真紅のコートの裾が、ふわりと翻ったその瞬間。
鳥肌が立った。
ウエストから扇のように広がるフレアーのライン。
そして再び、さあっと翻り、ぴたりと収まる裾の、静と動のコントラスト。
美しい歩き。
何と美しいのだろう。
思わずため息が漏れた。
これは、師匠が先週Instagramで公開された、
真っ赤なGivenchyのコートを羽織って歩いている動画を観た時の、
私の反応である。
後に師匠のBlog、美しさとは計算であるを読み、
水面下で緻密な計算が成されていたことを知った。
だが、動画を観た直後に感じたのは、
ただ、素晴らしく美しいという事。
そして、少しでもあの領域に近づきたい。という憧れであった。
そこで気がついた。
この気持ちは、これから私が出会う、全てのクライアントの気持ちと同じ。
私もそうであったが、ハイヒールの門を叩く女性は皆、
美しいものを美しいと感じ、
自分も美しく歩きたい一心で、門を叩くのだ。
美しいものへの夢と憧れ。
私はハイヒールコーチを目指す者として、
この気持ちを決して忘れてはならない。
何故ならハイヒールコーチとは、
クライアントの夢と憧れを、現実化させる仕事だからだ。
仕事をきわめる。
「きわめる」には、
「究める」と「極める」の二つがある。
仕事を「究める」とは、
仕事に対し、情熱を持って目的を遂行するための、
あらゆる努力をすること。
そこに終わりは無いと感じる。
仕事をしている限り、常に究め続けていくだけなのだ。
仕事を「極める。」
これは、その仕事の頂点を極めるとか、
第一人者になるという事もあるとは思うが、
個人的には、その仕事におけるステージをやり切ることだと思っている。
仕事は人生の一部であり、人生のステージと同じく、
仕事にもステージがある。
ひとつのステージをやり切った時、
人は更に上のステージへと移行できるのだと思う。
ハイヒールコーチとして、
クライアントの美への夢と憧れを、どう現実化させていくか。
そのために情熱を持って、研究、研鑽を続け、
クライアントと向き合うこと。
これが仕事を「究める」ことである。
そして、究め続ける中で、
自らのスキルであったり、クライアントの質であったり、
そのレベルでの水準を完全に満たすこと。
これが、仕事を「極める」ことではないかと思う。
結局のところ、仕事を「究める」、「極める」両方とも終わりは無い。
あるとすれば、この世を去る瞬間に、
自分は仕事を通して、この世に何を残すことが出来たか。
自分の命と、情熱と、才能を、仕事という形で
他者に貢献できたら。
それは、最高に幸せではないだろうか。
そんな生き方をしたいと、心から願う。
マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana
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