2018年3月18日日曜日

なぜ美しく歩くことが人生を変えるのか

ハイヒールとロングヘアの女性が大の苦手だった。


は?何を言ってるの?
あなたハイヒールコーチを目指しているのでしょう?

そう言われそうな書き出しだが、
私は若い頃、ハイヒールを履いたロングヘアの女性が嫌いだった。


私が20代の頃はバブル全盛期。
その頃女子大生やOLと言えば、ロングへアにボディコン、ハイヒールの
「バブルファッション」が定番だった。
更にディオールのフューシャピンクの口紅に、シャネルバッグが加われば、
鉄壁のバブルOLの出来上がり。

当時そういうファッションをされていた方には大変申し訳ないが、
若い頃の私には、<ハイヒール+ロングヘア=過剰に女を売り物にしている女性>
という公式がインストールされていたため、
そのような女性は女を武器に、チャラチャラしているように見えたのだ。

そんな私はと言えば、
当時は猿のようなベリーショートに、ダメージジーンズ。
足元はドクターマーチンのがっしりした革靴が定番だった。
本当はパンクス御用達の、底に鉄板の入った編み上げの安全靴か、
底の厚いラバーソールが履きたかったのだが、似合わなかったので諦めた。
まあ、今振り返れば何と青い子供だったかと思うのだが。


バブルファッションに真っ向から反抗していた私のことはさておき、
なぜ、あの頃ハイヒールの女性が嫌いだったのか。
それは、彼女たちの多くが、単に流行に流されて髪を伸ばし、
ボディコンを着て、ハイヒールを履いているとしか思えなかったからだ。
そこに何かしらの信念やスタイルがあるようには、当時の私には見えなかったのだ。

そんなアンチハイヒールだった私が、なぜ今、ハイヒールコーチを目指すのか。
それは、あまりにも美しく、格好良い歩きに出会ってしまったからだ。

「歩くこと」は誰でも出来る。
「ハイヒールを履いて歩く」ことも、誰でも出来る。
だが、「ハイヒールを履いて 美しく歩く」ことは、誰もが出来る訳ではない。


若く、青かった当時にはそれを知ろうともせず、ただアンチになっていたのだが、
今、私自身がハイヒールに挑戦するようになって、初めて分かった。


美しくあること。
美しく歩くこと。特にハイヒールで美しく歩くことには、
あらゆる面でのコントロールが必要なのだ。
美しさを感じる感性。
己を客観視し、分析する理性。
美しさを身に着けるための、地味でストイックな努力。
本当に、思考、感性、体の使い方、生活、
あらゆる面で常にコントロールと努力が必要となる。


美しく歩くために、これだけのことを日々意識して、
己をコントロールしながら行動を続けていれば、
自然と日々、新しい自分に挑戦し続けることになる。
結果として、人生が変わってゆくのは当然だろう。



人生が変わらないのは、今までと同じことをしているからだ。
多くの人が、自分の人生に何かしら不満を抱えているにも関わらず、
安定を求めて現状維持に甘んじている。

私たちは、時の流れとともに朽ちてゆく肉体を持つ人間。
現状維持とは、厳密に言えばゆるやかな衰退でしかない。


何を選ぶかは人それぞれだが、もしも今、自分の人生が面白くない。
何かを変えたい、と思うなら、
今までしたことのない事に挑戦してみるのが一番だ。


歩くことは生きている間、必ず行われる動作である。
今、この瞬間から死ぬまで、あとどれだけ歩くだろうか。
その一歩一歩を、美しく歩くと決めて挑戦するなら、
それは正に、人生を変える歩みになるだろう。


今、その一歩をどう歩くのか。


人生を変える偉大な一歩である。




マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana















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