスのレッスンに行き、
午後は昼寝に充てて、ようやく動き出したのは夕方近くであった。



こちらの写真は、昨日の訪問先のひとつ。
ローカルの中華系ビジネスマンが経営するチャイニーズレストランで
いただいた一品。
実は、特別な縁起物で、旧正月の時期しか食べられず、
しかもマレーシアとシンガポールにしかないお料理である。







魚生 と書いて、イーサン と読む。
その名の通り、中華料理には珍しく、刺身が入っている。

なぜ魚かというと、「魚」は「余」という字と発音が同じなので、
「年年有魚(余)」つまり、毎年余るほどお金が入ってくる。という
縁起を担いでいるのだ。

魚の他に、野菜の千切り、くらげ、ピーナッツ、ポメロ(ザボン)、
パクチーなどの食材をプラムソースをかけてごちゃ混ぜにする、
「大変縁起の良い和え物」なのである。



この魚生、いただく前にちょっとした儀式(?)をする。
菜箸のように長い箸を全員で突っ込んでから、
捞起!(ローヘイ!)
と掛け声をかけて、一斉に高くすくい上げるようにして混ぜる。
ローヘイ、はすくい上げるの意味で、魚を取るときに網を投げるように、
福を呼び寄せるという意味があるそうだ。


更に、まぜながら、願い事を言うと良い。
「商売繁盛!」「健康長寿!」「良縁!」「美貌!」
などなど、全員が口々に願い事を言いながら(叫びながら)なので、
魚生を食べる時は賑やかなこと、この上ない。

当然、混ぜ終わった後はぐちゃぐちゃなのだが、
こうして皆の願いがたっぷり込められた魚生をいただいて、
新しい年の幸福と繁栄を祈るのだ。




中華系の方は元々声が大きいのだが、こう言う時は特に声が大きく、
誰も遠慮する人はいない(笑)

欲しいもの、願うものをはっきりと言うことに、全く躊躇がない。
欲しいものは?と聞かれれば、例えばお金が欲しければ
「お金!!!」
と、キッパリとした答えが返ってくるので、非常に分かりやすい。(笑)


「願いごとをはっきり言うのが魚生のマナーですから、
何でも遠慮せずどうぞ。」
と日本人クライアントには伝えたが、
それでも皆さん、若干腰が引けていたようである。(笑)
せっかくの機会なので、「事業成功!」とか「商談成立!」
とでも叫べば良いのに、とおせっかいな事を思ってしまった。



時々歯がゆくなるのは、日本人はせっかく良いものを持っているのに、
アピールが下手で、相手に伝わりにくい。
謙譲の精神は大変素晴らしいのだが、相手を立てることと、
アピールをしないことは全く別だと思う。
黙っていては、どんなに素晴らしいものを持っていても、
誰も分かってはくれないのだ。

欲しいものも同じ。
「本当は○○が欲しいけど、でも…」
「こんな事言ったら、おかしいと思われるかもしれないけど…」
などと、奥歯に物が挟まったような言い方をしていては、
欲しいものは得られない。



決して日本人を批判しているのではない。
外国人の真似をすることを薦めているのでもない。
私は、日本人であることを誇りに思っている。
だからこそ、もっと世界で日本人が活躍し、
日本の物が正当に評価されて欲しいと、心から願っている。
そのためには、私たちひとりひとりのマインドが非常に重要なのだから。

日本人の勤勉さ、研究熱心さ、応用力、モラルの高さ。
これらは長所として残し、更に世界で通用するだけの
コミュニケーション力、プレゼンテーション力、アピール力を
ぜひ養って欲しいと思う。



さて、話を魚生に戻すが、
私も遠慮なく願い事を叫ばせていただき、
しかも訪問先の会長手ずから、私のお皿に魚生を取り分けていただいた。
これは幸先が良いぞ、と勝手に解釈し、
私の願い事は必ず叶うに違いないと思っている。





マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana









2018年1月26日金曜日

その名のごとく

二日前の大雪。
埼玉に住む友人が、写真を送ってくれた。
埼玉のはずなのに、まるで雪国のような景色。


早春の雪

この言葉は、私の本名と関係がある。

早春の雪が降るこの季節。
真冬を過ぎ、春の気配がすぐそこまで来ている季節に、
野にちょこんと顔を出す、ちいさな野草。
それが私の名前。


まだまだ冬の寒さが続くけれど、まるで一足先に、
春はもうそこだよ、と告げるような。
冷たい地面を突き破って顔を出す、生命力に満ちた若い菜。


私はその名のとおり、小さくとも逞しく、生き生きと生命力に満ちて、
空に向かって伸びてゆきたい。



この名を付けてくれた母に、今日のBlogを捧げます。



マレーシア、クアラルンプールより愛を込めて
Nana









2018年1月24日水曜日

隠す、という美意識

昨日は、おおまかなマレーシア人の美意識と、
日本人の美意識との違いについて書いた。

今日は、特にマレー系女性の美意識について書いてみたいと思う。

というのは、マレー系女性はイスラム教徒なので、
日本の方にあまり馴染みが無い、イスラム女性の美意識を
知っていただくのにちょうど良いと思ったからだ。


イスラム教徒の女性(ムスリマ)と言えば、
おそらく多くの方が、
目だけを出して全身真っ黒のマントで覆われた女性をイメージするに違いない。

頭部を覆うスカーフ。
身体の線を隠す衣服。

こういった衣服を見て、あなたはどう思われるだろうか。
ミニスカートやデコルテが開いた服が着れないなんてひどい。
女性差別だ、と思うだろうか。


もしそうだとしたら、それは必ずしも正しいとは言えない。


もともと髪や身体を隠すムスリマの服装は、
差別ではなく、大切なもの、美しいものだから、
慎ましく覆っておき、
大切な人にだけ見せる。という意味合いだった。

それが、男尊女卑が強い風習の地域や、極端な原理主義の地域では、
強制的に全てを覆う服になってしまった。
だから、全てのムスリマ女性が、服装において抑圧されているとは
思わないでいただきたい。


ムスリマ女性にとっては、人前で髪や身体の線を隠すことが美しいのだ。
仮に私たちが、女性の身体は美しいのだから、
髪を隠さず出しましょう。
ミニスカートで、デコルテの開いた服を着ましょう、と言っても、
それは彼女たちにとって、素っ裸で往来を歩きなさい、と言われるのに等しい。



マレーシアでは、マレー系女性はBaju Kurung(バジュ クルン)という
ストンとしたシルエットのツーピースや、マキシのワンピース、
あるいはパンツスタイル。アラブ風のアバヤ(コートドレス)などに、
スカーフをコーディネートして、自由におしゃれを楽しんでいる。

マレーシア語の「sopan(ソパン)」 慎ましい、礼儀正しいという意味だが、
マレー系女性にとっては、sopanであることが美しいのだ。









ヘアスタイルの代わりにスカーフのアレンジを楽しみ、
身体の線は出さなくても、色や柄でおしゃれを楽しむ。
色柄は南国マレーシアらしい、ビビッドでカラフルなものが多い。

おしゃれをしたい。美しくありたい気持ちは、
マレー系の女性も私たちも同じだ。

見せる美意識と、隠す美意識。


世界には様々な価値観や美意識がある。
異なる価値観に遭遇したとき、私たちはどう対応するか。
そこには愛と知性が必要だと思う。
相手への愛と、相手の価値観を知り、理解し、折り合いを見つける知性。


それこそが、美しい調和を生み出すのだ。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana



2018年1月23日火曜日

日本人とマレーシア人の美意識の違い

私は20年マレーシアに住んでいるが、
実のところ、一言で「これがマレーシア人の美意識です。」というのは非常に難しい。

というのは、マレーシアは多民族国家で、
マレー系、中華系、インド系と全く異なる民族が入り混じっているからだ。
(実際には少数民族を含め、もっと複雑な民族構成になっている)


「国」を色々な種類の飴玉が入っている瓶に例えるなら、
日本はほとんど同じ色の飴が入った瓶。
マレーシアは赤、青、黄など色も味も全く違う飴玉が入っている瓶なのだ。

だからマレーシア人は、外国人には「私はマレーシア人です」と言うが、
普段は「私はマレー系」「私はインド系」というように、民族に結び付けて自己紹介をする。

彼らの意識は、「国」よりも、各人の「ルーツ」である民族に重きが置かれている。
美意識もしかり。



中国系は何よりも富と長寿を大切にし、理想はゴージャスなお金持ちのマダム風。








インド系はボリウッド映画に出てくるような、グラマラスでミステリアスな美女。
そして髪の美しさをとても大切にする。






マレー系女性の美意識には、イスラム教の影響がとても強く反映されている。
スカーフで髪を覆い、身体の線を出さないことが美しい。








このように、民族によって美意識の違いはあるが、
日本人の美意識と決定的に違うことがある。
それは、おおまかに言うと、


1.自分が基準である


2.若さだけに価値を置いていない


3.細さは美の絶対的基準ではない




この3点は、どの民族であっても共通する意識だ。


自分が基準だから、「モテ○○」や「愛され○○」の発想が無い。
モテようがモテなかろうが、自分が好きなスタイルをする。
(たまに自分スタイルすぎて、ギョっとするような女性もいるが、
本人は全然気にしていない。笑)

若さが全ての価値ではないから、いい年をして10代の女の子と
同じような振舞いやファッションをしている女性は、
どこかおかしいのではないかと思われるし、
もう若くないからモテ期が終わった嘆くこともない。
(そもそもモテ期という発想が無いのだが)

細いことは必ずしも美ではない。
逆に、どこか健康に問題があるのではないかと思われたり、
子供っぽいと思われたりする。

要は、自分に自信があり、年齢的にいくつであっても、
多少お肉が豊かな体型であっても、全く気にすることなく、
世の中のトレンドに振り回されることもなく、
自分が美しいと思う装いをしているのだ。

それが客観的に見て、美しいかどうかはさておき、
堂々と、自分は美しいと思っているマレーシア人女性は
日本人よりずっと多いと思う。



とはいえ、歩き方や姿勢に関しての美意識は、
残念ながらマレーシア人は、美意識がある人はほぼゼロではないだろうか。
熱い気候のせいか、だらだら歩きになりやすいし、
肥満が多く、お相撲さんのような歩きになっている人も良く見かける。


数年前、ショッピングモールで、マレー系のトップモデル、
Nasha Azizを見かけたことがある。
カジュアルな装いで、サングラスをかけていたが、
スッとした立ち姿と、個性的な靴で、
ひと目で「あの人は誰?」と思わせるオーラを放っていた。

マレーシア人の女性で、オーラのある立ち姿を見せてくれたのは、
後にも先にも、Nashaひとりだけだ。


姿勢と歩き方については、全世界の女性が、
もっと意識すべきだ。


長くなってきたので、今日はここまでにするが、
明日は、マレー系女性の美意識について、
もう少し詳しく書いてみたいと思う。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
nana



















2018年1月21日日曜日

背中の美しさ

土曜日に鍼灸院に行ってきた。

トラブルが起きた時にはで書いた、頭に針が1本残ったままだった、
例の鍼灸院である。

今回は鍼はせず、漢方薬をもらうのが目的だった。
漢方薬は2年くらい飲んでいて、毎回先生の問診を受け、
身体に必要な漢方薬を処方してもらっている。

問診の時に、12月と1月は風邪が長引いて体調が悪かったと言うと、
カッピングをしていきなさいと言われたので、やってもらった。

カッピングは「吸い玉」とも言い、
ガラス製のカップを皮膚に押し当ててポンプで中の空気を抜き、
真空状態にして、身体の中にある悪い血を皮膚表面に集める中国の療法だ。

血行が良くなる、デトックスなどの効果があるのだが、
唯一の難点は、背中にカップの跡が残ること。
悪い血が滞っているところほど、色が濃い跡になる。
1週間ほどで消えるのだが、知らない人はギョッとするほど、
ドス黒い跡が背中にくっきりと現れる。

興味がある方は「吸い玉 カッピング」で検索してみていただきたい。

私も、背中の中央から肩にかけて、カッピングの跡がくっきりと出来てしまい、
しばらく背中の開いた服は着られない状態だ。


前置きが長くなったが、今日書きたかったのは背中の美しさについて。

私たちはつい、正面から見た時のことばかり意識しがちだ。
しかし、実はそれ以上に気をつけなければいけないのは、
後ろと横からの姿。

自分で見えないので、つい意識が疎かになってしまうが、
最も生活感や年齢が出やすいのが背中なのだ。
私など、スナップ写真に偶然自分の後姿が映っていて、
あまりに老け感たっぷりの背中に、ガックリきたことが何度もある。


肩の位置、肩甲骨の収まり具合、
脂肪の付きかた。背筋の状態。
気をつけるべき点はたくさんある。

特に日本人女性は、筋力が弱いこともあり、
背中も薄くぺったりしてる方が本当に多い。
背中が薄すぎると、貧相に見えてしまう。


以前、マレーシアでひとりだけ、背中の美しい日本人女性を見たことがある。
その方はピアニストで、ペトロナスマレーシア交響楽団の演奏会で
ピアノを弾いていらした。


彼女は背中が大きく開いたドレスを美しく着こなしていて、
私は彼女の、美しい背中から目が離せなかった。
日本人女性には珍しく、しなやかな筋肉がある背中。
演奏中私の席から、その方の背筋の動きがよく見えて、
なるほど、ピアニストというのは、
実は背中が、とても重要なのだろうなと思ったものだ。


背中で語るのは、男性と思われがちだが、
私は女性こそ、背中で語って欲しいと思っている。
たとえ顔は見えなくても、後姿が美しければそれだけで、
きっと素敵な女性なのだろうなと思わせることが出来るからだ。

後姿でさえ、はっとするような美しさを放つ女性。

そんな女性を目指したい。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
nana











2018年1月20日土曜日

好きなものの中に本質がある

コンサルティングをスタートしてから、
昔好きだったものを、一つずつ思い出している。


思い出すと胸が熱く高鳴るものは、
今も変らず好きなもの。
ロックや、いくつかの小説や、絵画や、
今までに観た映画や舞台の数々。



マレーシアに移住する時、
大好きだった本やCDはほとんど処分した。
結婚するのだし、環境も変るから、もういらないだろうと思ったのだ。
実際、数が多すぎてマレーシアに持ってくることは不可能だったし、
移住後は異国での生活に奮闘して、
好きだったものはどこかへ埋もれてしまった。

でも、本当に好きなものは、環境が変ろうが時間が経とうが、
再び戻ってくるのだ。
なぜなら、それらは私の本質に結びついているから。

だから変な人と思われるかもしれないが、私はこのBlogで、
わざわざ昔のロックの話などをしているのだ。
10代の頃、情熱を傾けてのめり込んだもの。
私の人生の一部。



ということで、
またか、と思われるかもしれないが、
しつこくDavid BowieとMarlene Dietrichに登場いただく。

私が愛する2人が、夢の競演をしている映画、Just a Gigolo
実は競演と言っても、Dietrichのパートは、高齢の彼女を慮ってパリで行われ、
Bowieはベルリンで撮影をし、後で編集で作られた競演である。

ジゴロクラブのマダム、セマリング男爵(Dietrich)が、
Bowieをスカウトする場面。
美青年をずらりと従えたDietrichの貫禄が圧巻で、
彼女の前では、さすがのBowieも、ただの青二才でしかない。

映画自体は駄作なのだが、ひたすらBowieが美しく、
この2人が競演している数分間は私にとって、特別な夢のようだ。



一連の記事を書くために、ネットで情報を確認して気がついたのだが、
この美しき2人は共に山羊座生まれ。
他に何か共通点があるのか考えてみたが、
2人とも自分のイメージを強固に作り上げるタイプ。
Bowieと言えばこれ、Dietrichと言えばこれ、という
不動のイメージがある。

それから、2人ともそれぞれの時代の中で、
ジェンダーを超える魅力があったということ。
Bowieはグラムロック時代から、時に男性か女性か分からない、
中性的な魅力があったし、Dietrichはあの時代に、
「男装の麗人」と呼ばれセンセーションを引き起こした。


そして何より、2人ともノーブルな美しさがあること。
どんなにセンセーショナルであっても、
決して下卑た感じにはならない、
コアのコアの部分にあるノーブルな美しさ。


好きなものにはやはり、共通したものがあるのだ。


今回、この記事を書くために、30年ぶりにYoutubeで観たJust a Gigolo。
時を越えた、私が愛する2人との再会に胸が熱くなったひと時だった。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
nana







2018年1月19日金曜日

新年会にて

先日、仕事関係の新年会のお手伝いをさせていただいた。

スタッフとしてお手伝いをしながら、さりげなくお客様を観察できる、
大変いいチャンスだった。
興味津々で(だが失礼にならない程度に)観察していたのだが。


一言で言うと、大変ショックを受けた。


日本人のお客様に限って言うと、

1.靴に無頓着な方が多すぎる。

2.華やかさに欠ける。

3.姿勢が悪い。立ち居振る舞いに余裕が無い。

4.年齢、体型に合った服を着ていない。


そして、ハイヒールコーチを目指して修行中の身としては、
最もショックだったのは、やはり


美しく歩いている女性が一人もいない


という事実。
歩き方に関しては日本人、外国人とも、
本当に、美しく歩いている方はゼロだったのだ。


この事実に唖然とした。


内股、外股、ガニ股歩き、歩くたびに上体が左右に揺れる、
行進のように手を振って歩く、
つい歩き方を観察してしまったが、見事に良くない歩き方のオンパレードだった。

更に、総じて日本人女性は雰囲気が幼い。
おそらく、私と同年代だろうと思われる女性でも、
成熟した女性のオーラを醸し出している方はおふたりしかいなかった。


色々なレセプションのお手伝いをするたびに、
日本人女性のオーラの無さに驚き、危機感を覚える。

ヘアメイクや服は頑張っていても、
なぜか存在感が薄いのだ。


かなり失礼なことを言っているのは承知しているし、
私も決して人のことは言えないのだが。
現実を知ると、かなり残念だな、と思う。
服やヘアメイクを頑張る前に、やることがあるでしょう!
と言いたくなるのだ。



日本人女性は、もっと全身が映る鏡で、
自分の姿を引いて見たほうがいい。
あるいは、自分の姿を動画で観てみればいい。

あまりの姿に、愕然とするはずだ。


上に挙げたNGポイントは全て、ハイヒールの哲学を知れば解消できる。
解消どころか、会場で唯一、美しいオーラを放つ女性になれるに違いない。


私も、そんな女性になれるよう、日々修行中である。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
nana





















2018年1月18日木曜日

挫折と原点

若い頃はファッションデザイナーになりたかった。


高校はそれなりに進学率の良い公立校だったので、
親も担任の教師も、当然私が大学進学をするものだと思っていた。

ところが志望校を決める段階で、私は周囲の思惑をあっさり裏切り、
「服飾の専門学校に行く。」と言い出して、周りを慌てさせた。
なぜ服飾かというと、それはもちろん、
当時キチガイレベルで好きだったロックの影響だったのだが。



とにかく言い出したら聞かない私なので、
親を説得して服飾の専門学校に進み、
念願叶って、卒業後は某アパレルの企画部に配属された。

ところが、夢の職業についたのに、
そこで大きな挫折に遭遇することになる。

デザイナーとして就職したのに、企画が全く出来なかったのだ。
何をどう打ち出せばいいのか分からない。
求められているものが何なのか分からない。
情けない話だが、本当に使い物にならなかった。



数年後、「営業部に転属のため、店頭研修」という名目で、
とうとう企画から外されてしまった。

配属されたのは、都内某百貨店の平場。
この言葉は好きではないが、所謂「デバガ」である。
婦人服売り場の、ラック2本が私の持ち場。

あの頃の気持ちは、挫折感と自己卑下でいっぱいだった。
こんなはずじゃなかったのに。
使い物にならない私はダメだ。
そんな気持ちで毎日を過ごしていた。



百貨店の平場というのは、各メーカーの販売員がしのぎを削る
「ザ・女の世界」
いかにライバルメーカーより、自分の担当ブランドの商品を売るか。
戦国時代さながらの戦いが毎日繰り広げられていた。

しかも、後で知ったのだが、私が配属されたのは、
前任者が周りの販売員さんからのいじめにあい、
ストレスから突然仕事に来なくなって、そのまま退職してしまったという
曰く付きの売り場だった。

私はそんな世界に無防備で飛び込んでしまった訳だが、
不思議と周りと揉めることはなく、いたって穏やかに仕事をしていた。




渋々通い始めた百貨店勤務。
本格的に販売をしたのは始めてだったが、
やってみると意外に面白かった。

何よりも、お勧めした商品をお客様が試着されて、
試着室から出てきた時の、ぱぁっとしたお顔の輝き。
それを見るのが好きだった。



だいたい、試着をされて、いまいちだと思えば、
お客様は試着室から出てこない。
「いかがですか。」とお声がけをして、
着たところを見せて下さるのは、「いい!」と思われているからだ。


そういうときのお客様のお顔は、花が咲いたようなお顔をされている。


そんなお客様の反応が嬉しくて、接客をしていた。
お客様が他のメーカーの商品と、
うちの商品のどちらにしようか迷われている時、
他メーカーの物のほうがお似合いだと思えば、
躊躇なくそちらをお勧めした。

なぜなら、無理に自社品をお勧めしても、
お客様が納得されていらっしゃらなければ、後日
「やっぱりあっちにします。」とお取替えになってしまうからだ。

逆に、その時は他メーカーのものをお買い上げになっても、
自社商品のアピールもしっかりしておけば、
「やっぱりあれも下さい。」と戻って来てくださったりする。




徐々に、「今日は見るだけですけど。」と、
定期的に商品を見に来て下さる方が出始め、
気がつけば、毎週の営業会議で売り上げランキング外常連だった売り場が、
常にランキング内に入るようになっていた。



あの頃はまだ若くて、売り上げのノルマとか、営業成績とか、
あまり気にせず仕事をしていた。

私はただ、お客様とお話をすること、
目の前のお客様の魅力を観察して、
この方にお似合いになるのは、どの商品だろうと考えてお勧めすること。
そして喜んでいただくこと。

それが楽しかったのだ。





その売り場にいたのは1年に満たなかったが、
今思い返せば、とても大切なことを教えてくれた売り場だった。



目の前の、たった一人のお客様の笑顔。
「これ、似合う!素敵!」と思われた時の、華やいだエネルギー。

お包みした商品を受け取って、「ありがとう」とお帰りになる時の
嬉しそうな後姿。

今でも、はっきりと覚えている。



ハイヒールコーチになって、女性が美しくなるお手伝いがしたい。
そう想う私の原点は、きっとあの売り場にあったのだ。



自分は美しいと思う時、女性は本当に輝く。
そんな、女性が輝く瞬間を見たい。
輝く女性がもっと増えて欲しい。

私の残りの人生。
私の命は、そのお手伝いに使いたい。
そう、心から思う。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
nana
















2018年1月16日火曜日

ハイヒールに目覚めた瞬間 ②

コンサルティングが終わった後、余韻を味わうように
ハイヒールを履いたままブログを綴った。
それが、足元から決まるエネルギーの記事である。



綴り終わって気がついた。



先ほど、ターンをしながらこみ上げるように感じたのは、
素直に「気持ちがいい」という感覚。
そして、揺るぎない自信だったのだ。


「あなたが欲しいのはこれでしょ。」
と、ハイヒールが囁いた。



先生のエネルギーを受けてターンをした時、
私は自分の中にある、女性性を表現することに集中していた。
出来ないとか、下手だとか一切考えず、集中していた時に
湧き上がってきたのは、気持ちよさと、
今まで感じたことのない、揺るぎない自信だった。


そうだ。私が欲しかったのは、この身体を通して、
自分の中にある何かを表現することだ。


今までは、ハイヒールに憧れてはいても、
本当に自分に美しく歩けるのか。
美しいオーラのある自分になれるのか、半信半疑だった。
コンサルティングを受けていても、どこか自信がなく、
恐る恐るだった。


でも、私は気がついてしまった。
私は、自分の中にある、自分自身を表現したいのだと。
表現することが気持ちいいのだ。

自信が無い。
それは楽をするための言い訳だった。
自信は、自分で作り出すことが出来るのだ。



人生は舞台。
この日、先生との会話で出た言葉である。
私はこの日から、この言葉を深く深く自分に刻み付けている。

生き様の表現者になれ。自分を見くびるな。
ハイヒールがそう、教えてくれた。
ピースがひとつ、パチっとはまった瞬間だった。


今、私はこの感覚と共に生き始めた。
このブログも、足元から決まるエネルギー 以降の記事は、
それ以前とは変ったと思っているのだが、
感じた方はいらっしゃるだろうか。



これが、私がハイヒールに目覚めた瞬間。
人生という舞台で、私という生き様を美しく表現したい。
ハイヒールと共に。

























2018年1月15日月曜日

ハイヒールに目覚めた瞬間 ①

何だろう。この、内側から湧き上ってくる感覚は。


それが、私がハイヒールに目覚めた瞬間。


コンサルティング4回目。
つい先週のことだ。
女性性を表現するターンのレッスンが終わった後、
私は何とも不思議な感覚に襲われていた。

女性性を表現するターンとは、ハイヒールを履き、
ゆっくりと余韻を残しながらするターンだ。
Asami先生が公開されているビデオで、このターンをご覧になった方も
いらっしゃるかもしれない。
あの、堂々としたエレガントなターンを、
「やってみましょう。」の一言でやらねばならないのだ。


内心、『そんな無茶な!』と叫びながら()
ゴクリと唾をのみ込んで、今見たばかりのターンを真似してみる。
見るのとやるのは大違い。
まず、体をターンさせるだけで精いっぱいだし、
頭を先生のように余韻を持って残すことが出来ない。
視線が泳いでいるのが分る。
1回目は自分でも、まるでロボットのようなターンだなと思った。


何度かターンの練習を繰り返した後、最後に
先生に続いて、私がターンするレッスンがあった。
先生と向かいあっていると思うだけで、腰が引けそうになるのだが、
こういう時は臆した方が負ける。
未熟でもなんでも、とにかく堂々とやってみるが勝ちなのだ。


終わった後、私は何ともいえない感覚に襲われていた。
先生に、「ターンしている時、どんな感情が浮かびましたか」と聞かれたが、
とっさに言葉が出てこなかった。


ひたすら身体の軸をとり、ゆっくり間を取ってターンすることと、
頭の位置、視線を一定に保つことだけを集中していた。
他は何も考えなかった。


その時、何か、胸の奥から湧き上ってくるものがあったのだ。


~②へ続く~







2018年1月14日日曜日

思いがけない身体の変化

身体はひとつのユニットである。


師匠がよく口にする言葉だが、
コンサルティングを受講しはじめて1ヶ月と少し。
思いがけない身体の変化があった。


ブラを付ける時、胸の納まりが良くなったのだ。


この年齢になると、バストの大きさより何より気になるのが
「下垂」
こうして書いているだけでも、気分が下がる言葉だ。

誰でも年齢が上がると、バストのエイジングに伴い、
胸の上部が削げてくる。
大して大きくない私のバストも例外ではなく、
デコルテの部分がだんだんと削げてきて、貧相になってきている。
しかも、もともと肉質が筋肉質なので、
胸元が削げると一層筋張った感じになってしまうのが悩みだ。


毎朝身支度をする時に、あちこちからかき集めた脂肪を、
エイッとブラの中に格納するのだが、
何となく胸がカップの中で浮いているような、そんな仕上がりになっていた。
ちなみにブラは、お店でサイズを測ってもらって購入するので、
サイズは大丈夫なはずだ。



それが、最近カップの中に胸がきちんと納まるようになった。
思い当たるのは毎朝のストレッチ。
肩甲骨を前後に50回ずつ回す動作があるのだが、
もしかしたら、あれがバストに効いているのかもしれない。


肩甲骨周りをほぐすと、肩関節の動きが良くなる。
肩関節は胸の筋肉と繋がっているので、
肩~胸の動きや、血液循環も良くなる。

それから、デコルテをピンと張る意識も関係していると思う。
デコルテが落ちる=胸が落ちる、であるから、
常にデコルテをピンと張っておくことは、
バストを高い位置に保つことでもある。




ハイヒールで美しく歩く勉強をしていて、バストに効果が現れるとは。
思いがけず嬉しいおまけだが(笑)
これだから身体は面白い。

もしかしたら、これだけ身体を引き上げる意識をしていると、
身長も少し、伸びているかもしれない。(笑)
今度、身長を測ってみようと思う。155.5cmになっていたら嬉しい。


本当に、身体というのはひとつのユニットで、
ひとつが変れば、他も変る。
良いほうに変れば、他の部分も連動して良くなり、
逆なら、どんどん故障の方向へ変化してしまう。
しかも、一旦悪くなると、元に戻すには数倍の時間と努力がいるのだ。
だからこそ、正しい方法を学ぶこと。
毎日正しく動かして、ケアしてあげることが大事である。


肩甲骨とバストの関係から気付いた、身体の連動性。
ますます自分の身体を、丁寧に繊細に扱ってあげようと思った。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
nana
















2018年1月13日土曜日

私の身体

身長155cm

手足は短くて、指が太い。
骨太で筋肉質。
胸が小さい
足が太くて、立派なふくらはぎ。
とても逞しい脚だ。

昔は、この体型が大嫌いだった。
どうしてもっと細くて華奢じゃないのか。
どうしてもっと、脚が長くなかったのか。
ずいぶん、親を恨んだものだ。
謂われなく恨まれた親にすれば、いい迷惑である(笑)


年々体力が落ちているし、
身体が固くなってきている。
皮膚の張りも衰えているのが分かる。


それでも、今 この身体が一番好きだ。


50年近く生きて、やっとそう言い切れるようになった。
世界でたった一つの身体。
どんな時でも私と一緒。
生きる全てのことは、
この身体があってこそ経験できるのだから。



無理な運動は何もしていないし、ジムも行かない。
食事制限もしない。
ダンスと、ハイヒールレッスンだけが私のエクササイズ。
しかも、ダンスを始めたのは44歳からだ。

今、腹筋は縦割れしているし、
腹筋で身体を支えられるので、姿勢が良くなった。
わずかだが身長が伸びたのには笑ってしまった。
(以前は153cmだったのが155cmになった。)

意識を向けて、正しく動かしてあげれば、身体は必ず変る。
これは私が、実際に経験した事実である。
これからもまだまだ変るだろう。



もしも、あなたがご自分の身体が好きじゃないとか、
もう年だからと諦めていたり、
コンプレックスから身体を隠す服ばかり着ているとしたら、
本当にもったいない。

身体は人生の最後の瞬間、この世から旅立つその時まで、
寄り添ってくれる唯一の、そして最高の相棒。
そして、丁寧に扱ってあげれば、必ず応えてくれる。
とても素直な相棒なのだ。


細くても太くても、背が高くても低くても、
それが、私たちが生まれながらに持っている、美しい身体なのだから、
きちんと整えてあげなければ、可哀想だ。

世の中の情報に惑わされることなく、
誰もが皆、「自分の」ベストバランスを見つけて、
自分の身体を心から愛し、誇りに思って欲しいと思う。

誰かを基準にするのではなく、
自分を美の基準にして欲しい。



今、私は素直に言える。


ありがとう。私の身体。
これからも宜しく。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
nana












2018年1月12日金曜日

私が最も美しいと思う瞬間

美しいと思う瞬間はたくさんある。


朝焼けの、刻一刻と移り変わる空。

ふと見上げた夜空の、冴え冴えとした月。

色とりどりの薔薇が揺れる、かぐわしい薔薇園のそぞろ歩き。

海と空の、異なる青が重なる水平線を眺めた瞬間。

子供の、純粋な瞳の光。



愛しく美しいと思う瞬間は本当にたくさんあるが、
私が最も美しいと思う瞬間。




それは、人がその身体で何かを表現した一瞬。




パフォーミングアートがとても好きだ。
マレーシアに住むようになってから、
なかなか観る機会が無くなってしまったが、
結婚前は色々な舞台を観に行ったものだ。

ダンス、歌舞伎、バレエ、演劇、演奏会、ミュージカル
芸術性の高いスポーツ、フィギュアスケートや新体操。
カナダのサーカス、Cirque du Soleilも大好きで、何度も観に行った。
ロックのコンサートも、ここに含まれる。


空間と、光と、音楽、衣装。
そこに人がいて、その人が表現する何か。
それは動きであったり、声であったり、
ひたと据えた視線の鋭さであったり。


その人の身体から放たれたエネルギーと、空間のエネルギーが
ピタッとひとつになった瞬間の、圧倒的な一瞬。



それが、私が最も美しいと感じる瞬間だ。



以前にも書いたが、物が持つ美しさとは違って、
音や動きの美は、一瞬ごとに移り変わる。
どんなに録音や録画で再生したとしても、
それは記録であり、
あの日あの場所、あの一瞬に込められたエネルギーは、
その場でなければ感じられないものだ。


生身の人間が持つ、表現という力。
私が特に、人体を通した表現に惹かれるのは、
人体という極めて現実的な有機体をもって、
眼に見えないもの、感情や愛や美を表すことが可能だからだ。
人には、無限の表現力がある。



こう書いてゆくと、何だかとても高尚で、
ほんの一握りの表現者にしか出来ない、と思われるかもしれない。


私は、美しい表現というのは、
普通に生きている人 誰もが皆、出来ると思っている。
日常生活の中で、
自分が美しいと感じるものを表現することが出来るのだ。
視線で、動作で、表情で。
そして歩き方で。

女性ならそこに、ハイヒールを加えたい。


ハイヒールと共に、日常生活の中で、
自分を表現し続けることが出来たら、
人生は美しい瞬間の連続となる。


人生は舞台。
想いのまま、思いっきり、その生き様を表現しよう。
主役は私たちひとりひとりなのだから。




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
nana





2018年1月11日木曜日

足元から決まるエネルギー

10cmのJimmy Chooを購入したのをきっかけに、
今までレッスンで履いていた8cmの黒のエナメルハイヒールを
会社の社内履きにすることにした。


私は接客業。
接客をする時は、常に早歩き。
お客様が多い時は、小走りになることもある。
ハイヒールで小走りは危険なので、
社内では5センチのヒールを履いている。


黒パテントの8cmは、接客のシフトでない時に履こうと思っていた。
しかし、Jimmy Chooを購入してから、今まで履いていた靴が
とても大きく感じる。

5cmの社内履きにいたっては、踵がズボっと抜けてしまった。

今まで大活躍してくれた5cmヒールだが、
遠からずお役目御免にして、処分する方向で行こうと思う。


それから今日、コンサルティングで女性性を表現するターンを行った。
今まではターンの練習が終わると、ハイヒールを脱いでいた。
しかし今日は、女性性のターンを行って高揚した気分が残っていたのか、
そのままハイヒールを履いて講義を受けていた。


すると、気分のほうも女性らしく、エレガントになったような
気がするから不思議だ。
どうやらハイヒールが、エネルギーを設定する役割を果たしてくれたようだ。



これからはコンサルティングの時も、
ハイヒールを履こうと心に決めた。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
nana





2018年1月10日水曜日

HERO ~David Bowieに寄せて~

本日のBlogは、どうしても綴りたいことがある。

またもや、完全に私の趣味の世界なのだが、
今日は私にとって特別な日なので、お許しいただきたい。




2016年1月10日
2年前の今日、
70年代から常に、ロックシーンの先端を走り続けたDavid Bowieが亡くなった。
2日前の1月8日に、69歳の誕生日を迎えたばかりだった。

あれから毎年、1月10日は終日、
彼の曲を聴いて、彼を偲ぶ日となった。



実は私は、80年代のロックミュージックが大好きだ。
80年代英国ロックオタク、というか、
あえてこの言葉を使わせていただくと、「キチガイ」レベルだと思う。


Team Asami Parisの美しき皆様の中で、
ロックが好き!と公言されている方は、一人もいらっしゃらないので、
もしかしたら私は、Asami先生に師事している中では変り種かもしれない。

それでも、他の美しいものと同じように、
ロックミュージックが、私の魂を揺さぶるのは間違い無いし、
あの時代のロックミュージックと出会っていなかったら、
今の私は無いと思う。
そのくらい、ロックは私の一部なのだ。



私にとって、ロックとは「異端であることを恐れない心」
そして、パワーの象徴。
数多いロックスターの中でも、別格な私のHERO。

それがDavid Bowie。


           HEROES ジャケット写真



彼の魅力は、変幻自在。
常に自分のイメージを裏切って、新しいものに挑戦し続けてきたこと。
男性と女性、知性と狂気、ノーブルさと猥雑さ。
相反するものをマルチに持ち合わせているところだ。
一言で言うと、
「格好良いけど変」(変だけど格好良い)

ここに乗せた写真の全てが違うイメージで、
同じ人とは思えないほどだ。
それだけ多彩なイメージを作り出し、表現した人だった。



ALADDIN SANE



時として爬虫類や宇宙人めいた、手の届かない何かを感じさせる。
そこが他のミュージシャンと圧倒的に違う、
Only oneの魅力なのだ。

 地球に落ちてきた男


今はもう、あんな強烈な個性を持ったロックスターはいない。
最高に美しく、最高に格好良く、
最高に気持ち悪い個性。
(気持ち悪い、は、尋常ならぬという意味で、私からDavid Bowieに捧げる賛辞だ。)

ALADDIN SANE   衣装:山本寛斎



彼のヒット曲「Starman」のように。
地球に落ちてきたDavid Bowieは2年前の今日、
突然、星になった。

最後までBowieらしい去り方だった。



Bowieを知らない方には、何を言っているのか分からないだろう今日のBlog。
しかも画像過多で申し訳ないのだが、
これも私の一部ということで、ご容赦いただきたい。



最後に
2013年、Louis Vuittonが彼を広告に起用した時の映像をご紹介する。
66歳のDavid Bowieが、円熟した色気を見せてくれる映像。

そう、まるでかつて胸を借りた大先輩、
Bing Crosby(美しき男たちのクリスマスソング)のような。

やはりDavid Bowieは、私の永遠のHEROなのだ。


マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
nana

2018年1月8日月曜日

南国こそハイヒールを

マレーシアの道路は歩行者に優しくない。

車社会なので、歩道はあって無きが如し。
歩道があっても、デコボコがひどかったり、
敷石がはがれていたり、穴が開いていたり。
歩くのに苦労する。

それから常夏の気候。
平均気温は27~33℃。
湿度が高く、靴を履いていると蒸れるし汗をかく。

そして南国のスコール。
突然真っ黒な雲がたちこめて、あっという間に
バケツをひっくり返したような豪雨になる。
道路は瞬くうちに冠水し、歩いているうちに足首近くまで水が上がることはザラだ。



そんな環境なので、クアラルンプールに住んでいると、足元は
必然的にサンダルが多くなる。

こちらでは普通のサンダルから、ビーチサンダルまでまとめて
「スリッパ」と呼ぶ。
何と言っても、スリッパが一番楽で、かつ実用的なのだ。

私もご他聞に漏れず、長年スリッパを愛用していた。
車通勤なので、ある日出勤して車から降りた瞬間に、
足元がビーチサンダルだったのに気がついた、ということもあった。

幸いロッカーに予備のパンプスを置いてあるので、
履き替えることが出来たのだが、
駐車場からロッカーに着くまでの間、
ペタペタとビーチサンダルの音を立ててオフィスの中を歩くのは、
何とも間抜けであった。



では、こんな環境なら、ハイヒールなど要らないかというと、
むしろ逆である。


暑くて、一年中同じ気温で変化が乏しいと、
どうしてもダラダラして気が緩みがちだ。
それに加えて、車社会のマレーシアは国民総運動不足だ。
気も体も緩んでしまっては、美しさから程遠くなるばかり。


そこで、ハイヒールの出番となる。
師匠が再三説いているように、
ハイヒールで歩くことはスポーツである。
しかもハイヒールさえあれば、いつでもどこでも、
美しくなりながら出来るスポーツなのだ。

優雅に見える見た目とは違い、ハイヒールで美しく歩くのは、
全身の筋肉を使っている。
実は見た目以上にコントロールが必要で、
私など最初レッスンした時は、全身が筋肉痛になった。


正直、クアラルンプールの街をハイヒールで歩くのは、かなり難しい。
だが、オフィスにハイヒールを一足置いておき、
朝、仕事前に履き替えてみてはいかがだろう。
仕事の間、常にハイヒールを履いているという緊張感と共に過ごすのは、
かなり精神面、肉体面ともに磨き上げられると思う。。

何よりも、ハイヒールを美しく履きこなす女性が職場にいれば、
それだけで職場の雰囲気が明る鋳物になるに違いない。


仕事をしていない方、
あるいは仕事中はハイヒール禁止の方、
そういう方は家の中で、スリッパ代わりにハイヒールを履いても良いではないか。
パートナーのいる方は、あなたの女性らしい姿に、
きっと新鮮な喜びを感じるだろうし、
シングルの方は、エレガントな自分を、
存分に味わう時間にしていただければ良い。



また、マレーシアは意外と色々なファンクションがあったりするので、
そういう時、ハイヒールを堂々と履きこなせば、
周りと圧倒的な差が付くに違いない。


サンダルでなく、南国こそハイヒールを、である。








2018年1月7日日曜日

「いつか」ではなく「今すぐ」に

母はお洒落な人だった。

「私は若い頃、ハイヒールとタイトスカートしか履かなかったのよ。」


私が子供の頃、母はよくそう言っていた。
子供心にも、母は美人だと思ったし、
アルバムの中の、独身時代の母はとてもお洒落だった。

だが、私の実家は自営業でとても忙しくて、
いつしか母がハイヒールを履くことはなくなり、
タイトスカートも履かなくなった。




今、80歳になった母は認知症になり、
身なりに全く構わなくなってしまった。
若い頃あんなにお洒落だった母なのに、髪はボサボサで、
ほつれていたり、破れた服も平気で着てしまう。

それでもまだ言い張るのだ。
「私は昔はハイヒールしか履かなかった。今でも履こうと思えば履けるんだから。」
そう言って出してきた箱の中のハイヒールは、
すっかりカビが生え、皮がひび割れて、
とても履けるような代物ではなかった。

私はそんなハイヒールを見て、なんとも言えず物悲しい気持ちになった。




母の時代、女性の価値観は家族優先、妻として母としての役割が全てだった。
自分のしたいことがあっても、家族や子供のことを優先してきたに違いない。
家事と育児と仕事に追われて、ハイヒールで出かける時間など
とても無かったのだ。
いつかあれをしよう。仕事を辞めて時間ができたらこれをしよう。
母は、そう思っていたことだろう。

でも、その「いつか」はもう来ない。

母は、「昔の素敵だった自分」と、カビたハイヒールを抱えたまま、
今生の生を終わるだろう。

それがいいとか、悪いとか言うつもりはない。
それが母の生き方で、母の一生なのだ。




だから、私は世の全ての女性に伝えたい。

やりたいことがあるなら、「いつか」ではなく、
今すぐ、どんなに小さなことでもいいからやって欲しい。





ハイヒールが好きなら、履けばいい。
お洒落が好きなら、すればいい。

今、とてもそんなことが出来る状況に無くても、
お気に入りのハイヒールに一日5分、
家の中で足を入れてみるだけでもいい。

ハイヒールを履いたことが無くても、
いつか履きたいと憧れているなら、
ハイヒールを履くためのエクササイズを始めてもいい。

真っ赤な口紅が好きなら、唇にひいてみればいい。
踊るのが好きなら、踊ってみればいい。




私たちが生きている今は、
母たちの時代よりずっと、何でも自由に出来る時代のはず。
それなのに、自分が好きなこと、美しいと思うこと、
やりたいことが出来ず、縮こまって生きている女性は少なくない。


全ての女性は、美しく、楽しげに、健やかに生きる権利がある。
自分が美しいと思うなら、誰はばかることなく、
その美を享受して良いのだ。
今すぐ、100%は無理なら、1%から始めればいい。

環境や、年齢や、その他の理由で、美しくあること、
自分が大好きなことを決して諦めないで欲しい。
自分の想いを、脇に押しやることはしないで欲しいのだ。



自分の手で舵を切ろう。



全ては、あなたの意志次第。
どんなに小さなことでも。
やりたいことをやる、と意思表示して行動を始めること。
それが、女性の自立への一歩なのだから。



私は、ハイヒールを通して、
美しくありたいと一歩を踏み出した女性のお手伝いがしたい。
美しくあることに、年齢や環境は関係ないと証明して、
私に出来るのだから、あなたにもきっと出来ます、と伝えたい。

美しく、楽しげで、健やかに生きる女性が増えれば、
世界はきっと美しく平和になる。




コンサルティングを始めてちょうど1ヶ月の節目として、
今思うことを綴らせていただいた。




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
nana







2018年1月6日土曜日

無意識の恐ろしさ

部屋着を処分しましょう。


画面の向こうで、師匠が満面の美しい微笑みを浮かべて、
そう、言い放った。


先日のコンサルティングのひとこまである。

着るものがいかに体の意識に影響するか。
という講義だったのだが、
日本の男性とフランスの男性の違いについて面白い話を伺った。
日本の男性が家に帰るとすぐ、楽な格好に着替えるのに対して、
フランスの男性は仕事から帰ってきても、そのままの服装であるという。

家に帰るとすぐ着替えるのは、マレーシアの男性も同じだが。
要はその緊張感の有無が、生活感が出てしまうかどうかの分かれ目になるということ。


そこで、師匠に「nanaさん、部屋着はありますか?」と聞かれた。
「あります。」と答えてから、どんな部屋着か思い浮かべて、
『まずい…』と冷や汗が出た。


ここは南国、マレーシア。
年中夏の気温で、しかも我が家は寝室以外エアコンが無い。
自宅にいるときは動きやすいようにTシャツがメインで、
風通しが良い大きめの(というかガバガバの)Tシャツに
カットソーのパンツやショートパンツという格好だ。


緊張感のカケラもないではないか。



仮にも美を職業にしようというのに、
これでは全くもって、ダメダメである。
恥じ入りながら部屋着の話をすると、師匠は明るく笑い飛ばして、
冒頭の一言を言い放った。


誤解の無いように言っておくが、師匠は決して、
○○しなければいけない、と強制はしない。
やることの提示はしてくれるが、
実行するかどうかはあくまでも本人次第なのだ。


しかし、師匠をはじめ、コンサルティングを受けている方々のブログを拝見すると、
皆様、徹底して美を追求していらっしゃる方々ばかりだ。
正直、時々、皆さま私と同じ人間なのだろうか?と思うほど、
美に対してストイックなのだ。

全くもって恥ずかしい話だが、
おそらく、コンサルティングを受けているクライアントの中で、
一番ガサツなのが私だ。
これだけは自信を持って言い切れる。
(師匠がこのくだりを読んだら苦笑するに違いない)


ガサツだからこそ、やらなければならない。


さっそく今日、ガバガバのTシャツは雑巾にリサイクルし、
これから自宅では、いつもレッスンの時に着ている、
ストレッチ素材のミニスカートを履くことにした。
上はせめて、ガバガバではない、もう少しコンパクトなカットソー。

するとどうだろう。


まず、今までいかに、何をするにも足が開いていたか思い知らされた。
パンツを履いていると気付かないのだが、
ミニスカートだと足が開いているとすぐ分かる。
ひどいときはガニ股で平気で過ごしていると気がついて、
気が遠くなりそうになった。

若いお嬢さんだったら、多少のお行儀の悪さも可愛らしく映るだろうが、
もうすぐ50歳になろうという中年女性のガニ股は、
オッサン化以外の何者でもない。


これからは断固として、家でもミニスカートで過ごそうと固く誓った。


無意識というのは恐ろしい。
知らない間に足を開いた仁王立ちやガニ股や、
その他ガサツな動きをしているのだ。
一番恐ろしいのは、無意識にその動きが体に染み付いていることだ。
染み付いた動きがふっと現れた時が、
その人の生活感がにじみ出てしまう瞬間なのだろう。


滲み出てしまった生活感や、だらしなさに気付かず、
服やメイクばかり気を使っても、全く片手落ちではないか。
そのアンバランスを想像すると、ぞっとする。

これだけ長い間、何も意識せず野放し状態だったのだから、
修正には時間がかかると思うが、
少しずつでも、やらなくてはいけない。



今日のブログは、私の情けない話ではあるが、
こんなガサツな私が、ここからいかに変われるかの記録(?)として
綴っておく。

これをお読みいただいている方には、
美しきAsami先生に師事しながら、こんな落ちこぼれがいるのかと
笑っていただき、
落ちこぼれの奮闘を温かく見守っていただければ幸いである。




マレーシア クアラルンプールより
nana















2018年1月5日金曜日

ハイヒールと向き合うとは

ハイヒールと向き合うとは
楽器を奏でるのに似ている。

朝、音楽を聴きながらいつものストレッチをしながら、ふとそう思った。

楽器は子供の頃、ほんの少しかじったことがあるだけなので、
もしかしたら的外れかもしれないが、
感じたままを綴らせていただく。



ハイヒールと楽器
どちらもまず、正しいポジションとテクニックを学ぶことが必須。
これが出来なければ、音が上手く出ないし、ハイヒールなら上手く歩けない。
体に負担をかけることにもなる。

では、正しく使えるようになればいいのかというと、
それだけでは全く足りないのも共通している。
むしろひととおり使えるようになった後からが正念場で、
そこから今度は「表現」するための試行錯誤が始まるのだ。


楽器なら表現するための試行錯誤は分かるけど、
ハイヒールは?



ハイヒールも全く同じ。
なぜなら、楽器もハイヒールも、求めるのは「美」だから。
演奏者は「音楽の美」を
ハイヒールを履く女性は「自分の美」を
それぞれ表現したいという強い動機があり、
ひたすらにその美を追求するための努力をしているのだ。


その過程で否応なしに自分と向き合わされることになる。
弱い自分、出来ない自分、嫌な自分もいれば、
強い自分、やさしい自分、愛に溢れた自分が出てくることもある。
今まで出来なかったテクニックができるようにもなる。

そうやってひたすら自分と向き合い、乗り越えて、
自分が表現したい美を表現できた時。




楽器やハイヒールと、その人は共鳴し、圧倒的な美が放たれるのだ。




レコーディングを別として、音や歩く姿は絵画と違って、
一瞬一瞬で消えていくもの。
それなのに、あの日の演奏を思い出すと感動が蘇るのはなぜか?
ふと見かけた、街にたたずむハイヒールの女性が
いつまでも鮮烈な印象を残すのはなぜか?




そこに込められた、共鳴の美が心を揺さぶるから。




ハイヒールと向き合うとは
自分の美を表現するために、自分と向き合うこと。

向き合う過程で出てくるどんなものも、自分の一部。
そのひとつひとつを丁寧に紡いでゆけば、
やがてハイヒールは物ではなくパートナーとなる。




その時、日常の一歩一歩が、自分の舞台となる。





マレーシア クアラルンプールより愛を込めて

nana











2018年1月2日火曜日

ハイヒールと香水が教えてくれたこと

先日10cmのハイヒールを迎えた日に、
もうひとつ迎えたものがある。



オーストラリアのオーガニックスキンケアブランドAesopの香水
Marrakech Intense (マラケッシュ インテンス)







去年だったか、誰かに薦められて覚えていた香水。

Marrakechという名前がふいに浮かんだのは、
ハイヒールを迎えた日が偶然、私の敬愛する女性
私のミューズ Marlene Dietrichの誕生日だと思い出したからだった。

私が仕事のイメージとして決めた写真は、
ディートリッヒの映画「モロッコ」からの1枚。
黒のタキシードにシルクハットのハンサムウーマンなショットである。

そして、モロッコの都市マラケッシュにインスパイアされた、
エキゾチックでユニセックスな香りの香水。



急に、この香水を買おう、と思った。



Marrakechはトップがジャスミンをベースにしたフローラル。
ミドルノートにサンダルウッドなどのスパイシーな香りを配した、
オリエンタルノート。
Aesopの香水はどれも、ユニセックスで使えるもので重くない。


私にとって、初めてのオリエンタルノートである。


10cmの女性らしいハイヒールと、ユニセックスな香り。
この組み合わせがイメージの写真とぴたっと重なり、
新しい私への扉を開く鍵となった気がする。


ハイヒールと香水を購入した帰り道。
何だかとても気持ちがすっきりとし、
眉間の辺りが開けた気がした。

ハイヒールと香水が、これから私がなるべきイメージを教えてくれた。
きっとそうに違いない。

単なるこじつけと思う方は、そう思っていただいて構わない。
こじつけでも何でも、私がそれで心地よく、
幸せであれば良いのだ。





余談だが、Aesopのショップでいただいたハーブティー
カップの内側にはこんな言葉が






Anyone who keeps the ability to see beauty
never grows old
-Franz Kafka


然り。である。









2018年1月1日月曜日

2018年 私の漢字一文字

皆様、あけましておめでとうございます。

今年も新年早々、sub Rosaをご訪問いただき、ありがとうございます。
皆様の1年が、愛溢れる実り多き1年となりますよう、
心よりお祈り申し上げます。



私は毎年、年末に翌年の漢字一文字を設定している。
その年を振り返って、来年はこんな年にしたいという、
来年のテーマになる漢字を決めている。

漢字は全くの直感で、ピンと来た文字に決めているのだが、
1年たって振り返ってみると、だいたいテーマに沿った1年になっているのが面白い。


一昨年決めた、2017年の漢字は「発」
出発、発展、発達、発見。
そんな願いを込めた文字。
果たして、去年は残り1ヶ月弱という駆け込みで、
新しい世界、新しい挑戦へ出発した年となった。


今年決めた文字は「歩」
飛び込んだ世界で、一歩一歩前を向いて進んでいくという決意を込めた。
ハイヒールコーチを目指す私にぴったりの字だと自画自賛している(笑)

たとえ今は未熟でも、
一歩一歩たゆまず歩んでいく。
やがてその歩みが、一本の道となるのだから。



本年もどうぞよろしくお願いいたします。



nana










新Blog移行のお知らせ

読者の皆様へ ご訪問いただきまして、ありがとうございます。 2019年1月1日より、sub Rosaは新Blogへ移行いたしました。 新しいBlogのURLはこちらです。 ブックマークをされていらっしゃる方は 大変お手数ですが、ブックマークの変更をお願いいたします。...